メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ バックナンバー 第61号 – 第70号

最新号へ

第61号(2012年11月17日配信)

【生命と意識】

複数の医師により、医学的に脳死状態であると診断された人が、
実際には自分が生きていることを認識していて、
医師と両親の間で交わされている次のような会話を聞いていた。
「息子さんは、臓器提供意志表示カードをお持ちでした。
 ご意志に基づき、使うことのできる臓器を摘出させていただきたいのですが……」
「それが息子の意志であれば、そうしていただいて結構です」

(そんな……ぼくは死んでいない!)
心のなかでどんなにそう叫んでも、彼はそれを表現することができない。
しかしたまたま、そこに看護士である従兄弟が到着、
彼が“死んだ”ことに納得できない従兄弟はその足をメスで刺激し、
反射が起きてくるのをみて、騒ぎになったという。
後に回復し、普通に日常生活を営むことができるようになったというこの人は、
果して本当に死んでいたのか、または“生きている”という夢をみていたのか。
しかし、夢をみていたというのであれば、
彼は死んでいなかったということにはならないか……。

身内の話で大変恐縮だが、現在、父には“意識がない”。
私がいつ、実家に帰らなければならないかの判断は難しく、
報せがあってからでは遅過ぎる可能性がある。
そんななか、ある朝、目醒めたとき、
(今日、読みに来る人の予言の葉に、何か書いてある……)と私は感じた。
そしてそのとおり、その人の予言のなかに、
同日、私が実家に帰らねばならないことが書かれていた。

父は人工呼吸器につながれ、呼びかけても、手を握っても、反応しなかった。
ちょうど、会員の方がルルドから水を送ってくださっていたので、
私はこれを脱脂綿に浸し、父の顔と手を拭いた。
翌日行ってみると、父は目を開いていた。
気管に挿管されているので、声はもちろん出せないが、
目が動き、ときにはこちらを見て焦点が合っているようにすら見える。
ふたたび、ルルドの水で顔や手足を拭くと、
翌日、父は嚥下運動のようなことを始めた。
呼吸のモニターを見ていると、人工呼吸器による規則的なそれ以外に、
自発呼吸がわずかながら戻っているようにも見える。
そのおかげで、私は帰京して瞑想講座を行ない、
翌日には<聖書会>と<祈りの会>を行なうこともできた。

現在の父は、医学的には意識がない状態と考えられている。
が、家族のひいき目かもしれないが、私には、
意識はあるように思えてならない。

もともと、人は死んでも、意識がなくなるわけではない。
そう考えると、「生」と「死」とは、
本質的にどこが違うのかということになってくる。
いろいろなことを考え併せれば、実はそれらはあまり違わなくて、
どちらも「生」なのだと考える他なくなってくる。
ただ、生命の物質的な様式が、少し違う。
通常の「生」の状態では、肉体は重く、鬱陶しく、
手入れも大変なので、生きるのには大きな負荷がかかる。
そのような状態では、人は“生きている”だけで速やかに進化する。

進化とは、すなわち幸福のことだ。
人には、その人の意識の進化の度合いに応じてのみ、得られる幸福がある。
進化と、それに応じた幸福が得たいので、
われわれは本能的に生まれようとし(生もうとし)、
生まれたら、今度は少しでも長く生きたい(生きてほしい)と願う。

始まったばかりの【バガヴァッド・ギーター】第5章のテーマは、
ちょうど、「行動のヨーガ」と「放棄のヨーガ」だ。
これらは、ともに人を最終的なゴールに導いてくれるが、
しかし、「行動のヨーガ」は「放棄のヨーガ」に優るとクリシュナ神は語る。
そのことを心の奥底で知っているからこそ、
われわれは生きることを死ぬことよりも優先させるということを、
23日(祝)に解説する。

この日はまた、サイババの誕生日でもある。
サイババは、もちろんもっと長く地上に生きることができたに違いないが、
しかし自ら肉体の衣を脱ぎ棄て、
代わりにわれわれに何かを与えようとされた。
この日、<瞑想くらぶ>の後でプージャを行ない、
私たち全員の心の願いがかなられるべく、ご一緒に祈りを捧げたい。


第62号(2012年12月29日配信)

