青山圭秀エッセイ バックナンバー 第171号 –

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第171号(2023年12月17日配信)

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第172号(2023年12月20日配信)

『合理性と純粋性』

王・長島といったとき、今の若い人たちにどれくらいのインパクトがあるのか分からない。 かつては、彼らが日本のプロ野球の、したがってプロスポーツのほとんどすべてと言ってよいような時代があった。
「王・長島の年俸を併せるとなんと一億!」というニュースに驚愕したとき、私は小学生だった。 万という単位にすら馴染みがないのに、そのまた一万倍なのだ。
長島の引退後、王は二度の三冠王を経てホームランの生涯通算記録に挑み続けた。 努力の天才ともいわれたこの人は「世界のホームラン王」と呼ばれるようになったが、しかしその年俸が“億”に届くことはついになかった。

王の引退から20年後、もう一人の天才が海を渡った。
「イチロー」として知られる鈴木一朗は、大リーグに渡った最初の年から首位打者、MVP、新人王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを総なめにするという信じられないことをやってのけた。
そうして4年後、ついに年間安打数262という大リーグ記録を樹立する。 ジョージ・シスラー以来、一世紀近く破られず、誰にも不可能といわれていた記録だった。
3年後、イチローの契約が更新されたときの爽快感は、今も忘れられない。
5年で9000万ドル(約110億円)。
「年収500万円なら、弥生時代からかかる金額」とは、イチロー本人の表現だ。
彼はまた、こうも言っている。
「その時、そのとき、やるべきことをやって気がついたら、信じられないような高みにいた」

そうしてつい先日、一人の日本人選手が10年総額7億ドル(約1015億円)という契約を勝ち取った。 年の半分、一日8時間労働として時給700万円、年収500万円なら2千年ではない、2万年かかる。
日本人の平均年俸458万円で2万2200年分、世界のホームラン王の最終年俸1200年分だ。
中学・高校の後輩が広島のプロ球団を持っているが、
「松田クンが10年1000億出せば、カープに来てくれるかもよ」などと冗談を言った私が馬鹿だった。
ただしこの金額、大谷選手自身は、ドジャース在籍中にはほとんど手にしない。 年間“わずか”3億円弱を受け取り、残りの97%はその後の10年間で受け取る契約になっている。
その間、球団がぜいたく税を回避し、他選手に投資できるようにという配慮から大谷本人が提案したというが、アメリカ人はそれにも驚愕したはずだ。

仮にインフレ率が年5%で推移した場合、現在の100億円は10年後には61億円の価値しかない。 10%ならなんと39億円だ。(逆に、無利息でこれを借りられれば、その人は濡れ手に粟の大儲けをしたことになる。)
つまり大谷は、これくらいの割で年俸が目減りすることを見越してでも、
「他選手に投資して勝てるチームを作ってください」と言ったことになる。
逆に球団側は、実質半額程度の出費で大谷を獲得した。

実は大谷は、過去にもそれに匹敵する「経済合理性」を無視した決断を下している。
2017年、メジャー挑戦を表明、エンゼルスと契約したが、年棒は6100万円、当時日本ハムからもらっていた額の1/4以下となった。 25歳以下の選手との契約が、大リーグで制限されていたからだ。
あと2年待てば100億円規模の契約が可能といわれていた当時、常人の下せる判断ではない。
このとき、日本ハム監督だった栗山が、
「翔平、なぜ、なぜ今なんだ? オレを納得させてくれ!」と迫った。
それに対して大谷はこう言ったという。
「監督、成功するとか、失敗するとかは問題じゃないんです。あれだけのすごい選手たちが向こうにいて、そこに戦いに行く。それだけなんです」――

かつて、ヴェーダの聖仙はこう言った。
『成功は、合理性よりも、純粋性からもたらされる』
太古の昔も、今も、そしてこれから先も変わらぬ真理を、現代の若者から学ばされる。


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