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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第174号 2024年4月3日配信)

『諸行無常』

兄の義父が小さな病院を遺して亡くなって、今年でちょうど十年になる。
亡くなってほどなくして、巨額の借金が残っていることが判明した。なぜそんなものが残ったのかは、誰も知らなかった。破綻すれば、従業員は全員失業、退職金すら払えない。近隣では唯一の療養型病院なので地域医療にも打撃となる。
婿殿として後継者と目されていた兄はこの問題にまったく関心を示さなかったので、紆余曲折の末、私が借金をして病院を買い取ることになった。

事務長は亡くなった院長の妻の弟、私にとっては「兄嫁の叔父」に当たる人で、有り難いことに病院経理を一手に担ってくれた。……と思っていたのだが、二年前、この人が辞めてみると、今度は多額の横領が判明した。発覚を予期していたのか、彼は職を辞すと同時に住居を解約、誰にも行き先を知られないようにして逃亡した。

弁護士が調べを進めるなかで、潜伏先は偶然見つかった。横領された金は多様かつ多額であったが、私は、証拠が残っているものだけでも即、返還するよう何度か手紙を書き送った。グレーなものについては最大限不問に付すこと、今返還すれば職員や親族にも可能なかぎり知られないようにすることなど書き添えたので、彼にとって願ってもない条件のはずだったが、返答はなかった。弁護士は刑事・民事の両方で訴えるべきと主張し、私もとうとう、これ以上無視されるようであれば告訴する他ないという段まできて、こちらの本気に気づいたのか、期限ぎりぎりで返還があった。
「こんなことなら、もっとやっておけばよかった」という捨て台詞が、失った金額以上に心に残った。

それよりも前、父が亡くなった後、長年遊休地としていた土地にビルを建てた。地元の業者に管理してもらい管理料を払っていたが、この業者がいつしか賃料を抜くようになっていた。東京から戻る度にお菓子を持参し、「借金コンクリートだ!」などと冗談を言い合う仲になるなか、日常の多忙にも紛れてしばらく気づかなかった。
金額からして、訴えれば刑務所に行くことになっただろう。しかし一度だけ、事務所で彼の小さなお嬢さんを見たことがあった。こちらも告訴するに忍びず、ある程度戻させたところで縁を切った。

今年に入り、大谷翔平「結婚」の報せには正直驚いた。が、もっと驚くニュースが飛び込んできた。献身的な仕事ぶりで高く評価されていた通訳者が違法賭博にのめり込み、大谷選手のお金を使い込んでいたというのである。その額少なくとも6億8000万円。
当初の説明で、彼は「大谷選手の承諾を得て借金を返済した」と言っていたが、それでは大谷も違法賭博を幇助したこととなり、お咎めは免れない。よって、大谷はまったく知らなかったことにせよ、すると君は違法賭博どころか詐欺や窃盗にも問われることになるが、将来のことは心配ない、球団がちゃんと面倒みるからと、球団にも弁護士にも説得されて、“人のよい”一平はそれを呑んだのかと私は思った。巷には、賭博をやったのは実は大谷のほうで、一平はその罪をひっかぶって辞めるのだという“陰謀論”すらある。が、後に大谷翔平自身が記者会見して、「一平さんはボクの口座からお金を盗み、周りの全員にウソをついてました」ということになった。

私のような小さな事件でも、公にできないことがさまざまあった。ましてこのような大事件について、最終的に真実のすべてが明らかになることはないだろう。しかし、むしろ感慨深いのは「諸行無常」、人の運命の変転だ。
水原一平はカリフォルニア州立大学を卒業したとしているので、事実であればかつて私が教えた大学出身ということになる。ここ数年、通訳として7,000万円前後の報酬を得ており、これは通常の数倍だ。それ以上に、100年に一度といわれるスーパースターに信頼され、人びとにも愛され、いわば功成り名遂げた。“同大出身の”日本人として稀にみる大成功を収めたというのに、その人がこうして今、行方も知れぬ状態となっている。

よいことの後には、悪いことがやってくる。そしてまたよいこともあるだろう。普通の人生はそうしたものかもしれないが、私はいつも想う。淡々と瞑想を続け、神々に祈りと儀式を捧げ、周りの人びとを助けたおかげで、よいことのほうもまた淡々とやってきて、それがまた次の人生へと雪だるま式に膨らんでいく。ときに過去の否定的なカルマが返ってくるかもしれないが、それをも糧にして進んでいく。そんな人生を読者の皆さん全員に送っていただきたい。それが新年度、桜の季節の私の願いだ。