【願いを成就させるもの】

クリスマスの季節になった。
キリスト教徒でなくとも心華やぐこの時期、
当の彼らはさぞ、うきうきしていることだろうと思うが、
必ずしもそうではない。
肉体をもって相対世界を生きるわれわれには、常に大きな負荷がかかっているので、
特にこの時期、キリスト教徒たちもさまざまな願いを持つものだが、
人間、誰もがそうするように、その多くは成就しにくい類のものだ。
そして通常、彼らはイエスに対しては、そのような難しい願いごとをしない。
かつて自分たちの手で十字架にかけ、
しかしいつの日か、万物の裁き手として再臨するというイエスは、
普通のキリスト教徒にとっては怖い存在だ。
だから願いごとは、女性的な愛と慈しみの象徴であるところの、聖母マリアにする。
彼女は、少々の無理があっても、
多少時期が早くても、
慈しみの心でこれを神に取りなしてくれる。
女神という概念を持たないキリスト教における、
それが“女神”の代償であることは疑いようがない。

これに対し、インドでは少しく事情が異なる。
進んだ瞑想講座をおとりの皆さまには理由がお分かりになるだろうが、
女神は、むしろ力の象徴なのだ。
女神カーリーもドゥルガも、手には刀や槍を持ち、虎の背に乗り、
悪魔の首を次々と刈って回る。

そうしたヒンドゥ教において、では願いを叶えてくださる存在はといえば、
その代表格の一人がアイヤッパ神だ。
ヴィシュヌ神とシヴァ神の愛の結晶として化身したこの神は、
実際に肉体をもつ人間として生き、したがってわれわれの苦しみも理解している。
願いごとを聞き、ときには他の神々を説得し、従わせ、
少々の無理も通してくださる。
そうして毎年、マカラサンクランティの祝日には、
アイヤッパ神の化身としての鷲が聖サバリ山の上空を舞い、
誰も火をつけていないのに、神秘の炎が山上に灯る。

西暦では1月14日〜15日に当たるこの日のために、
インド中から数百万の人びとが訪れる。
この日、聖サバリ山は人、人、人で埋めつくされ、
インド人の友人たちも、「この日行くと生きては帰れないので、
聖サバリ山巡礼はその前に済ませてしまう」と言うくらいだ。
この山に登るのにはそれなりの作法があるが、
それはきわめて厳しいものだ。
かつては裸足で、頭に米やココナツのような供物をどっさり載せ、
人びとは何カ月も歩いてこの山を登攀した。
一生に一度はこれを行ないたいと多くのインド人が願うが、
しかしそのような大巡礼の旅に誰もが出られるわけもなく、
したがって自分の村からこの巡礼に出る者がいれば、
人びとは、彼にコインやギー、米などを託し、
村人総出の大バジャン会を催してこれを送り出すのである。

この度、聖サバリ山巡礼を目前に控えたインドの友人たちが、
なんとわれわれのギーを頭に載せて登ってくれることとなった。
そのギーは、16日のプージャの際、われわれ一人ひとりが少しずつ捧げる。
そうしてインドに渡ったギーは、聖サバリ山においてアイヤッパ神の神像にかけられ、
来年、これを捧げた皆さまの許にもどることとなる。
インドでは、そのギーを使った料理や飲み物、儀式は至上のものとされ、
人びとは争ってこれを欲しがる。
そのような無垢な信仰をもつ人びとの願いを、
アイヤッパ神は惜しげもなく叶え、
そうしてそれぞれの人に、人生の新しい段階が始まっていくのである。


第63号(2013年1月1日配信)

『同志』

高校の倫理の授業で、大木神父が次のような話をされた。
「もしここに、一生懸命努力してなお、どうしても生計が成り立たず、
生きていけなくなった人がいたとします。
その人がパンを盗んだとしたら、国は彼を罰することができるでしょうか?」
もちろん、罰することができるだろうし、実際に社会は彼を罰する。
しかし神父の答えは、「否(いな)」であった。
その根拠として、彼は日本国憲法を挙げた。
『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』
(第25条【国民の生存権】)
国の基本法である憲法にこう保証されているかぎり、
このような人を罰することはできないというのが神父の見解であった。

