青山圭秀エッセイ バックナンバー 第181号 –

最新号へ

第181号(2024年8月29日配信)

『パリハーラムの傘』

今、日本で 、そして世界で何が起きているのか……。
それは正確には分からない。
しかし深いレベルで何かが起きつつあるらしいことは誰にも分かるし、感じられる。

今回進行中のパリハーラムが出てきたとき、そこにはこう書かれていた。
『現在、経済は平穏に推移している。
 そのために今、おまえがしなければならないことがある。
おまえたち自身の「経済」と、そして「安全」「健康」のため……』
???……
普通、ものごとが順調であれば、パリハーラムはしなくてよいかという気になる。
しかしここでは、“経済が平穏な”今、しなければならないことがあるとして、巨大なパリハーラムが処方されていた。
あまりの規模に、一度には費用を用意しきれない。そのためか、
『「葉の礼拝の儀式」は二度に分けて行ない、最初の回は、7月15日までに行ないなさい』
と指示されており、これに従い、7月14日に第一回目を行なった。
その際には、パリハーラムの一環として、10月の巡礼旅行にご招待する方を5人、抽選でお選びした。
『二回目の「葉の礼拝の儀式」は、9月15日までに行ないなさい』
とされているとおり、9月14日(土)、これを行なう予定であるが、7月下旬になって突然、新たな指示が現れた。
「スリ・インドラークシ・スワルナガルシャナ・バイラヴァ・マハーヤーハム」直訳すると、
「(至高の三神を支える女神)インドラークシと(最恐のシヴァ)バイラヴァ神に捧げ、黄金を授かる大祭祀」
聞いたことのないこのホーマをできるだけ早く行なうようにというのだが、大規模なホーマをそう簡単に準備できるはずもない。
ところが、それからほんの数日の間に、われわれはいくつかの象徴的な出来事を目にすることとなった。

新しい指示が出た直後の7月31日、イスラム組織ハマスの最高指導者ハニヤ氏が、訪問先のイランで殺害された。
面子を潰されたイランは激怒、即座にイスラエルに対する報復攻撃を宣言した。
これにより、ヨルダン川西域の“紛争”と思っていたものが、一気に中東全体の「戦争」へと発展する可能性が現実味を帯びた。

次いで数日後、日本では株式市場が騒然となった。
緩やかな正常化を目指していたはずの日銀が、政治家の圧力に屈して唐突な利上げに踏み切って驚いていたら、ほぼ同時にアメリカ経済のリセッション入りを懸念させる統計が発表され、不安定な世界情勢とも相まって、翌8月5日(月)の株式市場は売り一色となった。
今まで金利の安い円を借りて、他国の通貨で稼いでいた人びとが一斉に円買い戻しに走り、結果1ドル=162円から141円に急落、円安に支えられていた株価も暴落した。

今や、日本株取り引きの約7割はコンピュータによるプログラム売買で成り立っているといわれる。
通常の人間であればある程度上がったらそれ以上買いたいとは思わないし、ある程度安くなったらそれ以上売りたいとは思わない。
ところが、コンピュータには常識や良識、感情や節度などが組み込まれてないらしく、そんなことはお構いなしにプログラム通りの指示を出した。
買いだとなればどこまでも買い、売りだとなればどこまでも売る。
こうして、7月中旬に史上最高値をつけたはずの日経平均は、あれよあれよという間に史上最大の暴落に見舞われた。

これからどうなるのか、それについては予断を許さない。
専門家のなかには、じきに4万円を回復して、5万円、10万円にもなるだろうと予想する者がいる。
そうかと思うと、同じく専門家と呼ばれる人びとのなかには、日経平均株価はいずれ今の1/3、1/4に暴落、それどころか資本主義経済自体が崩壊するという見立てすらある。

