縁 3


告別式の朝、東京は晴れ渡り、
しかし20年ぶりともいわれる寒波が日本列島を襲っていた。
深いご縁をいただいたYさんのご尊父とはいえ、
直接は言葉を交わしたこともあまりないその方のため、
私は粛々とご冥福を祈り、おいとまするはずであった。
が……何かが違っていた。
式の間、和尚様による念仏が心安らかに聞こえてくるなか、
襲ってきた抗い難い感覚。
理屈ではないが……あえて言葉にすれば、
この方の人生のおかげでYさんが生まれ、育たれ、
そのおかげで私は彼に出会うことができ、本が出版され、
結果として顔も見たことのないたくさんの人たちが食事や衣類を得たり、
普通のちゃんとした家に住むことができるようになったり、
病気を治療したり……ということが可能になったのだった。
この人がいなければ、私の人生はまったく違ったものになっていた。
そして、今、このブログをお読みになっている皆さんの人生も。
思い返せば、私はこれまでに一度だけ、
この方の心の奥底から出た言葉を聞いたような気がする。
Y家に外部から加えられた、ある理不尽な出来事について話し合う席に、
なぜか私が居合わせたことがあった。
そのとき、積年の、積もる思いがおありだったのだろう、
ご母堂様が一言だけ、相手方の不誠実をなじるような言葉を口にされた。
すると、それまで押し黙ったままであったご尊父様が、一言、妻に対して
「ぐちを言うな……」
と言われたのだった。
その言葉に、その場にいた者たち全員が従った。
こうしておそらく、
他人には与り知れないような忍耐と辛苦を重ね、人生を生きてこられたであろう。
亡くなるときも、多くを語ることなく逝かれたであろう。
そのようなことを、具体的に想い浮かべたわけではなかったのに……


漠然とした想い、というよりも感覚に私は囚われ、
涙が止まらない状態となってしまった。
告別式の日に朝からさめざめ泣き続けるような者は他に一人もおらず、
特にご遺族・ご親戚の皆さまは気丈にしておられるというのに、
大急ぎで家を出てきた私はハンカチも持たず、
同行した友人のそれは最高級の西陣絹織物で、
水分を吸わないばかりか涙で濡らすことすらはばかられるような代物だったので、
私は大いに困惑することとなった。


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