本来的にはそうであろうが、しかし現実はさまざまな難しい問題を含んでいる。
実際、これを無制限に認めるとすれば、多大なるモラルハザードが起き、
社会は成り立たなくなってしまう。
その典型を、かつてある途上国に赴任した外交官夫人が経験し、話してくれた。
駐在中、現地でお手伝いさんを雇ったが、家のものを盗まれた。
悪びれるふうでもないのでなぜかと聞いたら、彼女はこう答えたという。
「あんた方は金持ちだ、われわれは金がなくて困っている。
あんた方のものをもらうのは当然だ」

父が亡くなり、7日毎の法要のため、毎週実家に帰ろうとしたが、
事情があってそれができなくなってしまった。
そこでその代わり、ということにならないのは分かっているが、
毎週、ホームレスの皆さんにお弁当を配ることにした。
待乳山聖天様で(私は中に入れないが)お祈りをしたあと、
隅田公園に行くと、そこにはいつも橋桁の下に何人かの人たちが住んでいる。
また、上野公園まで足を伸ばせば、
広大な敷地内に段ボールやブルーシートで“住居”を構築した人たちが、
いくつかの“コミュニティ”を創っている。
かつて、1990年代にYさんと一緒に来ていた頃と多少様変わりしているものの、
それでもホームレスの皆さんの生活は、20年近くが経っても基本的に変わらない。
ただ、私にとってなぜか今年の冬はことの他寒く感じられ、
1時間も配っていると凍えそうになる。
実際、お弁当を手渡そうとすると、普段はあまりいろいろ願い事をしないこの人たちから、
「ホッカイロはないですか?」と聞かれることがあった。
「夜は寝られないんです」と言う人がいるとき、
その理由は、「寒いから寝られない」というよりも、
「寒いから寝てはいけない」のだ。
なのでこの人は、夜は起きていて、寝ても死なないであろう昼間に眠る。

この皆さんに何十年、お弁当を配っていても、ホッカイロを渡したとしても、
彼らが幸せになれるわけではもちろんない。
皆さんが体力を回復し、社会復帰されるのが理想であるが、現実にはそれも難しい。
こうしていると必ず、「おまえたちがこんなふうに弁当配ったりするから、
彼らはいつまでも仕事をしない」と言われることになるが、
それにもそれなりの理があると、私も思う。
どんなことをしていても、この社会では生きていける、
なんとかして公園であれ、橋下であれ、寝させてもらえると思うからこそ、
厳しい社会から逃避して路上生活に入る人がいる、という理屈だ。

それはその通りかもしれないのだが、
しかしこの寒さのなか、いくら服を着込んでいるとはいえ、
ダンボール一枚を寝床にして一夜を明かすのがどんなに過酷かを思えば、
「好きでそうしているんだろう」などとも言っていられない。
実際、ときには「もうダメかと思いました……」と言うような人もいたりするので、
いまだにこれをやめることができない。

皆さんの段ボールの家からふと振り返って見れば、
一方は上野の繁華街、もう一方は不忍池をはさんで高級マンションに燈が灯っていた。
どこに、どんなふうに生きる人たちにも、
それぞれによい年が訪れてほしいと思いながらあっという間に20年が経ち、
その間、私を無条件で支え続けてくれたYさんは、
とてもよい友達から、無二の友・無類の同志となってしまった。
申し訳ないことだとつくづく思う。
でも、もしでき得ることなら<プレマ倶楽部>の皆さんそれぞれと、末永く、
そのような深いつながりを築きながら進化していきたいという願いとともに、年を越した。
新年のプージャでもそれを神々に願い、ご一緒に祈りを捧げたいと思う。


第64号(2013年2月15日配信)

つい先日、うっかりしている間に誕生日を迎え、54になってしまった。
昨年、53になったのに、しばらくは“52”だと自分で思っていたので、
今年はたぶん、間違いないと思う。
しかし、皆さんからいただいたメールのなかには、
53歳の誕生日おめでとう! というものもあり、
それだったらまことにめでたかったのに……と苦笑した。

ところで今週、いったい自分は誕生日の“お祝い”に何を一番したいのかを考えた。
子供の頃、釣りと野球が好きだった。
最近、実家に帰る機会が増え、その度に思い出さないではないが、
さすがに今、釣りや野球をするわけにもいかない。
心安らぐことのあまりない現在、一番癒されるのは、
ホームレスの皆さんに毛布やホカロン、マスク等を配りに行くことだと思い、
夜になってから上野公園に出かけた。

