私の系譜 14


もしあのとき○○していたら、と人は人生をふり返る。
もしあのとき神戸を受験していたら、果して合格していたのだろうか。
若気の至りか、正直、落ちたような気がしない。
その場合、私は意気揚々と、神戸で新たな中学生活を始めていた。
それは、広島のカトリック系ミッションスクールでの生活とは、
まったく違ったものになっていたはずだ。
住環境も、生活も、授業内容も、出会ったであろう友人や先生や、
影響を受けた思想や哲学も、すべてである。
あるいは、我が家の裏手には地元の公立中学があったので、
そこに通うことももちろんできた。
そのとき、私はどんな人生を送ることになったのか。
小学校からの友人の多くと中学に通い、
もしかしたら野球部に入り、これに情熱を注いだかもしれない。
いずれにしても、まったく異なった人生になったことは間違いなく、
あのような形でキリスト教に触れることも、
インドに行くことも、したがってその後の著作や活動もなかっただろうし、
仮にあったとしても今のようではなかった。
私が瞑想をお教えした人たち、聖者の予言をお読みした人たち、
そして、私の本や、このブログをお読みいただいている人たちを含め、
およそ私と係わりをもったすべての人たちとも、出会うことはなかっただろう。
または出会ったとしても、まったく違う形だったに違いない。
逆にもし、私と皆さんとの出会いがそれぞれに必然であったのならば……


父のあの一言もまた、必然であったことになる。
または、父は自分では何も知らずに、
必要なとき、必要な一言を発するよう、仕向けられたのだろうか。


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