メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第164号 2023年1月19日配信)

『戒(いまし)めの鞭(ムチ)』

1981年5月2日、アイルランド航空164便がハイジャックされた。
カトリックの修道士だという犯人の要求は金銭や犯罪者の釈放などではなく、
「ファティマ第三の秘密を公開せよ!」というものだった。

第一次世界大戦が始まって3年が経とうとしていた1917年5月13日、
ポルトガルの寒村ファティマで、
ルシアら三人の牧童の前に聖母マリアが現れたとされる。
聖母は翌月以降も同じ13日にその場に来るよう少年と少女に伝え、
同年10月まで7回にわたりご出現があった。
10月13日には、群衆の前で太陽がグルグルと弧を描き、大きさを変えるという
いわゆる「太陽の奇跡」があり、7万人を超える人びとがこれを目撃した。

ファティマにおけるご出現で、聖母マリアは三つの“啓示”を行なったとされる。
一つは「地獄の実在」で、
これを見せられた子どもたちは想像を絶する光景に戦慄した。
二つ目は第一次世界大戦が間もなく終結するというものだったが、
しかし人びとが罪を悔い改めないなら、
次期教皇ピオ11世の治世でさらに酷い戦争が始まるとされ、
これも現実のものとなった。
(ちなみに、この時点ではまだ次期教皇は決まっていなかったが、
 1922年、実際にピオ11世が即位し、その後「さらに酷い戦争」へと続いた)
そして三つ目の、「ファティマ第三の予言」。
1960年まで公開してはならないとされたその内容を、
修道女となったルシアは書簡にまとめて封印し、教皇庁に託した。
1960年、ときの教皇ヨハネ23世がその封を開けることはなかった。
1965年、これを開けたパウロ6世はその場で気を失い、ふたたび封印したとされる。
1981年、冒頭のハイジャック事件が起きたが、
第三の予言が公表されることはなかった。
2000年、ヨハネ・パウロ2世はついにこれを“公開した”が、
その内容については当初より専門家の間でも疑問視され、
現在、虚偽であるか、または少なくとも全文ではないと考えられている。
正直なところ筆者は、それをまったくの虚偽とは思わないが、
真実のすべてだとも思っていない。

こうして、いまだ謎に包まれたファティマ第三の秘密であるが、
私がいつも思い出すのは、聖母マリアによる次のような一貫した要請である。
『あなた方のさまざまな罪を、
 神は戦争や飢餓、教会の迫害の形で罰せられるでしょう。
 それを阻止するため、
 ロシアをわたしの汚れなき心に奉献してください。
 もしあなた方がわたしの望みに耳を傾けるなら、
 ロシアは回心し、世界に平和がもたらされます。
 そうでなければ、ロシアは世界中に誤謬を広め、
 戦争と迫害を押し進めるでしょう。
 罪のない多くの人びとが死に、
 いくつかの国はなくなってしまうでしょう……』
(1917年7月13日)

『ロシアが、世界にとって戒めの鞭となる……』
この数十年、私は聖母マリアのこの言葉を、幾度となく思い起こしてきた。
1989年、冷戦が終結したように見えたとき、
もしかして杞憂に終わったのかと思ったが、
結果はそれほど単純ではなかった。
昨年12月の巡礼旅行前より、これについての聖者の予言が出てきつつあるが、
さまざまに複雑な要素が絡むので、
1月29日(日)、本年最初の<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>で解説したい。
また、ファティマであった「太陽の奇跡」は、その後、
聖母マリアのご出現地であるメジュゴリエでも幾度となく起きてきた。
その動画も併せ、見てみたい。