実はこの前の連休、聖者の指示により四国のお寺を巡る機会に恵まれたが、
四国八十八カ所のなかでもっとも高地に位置する雲辺寺では、
雪が積もり、氷となり、気温は零下3度だった。
今まで、聖者の指示されるさまざまな場所で瞑想してきたが、
間違いなく最寒記録の更新だ。
ところが、2月12日、毛布を配りに行くと、
上野公園はそれよりもさらに寒いと感じてしまったのだった。

多くのホームレスの皆さんはダンボールで小さなカプセルを作り、
そのなかで休んでおられるが、そうしたダンボールもない方もいる。
なかには読書家で、本を持ちながらホームレス生活を送っている方、
さらには、自ら本を書いているという方もいて、お話しをしていても飽きない。
が、寒さにはじきに耐えられなくなってくる。
そんななか、彼らはわれわれよりもはるかに薄着で、いつまでも話し続けるのだから、
このような生活を送るには、やはり相当の体力が必要だということが分かる。

もう一つは、前回の<聖書会>で紹介したイエスの言葉、
『持つ者はますます富み、
持たない者は、持っているものまでも取り上げられる』ということの真実である。
皆さんの不満の一つは、
公園の警備に国は年間3000万円も使って、何をするかというと、
自分たちの毛布やダンボールを取り上げていく、というものだった。
あるいは、生活保護を受けられる“裕福な”人が炊き出しに並んで、
本当に食べるもののない人の分まで手を出そうとする、という話だ。

この皆さんも、もちろん、公園に住んでいいと思っているわけではないが、
今週解説する聖書の箇所にはまた、こう書かれている。
『わたしは口を開いてたとえを用い
天地創造のときから隠れされていたことを告げる』
天地創造のときから隠されていることを、
言葉で直接的に表現することなど、誰にもできない。
しかしイエスは、それをたとえで話そうとされ、
当時の、あの地方の、あの伝統や宗教のなかで生きる人たちに、
通常では理解できない真理を明かした。
その明かしっぷりはあまりに見事なので、
次回の【聖書会】はもっぱらその話になると思うが、
しかし今、ホームレスの皆さんとおしゃべりすることのなかにも、
さまざまに興味深い真実が含まれている。
マザー・テレサは、これらの人のなかにイエスを見るからこそ、
自分は彼らを助けないではいられないのだと言ったが、
私も、ちょっとしたイエスの片鱗を彼らのなかに見つけるのが好きだ。
そうした関連のなかで、今月の箇所の解説をしていきたいと思っている。


第65号(2013年2月25日配信)

【清めの祈り】

『心優しい御父よ、
 この時代をあなたの激しい怒りで打たないでください……』

最近、こうして始まる願いを祈ってほしいというメールを、ある方から受け取った。
「御父よ」と呼びかけるのであるから、キリスト教の祈りであるが、
しかし、「心優しい」という点が、珍しい。
だが、この祈りは、次のように続く。

『彼らが完全に滅びてしまわないように。
 苦しみ悲嘆にくれるあなたの群れを罰しないでください、
 水が干上がり、自然が枯れてしまうことのないように。
 すべてがあなたの激怒に圧倒され、跡形も無く消え去ってしまうでしょう……』

すなわち、キリスト教の語る終末を、どうか回避させてくださいという祈りなのだ。
その終末とは、一体どのようなものなのか。

『あなたの息の熱で地上は燃え上がり、ただの荒れ地と化してしまうでしょう! 
 地平線から一つの星が見えてきます。
 その夜は破壊され、灰が冬の雪のように降り、あなたの民を幽霊のように覆うでしょう』

「地平線から一つの星が見えてきます」という文言に、いやでも目が止まった。
なぜなら、最後のときは、
もしかしたら彗星などの衝突が関係するかもしれないということが、
巷間、ささやかれてきたからだ。
そうして、私がこの祈りを目にした3日後、ロシアに隕石が落ちた。

隕石は、直径約17メートル、
広島型原爆の30倍ものエネルギーを、衝撃波として放出したという。
現地付近には、原子力関連施設が多数あったというから、空恐ろしい。
しかしこれがもし、直径50メートルであれば広島型の約1000倍、
6500万年前にユカタン半島に堕ちた直径10キロほどの小惑星は、
水爆にして数億個分のエネルギーを放出した。
推定マグニチュード12〜14という巨大地震が起こり、火山が噴火し、
何メートルではなく、高さ何キロもの津波に地表は洗われたとされる。
こうして巻き上げられた塵は成層圏から中間圏に舞い上がって地球を覆い、
二億年にわたって地上を支配してきた恐竜も、寒さのなかで死滅した。

