アダムの肋骨・番外編1


この度の事故のことは、
言えばさまざまな方にご心配やご迷惑をおかけするに決まっていたので、
当初、なんとか隠しおおせないかと考えた。
実際、私の両親はまだ、このことを知らない。
しかし、日常生活や仕事への影響が大きすぎたので、
他の皆さんに対して隠すのは諦めた。
そういうわけで、スタッフがこれを知ったのも、事故後数日が経ってからであった。
ブログに書いてからは、たくさんの方からさまざまなご意見・ご感想をいただいた。
まず、このような私事でご心配をおかけし、大変申し訳なかったのであるが、
何人もの方からいただいた同じご質問は、
「タクシーが猛スピードで現れ、激突するまでの間、
スローモーションで見えませんでしたか?」
というものだった。
さらに、そういわれた方のうち何人かは、
自分のときはそうであったといわれたのである。
そういう話を、誰もが何度かは耳にするものだ。
「息を引き取る直前、人は生涯のさまざまな光景を一挙に見る」
というのも、これに似ているが、
しかし少なくとも今回の事故に関して言うならば、その種のことは起こらず、
猛スピードで突入してきたタクシーは、やはり猛スピードのままなのであった。
したがって、あっという間もなく二台は衝突、
そして、あっという間もなく私の乗った車は電柱に激突した。
人はいかなる事象も、その人、その人の意識レベルで享受し、解釈するわけだが、
いつもばたばたしている私には、
スローモーションで電柱に激突するような、
そんな“風雅な”ことは起こらなかったのである。
したがって、将来私が死ぬときも……


生涯のさまざまな光景を鮮やかに見てから、というようなことも起こりそうにない。
第一、周りに何人かの人がいて、もしかして悲しんでくれているかもしれないときに、
そんなことがあって、私自身が思わず笑い出してしまったら困るではないか。
「見てください、先生が最期に……微笑まれました!」
などと付き添いの誰かが言ったとき、しかし実際は、
自分の生涯の光景を見ながら、私は可笑しくて吹き出してしまったのかもしれない。
そのような誤解のないように、将来、その場に居合わせそうな方には、
今のうちに心づもりをしておいていただきたいと願っている。


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