思えば、「アベノミクス」の掲げた極端な金融政策は「異次元緩和」などと呼ばれたが、要するにそれは経済学の基本を無視した“禁じ手”であることが早くから指摘されていた。
当初、「マネタリーベースを二倍にすることで、二年で物価(上昇率)2%を達成する」と言っていた黒田日銀総裁(当時)も、思ったような効果を挙げることなく、10年以上も異常な緩和を続けることになろうとは、およそ想像していなかったに違いない。
そうして実際、やっと物価が2%を達成したときには、実はその原因が極端な円安によるものだったという、国民生活にとってはまことに厳しい現実が訪れた。
8月5日の暴落を「植田ショック」と呼ぶ人がいるが、実は過去10年にも及ぶ“禁じ手”政策のツケが、ごく一部廻ってきたに過ぎない。
ツケの全体がどれほどの規模になるのかは誰にも分からない。
要するに、国力全体が低下したのである。
そしてその結果、不況とインフレが同時に進行する、いわゆる「スタグフレーション」の影がすぐそこまで忍び寄っている。

ところで、私の教養ある知人のなかにも、「もっと株価が下がればいい、ついでに資本主義経済が崩壊したらいい」と言う人たちが常にいる。
いわゆる“精神世界”にも、そのような事態を嬉々として予言する人がいるのも事実だ。
たしかに、資本主義経済のもとでは貧富の差が拡大し、それが不公平感となって顕在化する傾向にある。
よってそのような社会はいっそ崩壊したらよいというのであるが、私はその気持ちだけは理解できる一方、考え方には必ずしも賛同できない。
資本主義経済が崩壊したとき、たしかに金持ちの皆さんは巨額の損失を被るだろうが、もっとも苦しむのがわれわれいわゆる庶民となることは間違いない。
戦後の闇市のような、文字どおり「喰うや喰わず」の状態が訪れるのである。
そんなとき、金持ちが自分たちと同じになるのだからいい気味だと思っていたら、実際には金持ちよりも先に私たちが飢える。
そんなことになってよいはずがないのである。

経済が大混乱するなか、追い打ちをかけるように地震が発生した。
8月8日午後4時42分ごろ、震源は宮崎県の日向灘沖、マグニチュード(M)7.1は決して小さくない。
これを受けて政府は同地域での巨大地震発生の可能性が高まったと判断、同日夜「南海トラフ地震臨時情報」を発出した。
最初の揺れ以降の一週間がもっとも危険性が高いという。
もともと、地震予知は現在の科学では極めて困難で、事実上不可能に近い。
にも係わらず、可能性が高まったことは確かであるとして「巨大地震注意報」が出された。
長く生きてきたがもちろん、生まれて初めての経験である。

遡ること13年前、東日本大震災の直後に出てきた予言には、こう書かれていた。
『今回、自然界は全力でこなかったが、蓄積されたゆがみやひずみはいつかは解消されなければならない。 だが、おまえたちの祈りや儀式、善行は、それを軽減する力をもっている……』
今回、新たに出てきた予言では、
『(自然災害による)損失はいずれやってくる。
おまえの生徒らのように、国のために尽くしている人びとが各国にいるので心配する必要はないが、それでもショックや試練があるだろう。
それらを避けることはできない。
自然界は、人間が損なっている。
人びとが、国が、世界を汚している。
そのために戦争やウイルスによる試練、災害による恐怖がやってくる。
アーヴァニの月(8月15日~9月15日)、多くの生徒と「葉の礼拝の儀式」を行ない、彼らがパリハーラムに参加できるようにしなさい。
できるだけ多くの人を、「パリハーラムの傘」に入れなさい。
そのなかからさらに三人を選び、巡礼に参加させなさい。
こうしてふたたび、プージャやホーマ、ダルマにかなった行為が、おまえたちを護ることになる……』

『経済が順調に推移し』平穏なときになぜ「経済」と「安全」、「健康」のためのパリハーラムなのかという素朴な疑問に、世界情勢と株式市場、そして天災が速やかに答えてくれた。
こうして緊迫した一週間が過ぎた後、なんとか8月の中旬、「大女神インドラークシとバイラヴァ神に捧げ、黄金を授かる大祭祀」が行なわれた。
当日、真夜中に空港に着いた私は、一日の間にほとんど10時間を車で移動することとなった。
それでもホーマは、あのチダンバラムの名刹ナタラージャ寺院の大僧正が配下の僧侶数十人を引き連れて司式くださり、大勢の地元の人びとだけなく、政治家や官僚らも祈りに訪れてくれた。
ちなみに、私自身は終了後、いくつかの寺院参拝を経てそのまま空港に向かい、帰国した後39℃の熱を出してしばらく起き上がることができなかった。
情けないかぎりであるが……。