歴史上、こうした隕石の衝突は、避けがたく、“ときおり”起きてきた。
たとえば1990年代には、
月ほどの距離にまで接近した小惑星が4つあったといわれるが、
そのようなものが衝突すれば、人類は確実に死滅することになる。

この祈りを唱えるよう広く人びとに語りかけている人は、
十数年前からイエスのご出現をうけ、さまざまな会話を交わしている。
各地にご出現になっている聖母マリアも、同様に、
『御父の怒りの手を、わたしはもう、支えきれません』と言っておられる。
どんな人生においても、したいこと、しなければならないことは、
早め早めにしなければならないものではあるが、
今の時代は特にそうなのかもしれない。

しかしその一方で思うのは、それでも、焦る必要はないということだ。
祈り、瞑想を続けながら、淡々と、適切な方法で行なえば、
いかなることも、それで遅過ぎるということにはならない。
すべては、神の摂理に従って進むだろう。
少なくとも私は、そう信じている。


第66号(2013年3月29日配信)

【桜仙人】

あんなに厳しかった冬が足早に過ぎ、季節外れの桜が咲いた。
「桜前線」という言葉があるように、
前線は、南のほうから徐々に北上してくるものと思っていた。
だから中国地方や関西地方では、とっくの昔に咲いていると思っていたのに、
先日、やっと三分咲きですというメールをいただき、驚いた。
東京の桜は、すでに満開を過ぎ、散っていく季節に入っている。

昨年の1月25日、Yさんのご尊父が法然上人800年目の命日に亡くなり、
11月24日、不肖・私の父がインドの暦上のサイババの誕生日に亡くなった。
以前にも書いたように、
毎月25日近辺に上野公園や隅田公園のホームレスの皆さんにお食事などを配るのは、
最初はその供養を意識してのことだった。
が、その後、短い期間に何人かの会員様のご親族が亡くなり、
また、皆さんからそれぞれの願いを託されることもあるので、
最近はそうした願いの実現に想いを込めて行くようになった。

今月は24日も25日もそれができず、やっと28日になって行ってみると、
上野公園の桜は、まるで待ってくれていたかのように、いまだ“満開”だった。
実は私は、いつかここで、ホームレスの皆さんとお弁当を食べてみたいなどと思っていた。
(黙って、一緒に490円のコロッケ弁当をいただく。
 美味い……生命の歓びが湧き上がり、ハラリと桜が散っていく……)
そんな光景を勝手に想像していたが、
現実には多くの花見客が訪れ、思い思いの宴会が繰り広げられていた。
この人出は一体、なに??
さらには、色とりどりの屋台も多数出店して、
いまだ週の半ばだというのに、上野公園は華やいでいた。

ところで、4月7日(日)に解説する【バガヴァッド・ギーター】第5章のなかには、
こんな意味深な文言が登場する。

『自己が外界との接触に影響されない人は、真我の中の「あの幸福」を知っている』

他人の意識の内側をわれわれが真に知る術はないが、
もしかしてこうしてホームレスをしている皆さんのなかには、
このような意識状態の人がいるやも知れぬと思うことが、たまにある。
この日も、ここでの生活30年という仙人おじさんにお弁当を渡したが、
(よくあの厳しい冬をこうして生き延びて……!)などと思うのはこちらの勝手で、
おじさん自身は満開の桜にも劣らぬ底抜けの笑顔でわれわれを迎えてくれる。
世俗で(彼らから見れば)裕福な生活をしているはずのわれわれが、
眉間にシワ寄せ、目を充血させ、口内炎を作りながら生きているというのに……。
『これらの小さな者にしてくれたことは、すなわち、わたしにしてくれたことだ』
とイエスは語り、
「わたしはそのためにこうした事業を行なってきた」
とマザー・テレサは言ったが、
もしかしたらこの人たちのなかに人知れず“仙人”がいるかもしれないなどと想像すると、
この上もない花見と、極上の食事にあずかったような、
そんな気分になって上野を後にさせてもらうのである。

