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青山圭秀エッセイ
最新号(第192号 2026年1月1日配信)より

『人間五十年』

「人間五十年 下天(げてん)の内をくらぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」
大河ドラマの多くで描かれる、本能寺を奇襲された信長は、かく唄い、舞いながら炎のなかで命を落とす。
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
裸一貫から天下人に成りあがり、位人臣を極めた秀吉も、最期は人の世のはかなさを嘆きつつ亡くなった。
「人の一生は重荷を負(おう)て遠き道を行くが如し」
二百数十年になんなんとする独裁政権を樹立した徳川家康も、人生の本質をこう呟きつつ死んでいった。
一体、人の寿命とは本来、どれくらいなのだろうか。
最新の科学的研究によると、それぞれの生物種の寿命はそのDNAに予め書き込まれており、
それによると人間の自然な寿命は38年程度と推計される。
ちなみに、同じ脊椎動物でも、種によって大きく寿命は異なる。
ハゼの仲間は8週間しか生きられないが、サメのなかには400歳を超える個体も見つかっているくらいだ。
それにしても、ヒトの自然寿命のなんと短いことだろう。

実際、人間の平均寿命は、1800年頃までは先進諸国でも30歳そこそこだったと推定されている。
衛生・栄養状態の改善により、100年後、それが40歳くらいまで伸びたが、
20世紀に入るとさらなる医療・医学の発展により、人は容易に死ななくなった。
そうして次の100年の間に、平均寿命はかつての倍、80歳近くまで伸びたのである。

寿命が伸びて万々歳と思いきや、結果、しかし人類には新たな難題がもち上がった。
われわれは「老い」を経験するようになったのである。
かつて三十代までで多くの人が亡くなっていた時代、
ガンや心臓病で苦しむ人はほとんどいなかったに違いない。
現在、多くの人びとが家族を巻き込んで苦しんでいる認知症ともなればなおさらだ。
長生きできるようになったはいいが、どのように生きるのか、
さらにはなぜ生きるのかが、より切実に問われることとなったのである。

現在、ChatGPTやGeminiを使用して、その精度に驚かない人はいないだろう。
しかしこうした人工知能は、これから先、さらに指数関数的発達を遂げる。
量子コンピュータは、現在のコンピュータを使って宇宙が始まって以来解けない量の問題を、
ほんの数時間で解くようになるかもしれない。
核融合発電が実用化されたときには、
海水中の重水素だけで数十~数百億年分の人類のエネルギーを賄えるともいわれる。
科学の発展により、ヒトの平均寿命も80から100へ、さらにはもっと先まで伸びていくかもしれない。
この世代の間にそうした科学・技術の進化を享受しようとしている人類が、
もし自らの意識を同様に進化させないのであれば、または逆に退化させるのであれば、
そのアンバランスは文明に破滅的な情況をもたらすことになるだろうと私は思う。
または、人類がそうしなくても、自然界がそのようにするだろう。

別の科学的推計によれば、現在のように地球を搾取する生き方を続けるのであれば、
地球上の人口は30億人が限界だという。
しかし一昨年、世界人口は80億人を超え、半数以上の人びとは実際、飢餓や貧困に苦しんでいる。
多くの人が生まれ、肉体をもって急速な進化の流れに乗ることは、本来素晴らしいことのはずだ。
しかし限られたこの惑星に生きるには、それなりの規律や規範がある。
それは、地上に生きるわれわれだけの問題ではなく、
地上と天界を一体として統治されている神々とも、実は深く関係している。
われわれがそうした基本的な礼を失するのであれば、
自然界は、すなわち神々は、
なんらかの教育的措置を講じざるを得なくなるだろう。
われわれの多くはそれを無機質な自然現象として「仕方ない」と思うかもしれないが、
実際、それらはわれわれの意識状態の反映に過ぎない。

祈りと瞑想を続けること、先人を敬い、身近な人を愛すること、
苦しんでいる人たちを可能なかぎり助けること、神々に感謝と礼拝を捧げること……
それらを今年もなんとか続けていきたい。
一人ひとりは微力かもしれない。
だから心を合わせ、力を合わせて一緒に進んで行くよう、
神々も聖者も命じておられるものと私は思う。