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最新号 (第179号 2024年7月10日配信)

『最後の奇跡』

先日、ある会合にうかがった際にお目にかかった海外招待者の一人は、旧ユーゴスラビアのご出身だった。
早速、私は「お国に3回も行ったことがあります」と言うと、大変驚かれた。
「どこに行かれたのですか?」
「メジュゴリエです」
とお答えすると、この方がメジュゴリエの聖母出現についてほとんどご存じないことが判明した。

暗く、厳しい内戦の時代を生き延び、イギリス人と結婚した彼女は、現在ロンドンにお住まいだという。
その経済活動の一環として、今回日本に招待されたのであるから、相当に裕福な暮らしをしておられるはずだ。
生命と財産をすっかり失う危険性のあった世紀末を過ごしたユーゴの国民にとって、「聖母出現」といわれても夢みたいな話だったのかもしれない。
聖母ご自身は、『わたしの秘密を理解しなければ、世界に平和は訪れない……』と言っておられるが、その予言どおり、世界に平和は訪れておらず、その気配もない。

ファティマに始まり、アムステルダム、ガラバンダル、さらには秋田、メジュゴリエと続く一連のご出現において、聖母は相当に厳しい人類の未来を予言してこられた。
そうしたことが起こる前、世界にはひとときの安息があるとも言っておられるのが、もしかして今がそのときなのだろうか。
涙を流し語られたそれらのメッセージを総括し、キリスト教の枠すらも超えた普遍性を求めて、日本でメジュゴリエのような聖母出現があったと想定して書いた小説が『最後の奇跡』だった。
その後、何人もの方に、世界はこの小説に書かれたとおりの方向に進んでいると指摘されたが、残念ながら聖母の示唆された“平和”にはほど遠い。
そんななか、今回、ボランティアの方の献身的な努力によって電子書籍となり、7日から一般の方にもお読みいただけることとなった。

今回の電子版と親本との大きな違いは、巻末の資料集にある。
ボランティアの方が精根込めて世界の聖母出現の資料を集め、地図上に分かりやすく整理・分類してくださったうえ、それぞれの事象にまつわる歴史的な写真も掲載していただいた。
紙媒体では難しいことだ。
また、最後の『電子版に寄せて』のなかでは、本書を上梓することとなった経緯について新たに書き下ろした。
さかのぼること今から100年ほども前、無神論者のスペイン人医学生がルルドを訪れたことから話は始まる。
そこで二つの奇跡に遭遇し、帰国した彼は回心してイエズス会に入り、司祭となって広島に赴任した。
戦争が始まり、広島に原爆が落とされ、彼は爆心地近くで被爆した瀕死の子どもを奇跡的に助けた。
そしてその子も司祭となり、何も知らずに田舎から出てきた私(青山)にカトリック要理と祈りを教えてくださったのだった。
その後、聖母は、後に私の読者となる一人の女性に現れ、彼女が本小説のもととなった聖母出現集を私に送ってくれた。
なにも知らずにそれを読んだ私に本書の着想が湧いてきて、幻冬舎の見城社長の強い勧めもあって小説化することになったのだった。
電子版あとがきでは、平安時代、宮中で物書きをしていたという私の“守護霊”にも登場いただき、これにまつわる経緯を詳しく書いた。

天界で神々によりなされている計画を「摂理」、「経綸」などと呼ぶが、そのほとんどを私たちは知らない。
ずっと後になって、ごく一部に気づいて驚くのである。
気づこうが気づくまいが、そうした摂理はどんな人にも計画されている。
そうでなければどうして私たちが存在し、一緒に霊性を探求することになるだろうか。
こうして共に瞑想をする私たちの間に、何の関係性もないなどということはあり得ないし想像もできない。
その皆さまからの、本小説への忌憚のないご感想を今から楽しみにしている。