※厳しい冬をしのぐためにと皆さんから託された毛布、ホカロン、マスク等は、
 おおむね、すべて配り終えました。
 ホームレスの皆さんになり代わり、
 お心遣いにあらためて、心からの感謝を申し上げます。


第67号(2013年5月14日配信)

【大陸の浮沈】

『この時期、アトランティス大陸はふたたび浮上し、その姿を現す……』
20世紀を代表する予言者の一人といわれたエドガー・ケイシーは、
かつてトランス状態でこう語った。彼はまた、
『ヨーロッパは、一瞬のうちに凍りつき』
『日本は、そのほとんどが海中に姿を消す』
『こうした動きは、1958年から1998年の間に始まるだろう』……
とも言っている。
今のところ、これらは外れているように見えるが、
しかし彼の医学的なリーディングには興味深いものが多々あり、
多くの研究者による研究対象となってきた。

ところで、共同通信によれば、
ブラジル・リオデジャネイロ沖の大西洋にある海底台地で、
陸地にしか存在しないはずの花崗岩が大量に見つかったという。
ブラジル側の研究者は、これをもって、
「アトランティス大陸のような陸地が存在した極めて強い証拠」としている。

アトランティスは、古代ギリシャの哲学者プラトンも記した伝説の大陸で、
精神世界の人びとにはなにかとなじみ深い。
高度な文明を誇ったが、しかし文明の常として道徳の頽廃を招き、
約1万2000年前の洪水で海中に没したとされる。

実は今回の研究には、日本の有人潜水調査船「しんかい6500」が用いられた。
だが、花崗岩が見つかった海底台地が沈んだのは、地質学的には数千万年前で、
人の手によると思われる建造物は見つかっていないのだから、
これをアトランティス大陸の発見と言うには早計だろう。

エドガー・ケイシーは、他にも印象深い予言をいくつか残している。
『ハワイ周辺の陸地は、隆起する』というのをその昔読んだときは、
やはり、邪悪なことをしてきた土地は沈み、
善良で、霊的な人びとは上げられるのかと思ったものだ。
しかし、東北の善良な人びとが苦しみ、その逆に見えるケースも見るにつけ、
作用・反作用の法則も(その本質は単純でも)、
現象として顕れるときには必ずしもいつも単純明快ではないことが分かる。
しかしそれでも、人びとが純朴で、自然の法則を犯していない地は、
比較的平穏ではあろうから、
たとえいつの日かハワイが隆起しても怪しむには足らない。
太古の時代にこの惑星にどんな人が住み、本当はどんなことがあったのかは誰も知らず、
今回の旅行でわれわれが泊まるワイキキの海岸線も、
いつまでも今のままではないかもしれず、
地球は姿かたちを変えていくのかもしれない。
そう考えると、歴史上のある時期、ある地点で生きているわれわれは、
一瞬一瞬、一期一会を愛おしみながら、
二度とはない今回の人生を過ごしたいものだと思ってしまう。


第68号(2013年5月31日配信)

「差し出がましい意見かと思いますが、ハワイでのチャリティは、
 もしホームレスの方々のお食事を考えていらっしゃるのであれば、
 私としてはあまりお勧めできません……」
こんなメールを、ハワイに住む友人から受け取った。
ハワイは観光で成り立っている島なのに、
観光の目玉となる主要なビーチや公園に、法の網をくぐり抜けながら、
たくさんの人たちがテントを張って住んでいるという。
彼らのほとんどは、アメリカ本土から片道の航空券でやってきた人たちだ。
州から支給される食品無料券も持っていれば、中には車を持っている人もいる。

今回ハワイで、何らかの慈善を行なわなければならないが、
もともと私も、ホームレスの皆さんへのお食事は考えていなかった。
上野公園で極寒の冬を、死と向かい合わせになりながら生きている人たちと、
美しい星空のもと、暖かい南の楽園で過ごしておられる皆さんとは、
同じホームレスといっても、やや性格の異なる面がありそうにみえる。
もちろんすべては個々別々の事情によるものではあるし、
どこかで明確に線引きができるものではないので、
日本においても、ホームレスの皆さんにお食事を配る際には、
それが彼らをより堕落させてはいないかを、常に自分に問いかけながら行なうこととなる。
が、冬の夜、食事を渡すと「もうダメかと思いました……」などと言われると、
難しい問題はさておき、ともかくも生きていていただかなければと思ってしまう。

