為替7

日本人ならどんな人も、ある程度、
四柱推命や姓名判断をしてもらったことがあるだろうと思う。
そんなとき、私はよく言われた。
生涯を通じて、あまりお金には不自由しませんねと。
たしかに、いろいろなご縁のおかげで、
今のところそうかもしれない。
カンボジアに井戸を掘ったり、
地雷被災者の家を建てたり、
インドの孤児院に寄付したりということは、
お金がまったくなければできないだろうから、
そうしたご縁に私はどんなに感謝してもしきれない。
しかしそれにしても、
だからといってお金に余裕があったという試しはかつてなく、
どうやらそのような星のもとに生まれているらしい。
したがって、仮に将来、
私と人生を共にするような奇特な方がどこかに現れたとしても……

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為替6

1ドルが80円を割った空前の円高時、
私の住所はアメリカであったが、身柄はインドにあった。
聖者アガスティアの勧めに従い、クットララムにいたのである。
インドの山奥で、蟻入りインスタントラーメンなどを食べながら、
呑気に滝に打たれていたわけであるが、
もしこのとき日本かアメリカにいれば、
私はドルを買ったであろうか。
多少は買ったかもしれない。
だが、たいして買えなかっただろうとも思う。
当時、いろいろなチャリティに使っただけではなく、
人が困っているようだとお金を用立て、
その大半は返ってこない。
困って、お金を貸してほしい、
必ず利息をつけて返します、という人が、インドにはごろごろいた。
彼らは、もともと騙すつもりではなかったにしても、
返せなくなる人もいる。
私が善意でお貸ししたのに、
それを受け取り、しかし返さないと決め込んでいる人も多いだろうが、
その人たちは、可哀相に、
次か、そのまた次に生まれ変わったときには、
どうしても返さなければならないだろう。
何十年、何百年分もついた利息分と一緒にお金を返すか、
または真心で返すか……。
とにかく、そういうわけで結局……

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為替5

日銀が金融緩和を続けるなか、
1986年、1ドル=152円をつける。
約4割も急激に円の価値が上がったわけで、
こうして何が起きたかというと、
個人のレベルでは海外旅行ブーム、
企業のレベルでは“米国買い”であった。
アメリカの象徴ともいえるニューヨークの高層ビルや、
映画産業を日本企業が次々と買収したため、
このままアメリカ自体を日本が買うのではないかとまで、
当時は恐れられたのだった。
だが、1990年、バブルが崩壊、
株価も地価も急激な下落に転ずる。
バブル経済が崩壊して、日本企業は、
今度は買い漁ってきたアメリカの資産を手放していかざるを得なくなっていった。
だが、このとき潔く手放した企業はまだよかったのである。
1995年の春、突然始まった円高は、
あれよあれよという間に1ドル=79円75銭(!)をつけるに至った。
安い、安いと思ってアメリカの資産を買い漁った日本企業は……

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為替4

プラザ合意を行なった時点で1ドル=242円であった為替は、
急激な円高に転じ、約30%も円は切り上がった。
日本の輸出産業が大打撃を受けるなか、円高不況の懸念が深刻化したため、
低金利政策が採用・継続され、
これが結果として人びとの不動産や株式への投機を加速させた。
今にいう「バブル景気」である。
もともと、変動相場制をとっている以上、
相場は相場=「神の見えざる手」に任せるのが基本的には自然なはずである。
これを各国の協調介入により、無理やり急激なドル安にもっていったのだから、
世界経済にそれなりのひずみが出てもおかしくはない。
アメリカ以外の国、
特に日本はその点を強く主張するべきであったと思われるが、
それはできなかった。
「プラザ合意」の際の日本の蔵相・竹下登について、
後に宮澤喜一は一言でこう論評した……

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為替3

1971年、私が中学一年の年の12月、
1ドル=360円から308円に円が切り上がって大騒ぎとなったのも束の間、
その後わずか一年あまりで固定相場制は崩壊した。
アメリカ経済はベトナム戦争その他により疲弊し、
少々のドル切り下げでは追いつかなくなったのである。
一方、日本の対米貿易収支の黒字はますます巨大化していき、
1978年には1ドル=200円の大台を割ってしまった。
その後、ドルはやや持ち直し、
私が初めてアメリカに留学していた70年代最後の日々は、
250円程度であったと記憶している。
だが、80年代に入ってしばらくして、ついにあの日がやって来る。

