マーヤー(幻…)4


このブログを書きながら、今朝はまた、
別の会員の方の御母堂様の訃報に接することとなった。
こうして、人はそれぞれに死んでいく。
『その様子を見ながら、聞きながら、触れながら、感じながら、
 人は自分だけは死なないと思っている』と、
『マハーバーラタ』のなかで法王ユディシュティラは語った。
私自身も、自分はまだ死なずに済むくらいに思っている。
が、そのときは間違いなくやってくる。
しかもそれは、じきに来る。
そうして、われわれ誰もの人生は、
一つの宇宙の長い歴史のなかのほんの一瞬のできごととして、
まるで幻のように忘れられていく--と思われている。
読者の皆さんも、そう思っておられるかもしれない。
が、しかしそれは、実際には幻ではない。
宇宙のなかに確固として記録され、記憶されたわれわれ一人ひとりの痕跡は……


実は宇宙全体に、未来永劫にわたって残り、
そうしていつか、この宇宙が終わり、次の宇宙が始まるとき、
その記憶は消え去ることなく蘇る。
そのようにして印象と記憶は残り、
存在の絶対と相対のはざまから、次の宇宙が始まる。
あらゆる可能性を内に秘めたまま。
まったく同じように、意識の絶対と相対のはざまから、
あらゆる想念が生まれてくる。
あらゆる可能性を実現するために。
われわれは、そのレベルにまで意識を深め、確立しないかぎり、
自分を知ることも、世界を超克することもできない。
26日(土)には、その理論的背景を解説し、
そのための技術である<Art4>Stage3を教える。
ところで、まったく同じことを、
イエスは次のような分かりやすい言葉で教えた。
『持てる者はますます富み、
 持たざる者は、持っているものまでも取り上げられる』(マタイ 13・12)
『あなた方には、神の国の秘儀を悟ることが許されているが……』
と言いながら語られたこのことが、なぜ『神の国の秘儀』となるのか、
該当部分が現れる27日の【聖書会】で解説する。


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