ちなみに、今後の世界と日本を見ていくなかで、
食糧の問題、すなわち農業は、鍵となるものの一つであるに違いない。
特にわが国では、これから食糧問題、農業問題は厳しさが増していくことが予想される。
しかし、前政権が考えていたように、
農家にお金をばらまけばそれでよいという考え方にはどうしても賛成できない。
これこそ、まさに第一次産業であり、われわれの生活の基盤なのだから、
ここは日本の農業を強めていく方策を考える他に方法はないのである。

今回行なうチャリティをどうするかはまだ決まっていないが、
ハワイにもその伝統農法を復興しようという人びとがいて、
厳しい財政状況のなか、種々の試みを行なっておられることを最近知った。
その人たちをささやかでも経済的に支援し、
さらには実際に体を動かして援農してこられればよいかなどと、
さまざまに夢想している。

ところで、6月9日の【バガヴァッド・ギーター】は、
いよいよ第6章に入っていく。
【ギーター】全体の基盤とも、第1章から第5章までの集大成ともいえる章だ。
二つの異なった道と思われた<サーンキヤ>と<ヨーガ>、
出家の人生と在家の人生は、
実質的には一つの統合された巨大な<道>であることが、
徐々に明らかにされていく。


第69号(2013年7月29日配信)

ちょうど1年ほど前、『ルルド』という映画を観た。
世界中からここを訪れる巡礼団のなかには、多くの病人が含まれる。
彼らのいくらかは不治の病で、ルルドにおける奇跡の治癒を望んでいるが、
映画『ルルド』にも、そのような少女が登場する。
彼女は全身が麻痺しており、車椅子で生活し、
起き上がるにも、ベッドに横になるにも、介助が必要だ。
それ以外には、特別に信心深いわけでも特別に神を否定するわけでもない、
普通の少女である。
ところがある夜、聖母マリアの夢を見た彼女は、ほどなくして自分で、
まるで当たり前のように車椅子から立ち上がる。
それを目の当たりにすることとなった巡礼団のメンバーからの、
沸き上がる拍手と祝福……。

だが、そうした巡礼も日、一日と時を経るうち、
メンバーの間に微妙な空気の変化が起きてくる。
(この子、特に敬虔なわけでもないわよね……)
(この子が今まで、どんな立派なことをしてきたというの?)
(どうしてこの子で、うちの子ではないの?)
そしてとうとう、マリア様は何を基準に奇跡を起こす相手を選ぶのですかと、
司祭に“抗議”する者まで現れる。
映画は、聖母マリアによる奇跡の単なる礼賛ではなく、
このような人間心理の内側がテーマとなっている。

苦しんでいる隣人の苦しみが取り除かれたとき、
誰もが喜びを共にし、ときには震えるような感動を覚えることすらある。
しかしそうであるにしても、もしかしたら、新たな幸せに酔う当の本人は、
幸せのあまり、以前に受け取った周りからの好意を忘れてしまうかもしれない。
うまくいっている間は感謝したその相手を、
うまくいかなくなると今度は非難するかもしれない。
思わぬ忘恩の言葉を吐いたり、
人びとの好意を無にする行動に出るかもしれない。
私たちの誰もが、そうしたことを経験し、失望した経験を持つと同時に、
逆に自分自身が、そのようなことをする可能性も秘めている。

『人は、あなたからの恩を忘れるでしょう。
 それでも、助け続けなさい』
マザー・テレサは、そんな言葉を遺した。
そう口にするまでには、このような経験を彼女はいやというほどしたに違いない。
彼女が偉かったのは、おそらく、
“助ける”ことを始めたのもさることながら、それでもこれを続けた点にある。

助ける側も、助けられる側も、悟りを啓く前の未完成の人間なので、
結局はそのようにしながら、両方が進化していくことになる。
先に助けた人は、後には助けられるかもしれない。
一回の人生で助けた人は、別の人生では助けられ、
助けられた人は、別の人生で助けることになるかもしれない。
相対世界で肉体をもって生きるというのは、そうしたことの繰り返しだ。
人によって、場合によって、それがややスムーズであったり、
やや困難であったりするかの違いはあるだろうが、
いずれにしても淡々と、結果を思い煩うことなくそれを繰り返したとき、
ゴールは意外と近いのかもしれないと、私は秘かに思っている。