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為替2

ここ数日の間に、急激に円高に振れてきたと思っていたら、
今日はまた、安くなってしまっていた。
昨日に比べて、1ユーロにつき3円の違い。
旅行に行かれる方で、昨日ユーロを買われた方は、
とりあえず正解だったように思われる。
為替などというものは日々、変動し、
動きを読もうにも人知では読みきれないので、
ある程度以上、これにかかずらわるのには意味がない。
だが、世の中にはそんなこととは比べ物にならないほど大事で、
変わらないものがある。
たとえば月に一度、日曜日に読んでいる【ヨハネによる福音書】や、
木曜日に読んでいる【バガヴァッド・ギーター】の内容がそうである。
今度の18日の部分を読み、解説を組み立ててみると、そこには……

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為替

小学生の頃、「為替」と書いてどう読むのか分からず、
心のなかでタメガエと読んだ記憶がある。
当時は1ドル=360円で固定されていた。
その後、アメリカは一方的に円を切り上げ、
308円になったと記憶しているが、
360円が308円になったのになぜ切り上げなのか、
これも当時はよく分からなかった。
経済は複雑怪奇で、われわれのような素人には到底理解できない。
だが、少なくとも、ユーロ経済圏に行けば、
誰もがユーロで買い物をしなければならない。
そのためにどうするのがいいのか、私の持っている乏しい知識では、
1)基本的にカードで買い物する人も、少しはお金をもっていく
2)ヨーロッパでユーロを買わず、日本で買っていく
3)現金よりもトラベラーズ・チェック(TC)を買う
ということになる。
その理由はまたにして、では、いつTCを買えばよいかといえば、
もちろんそれは分からない。
為替は日々、変動し、
それが正しく予測できるようなら誰でも、いくらでもお金をつくることができる。
だが、比較的有利な日というのはありそうで、
それがもしかしたら……

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奇跡のメダイ4

セミナーや旅行のときに、
ときどき申し上げていることですが、
「無原罪の御宿り」は、
マリア様が聖霊によってイエス様を身籠もられたこととは別のことです。
前者は『無原罪懐胎』、後者は『処女懐胎』と呼ばれます。
興味深いことに、著名なカトリック作家の方なども、
この二つを混同されていたりします。
あるときローマでお願いしたガイドさんは、
私の知らない、
ガイドブックにも出ていない聖地をさまざま、案内してくださいましたが、
そんな有能な方も、この二つをすっかり混同しておられました。
前者は、マリア様がお母様である聖アンナの胎に入られたとき、
原罪を免れていたという教義で、
1854年に発布されました。
後者は、マリア様が通常の過程を経ることなく、
聖霊によってイエス様を身籠もられたという教義で、
初代教会の頃から事実として伝承されてきましたが、
649年、あらためてカトリック教会が教義として発布しました。
そのときには、単にイエス様を聖霊によって身籠もったというだけでなく……

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奇跡のメダイ3

さて、この祈りの文言に出てくる
『穢れなくして宿りたまいし聖マリア』ですが、
これはもちろん、
「無原罪のまま母の胎に宿られたマリア様」という意味です。
ですので、この部分を、
『原罪なくして宿りたまいし聖マリア』
と訳すこともあります。
プロテスタントの多くは、
(イエスを除く)人間は全員、原罪をもって生まれたのであって、
マリア様だけが例外だったということはあり得ない、
「無原罪懐胎」はカトリック教会による創作であると主張されます。
ところで、ルルドにご出現になったマリア様は、
再三、ベルナデッタにお名前を聞かれた末、
『わたしは、無原罪の宿りです……』
と言われました。
(ご出現の現場の洞窟に行くと、
美しい、しかしベルナデッタにいわせればそれでも本物にはほど遠いという
聖母像のお足元に、今もその文言が刻印してあります)
したがって、そのようなことをマリア様が言ったというルルドの奇跡を、
プロテスタントの皆さんのなかには認めない、という方もおられます。
その皆さんは、
では次々実際に起こる奇跡をどう説明するかというと……

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奇跡のメダイ2

ところで、このメダイを単に身につければよいとお考えの方もおられますが、
実はそうではありません。
パリにご出現になったマリア様が、
このメダイを首からかけ、次のように祈りなさい、と教えられた、
簡単な祈りの文言があります。
このことは、これを身につけているカトリックの信者さんも、
実はほとんどご存じではありません。
ただ、これを身につけていれば、マリア様が守ってくださるとか、
マリア様が願いを聞いてくださる、というふうに、
素朴に思っていらっしゃいます。
その祈りとは……

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