アダムの肋骨13


その昔、足首を捻挫した当日は普通に歩いたり、走りさえしていたのに、
その日の晩から患部が二倍くらいに腫れ上がったことがある。
全治一カ月。
同じように、わずかな気力と、聖地の不思議な力でもっていたものが、
ここで一気に崩落するかもしれないという恐れも、心のどこかにあった。
まして、伊勢神宮参拝が終われば、私はいわば“用済み”なのだ。
そう思い、名古屋で降りて病院に行くということもおよそ考えなかったわけではないが、
しかしそのようなつてがあるわけでもないし、
なんといっても、そうするにはあまりにも疲れすぎていた。
ここは東京まで乗り、タクシーで家まで帰り着くんだと自分に言い聞かせた。
布団に体を横たえようとすると、意外とそれが困難であることに気づいた。
どのような方法で横になろうとしても、痛くてできない。
ただ単にゴロンとするだけのことなのに……。
それにしても、では、私はどうやって一日、
長距離を移動し、伊勢神宮を参拝してきたのか……。
誰もいないのをよいことに、
車のなかで出したようなうめき声をあげて体を横にはしたものの、
横になったら横になったで、骨には別向きのテンションがかかるらしく、
じっとしていても痛い。
これでは……


とても眠れそうにない。
汗をかきながら、そのように直観した。


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