第70号(2013年8月26日配信)

『「ボール!」
判定と同時に、エースは天を仰いだ。笑みを浮かべてはいたものの、
内実は、「どうして?!」と納得のいかない様子だった。
私もテレビ画面を見ていて勝手に、今のはストライクだと思った。
こうして、押し出しという形で、佐賀北高校に最初の1点が入った。
だが、まだ4-1。試合は広陵高校の側の一方的なゲームだ。
流れからして、満塁ホームランでも打たれない限り大丈夫。
広島県民の誰もがそう思っていた。
が、それなのに、なんと次打者の3球目、
強振した打球はレフトの頭上を超え、スタンドに吸い込まれていった。
まさかの逆転満塁ホームラン。
そのまま、広陵高校は試合に敗れ、真紅の大優勝旗を逸した。
あの一球。ボールと判定した審判の心のなかにはひょっとして、
次のような気持ちは微塵もなかったといえるだろうか。
(決勝戦なのにワンサイドゲーム。一点くらい返させてやりたい……)
エースは、おそらく感じていたに違いない。
(あのコースをボールにとられるのであれば、もっと中へ集めなくては……)
こうして、ボールは真ん中に入っていった……』

以上は、今から6年前、平成19年8月22日に書いたものだ。
第89回夏の甲子園大会決勝で、一球の判定に泣いた広陵の野村祐輔君。
その後、悲運のエースと呼ばれた彼は野球をやめ、
大学を卒業して普通のサラリーマンになった。ささやかながらも幸せな家庭を築き……
というパターンを勝手に想像していたのだが、現実はまったく違った。
なんと彼は、東京六大学で活躍し、広島カープにドラフト一位指名されるや、
いきなり新人王、そして今や准エース級投手だ。
まことに、人間万事、塞翁が馬だ。

さらに大きなスケールの変遷を、われわれは今、田中将大にみることができる。
高校二年で夏の甲子園を連覇、早くも優勝投手となった彼は、
しかし翌年の春の選抜大会では、他部員の不祥事によって出場辞退を余儀なくされた。
満を持して登場したのが、平成18年夏の大会だ。
母校・駒大苫小牧には、夏の甲子園三連覇という偉業がかかっていた。
が、その前に立ちふさがったのが、早稲田実業の“ハンカチ王子”斎藤佑樹だった。
田中は決勝の15回を投げ合ったが決着がつかず、
翌日の再試合では3-4で敗れた。
続いて、秋の国体でも斎藤と投げ合い、
田中はたった1失点に抑えたのに、斎藤に完封されて敗戦。
まだ高校生だ。心から、悔しかったに違いない。
その後、斎藤は大学に進学し、田中は即、プロ入りした。
両方とも正解だったとしか思えない。
そして今、甲子園で涙を呑んだ田中は、開幕18連勝、
シーズンをまたいで22連勝という、とてつもない記録を更新中だ。
実に、昨年の8月26日から今まで、まる一年間負けていないのである。
このような大記録が、今後二十年や三十年で更新されるとは、ちょっと想像しにくい。

田中がこれからどれほどの投手になっていくのか、
片や、いまだプロとしては啼かず飛ばずのハンカチ王子がどうなるのか、
それは誰にも分からない。
夏の甲子園決勝でノーヒット・ノーランを達成し、春夏連覇をなし遂げたあの松坂大輔も、
総額120億円でボストン・レッドソックスと6年契約を結んだが、今は低迷している。

どんな世界にいるどの人も、いいことばかりは起きないし、悪いことばかりも続かない。
誰もが、否定的なカルマと肯定的なカルマの両方を背負って生まれてきているからだ。
そんななかで、倦まずたゆまず、こつこつ、淡々と自分のダルマを果たす人、
そういう人が、傍からの見た目に関わらず、結局は勝つことになる。
それには、実は松坂や田中のような特別な才能を必要としない。
強いていえば、「続ける」という才能が必要なのかもしれない。
しかしそうした結果、彼は真の意味で、人生の勝者となる。
そしてその果実は、今生の間にも享受できるだろうが、
死んだ後の世界で、そして生まれ変わった後で、
より大きく、より多様なかたちで受けとることになるのだと、私は思う。


第71号へ
最新号へ