仏たちの微笑む国 10


9月4日-2
インド亜大陸を統一した大王として世界史の教科書にも出てくるアショカ王は、
仏陀入滅100年後、または200年後に生まれたとされる。
伝説によれば、父王ビンドゥサーラとは不仲であり、
あるときなどは、地方の反乱軍に対し、
父王はアショカに軍も武器も与えず、これを鎮圧するよう命じたという。
これに対しアショカは、
「仮にわたしに王となる資格があるならば、
 神々がわたしに軍と武器を与えるであろう」と言った。
すると、大地が割れて軍と武器が現れ出、
これを見た敵は戦うことなくアショカの軍門に下ったとされる。
こうして父王亡き後、兄たちをさしおいてアショカが王位についたのは、
インドの伝統からすれば異例ではあったが、
しかしその力量、人望からして当然のことともいえる。
アショカはまた、仏法に深く帰依し、他の宗教にも寛容であったといわれる。
仏法を広めるため、東方や西方に広く僧侶・使節を派遣し、
その一部は遠く東南アジアはインドシナ半島をも訪れた。
この日、われわれは、カンチャナブリからの帰途、
バンコクの西約60㎞の街に立ち寄る。
アショカ王が仏法を広めるために僧侶を派遣、
インドシナ半島で初めて仏塔を建てたので、
ナコンパトム“最初の都”と呼ばれることとなった地である。
ここでわれわれは、高さ127メートル、
世界最大の仏塔プラ・パトム・チェディを巡礼する。
遠くインドの王が、このような地にこれだけの建造物を造り得たのは……


その政治力、経済力もさることながら、
仏法に帰依する心があって初めて可能であった。
そのような太古の王と、
その建造にあたった無数の名もない人びとの息吹をこの地で感じとりたい。


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