ただ、幸いなのは現在、あれほど声高に報復を叫んでいたイランは沈黙を続けており、世界の為替市場、日本の株式市場も平静さを取り戻しつつあるように見えることだ。
日本の西南海もとりあえず、もっとも危険といわれた期間を通りすぎた。
だが仮に、南海トラフ地震のような天変地異が現実のものとなれば、その経済損失は東日本大震災の5倍~10倍と予測されている。
東日本の復興支援のために、国民には今も少なからぬ税金が課されているというのにである。
戦争は、遠くヨーロッパで行なわれているからわれわれに関係ないと思っていたら、中東を経て、アジアに飛び火するという現実的な可能性も出てきた。
中東や、アジアが戦場となれば、その影響はウクライナ戦争の比ではないだろう。
または、新型コロナウイルスのようなパンデミックがふたたび起きないという保証もない。

こうしたなか、日本や、人類の未来について予言の言及があったときには、<プレマセミナー><瞑想くらぶ>のなかでお伝えしたいと思い、皆さんが今もっとも心配しておられるであろうことの一部を8月25日(日)のセミナーでお話しした。
現段階では、シヴァ神による指示どおり、忠実にパリハーラムを進めていく他はない。
その結末がどうなるのかは分からないが、いずれにしてもそうしたい。
そのようにしながら、新しい時代のプレマ・サイババにお目にかかる準備を、ご一緒に、少しずつ進めていきたいと私は密かに思っている。

この長いエッセイ(とメルマガ)を最後まで読んでいただいたとしたら、それだけで嬉しい。心から感謝いたします。  


第182号(2024年9月4日配信)

『パリハーラムの傘 2』

ニュース番組で全国の天気を見るとき、沖縄のあの方はどうしておられるだろうか、長崎のこの方は、仙台、札幌、旭川のあの皆さんは……などと思い巡らさずにはいられない。
特に今回のような広範囲に及ぶ台風被害があったときはなおさらだ。
そのなかのお一人(仮にAさんと呼ぼう)から、意外なメールをいただいた。

Aさんの言われるには、四国では今回の雨・風はそれほどでもなかった。
しかしその前のひと月以上、雨が降らず、猛烈な日照り続きで、異様な状態だったというのである。
「例年であれば、夕立が来るなど、少しは潤うものですが、底抜けの晴天がここまで続きますと草が枯れ始め、精神的にも参ってしまいそうでした」
テレビの「全国の天気」では分からない、さまざまなことが列島で起きていることが分かる。

Aさんはまた、地震についても言及されていた。
「日向灘の地震が来るすこし前、実は居ても立っても居られない気持ちになって二回ほど、突貫工事のように高知の中村へ向かいました。
 黒潮町の波打ち際に立ち、日が沈むまで、南海トラフ地震や津波の事などに思いを巡らせ、祈りました」 実際に地震が来る直前、何かを感じとってこうした行動をとられた方がいたとは、素直に驚きを禁じ得ない。
瞑想によって私たちの感覚が鋭敏になるとヴェーダは語るが、これは感覚の“進化”というより“深化”という言葉が相応しい。

「ところでその近くに『海の王迎(おうむかえ)』という駅名があります。印象的な名前で、深遠な気持ちになります」とも書かれている。
鎌倉時代に後醍醐天皇の息子、尊良親王が流刑されたことから名づけられたというが、本当だろうか。
実は、あの東日本大震災の前後、私にも『ホーマを捧げなさい』との指示が何度かあった。
『大地の母、「海の王」をなだめる』という、印象的な名のホーマだ。

南海トラフ大地震があれば、津波の高さは35メートルにも達するだろうという予測がある。
100年か200年に一度といわれるその襲来に遇った人びとには、そのとき「海から大王が来た!」ように見えたのではないだろうか。
彼らは、知らず知らずの間に『大地の母、海の王』を怒らせたり、またはなだめたりしてきたのか。
古代タミル人と日本人の間には深い関係性があり、実際に行き来すらあったという説があるが、それをリアルに感じるのはこんなときだ。
ちなみに、Aさんが近辺の海岸松原を散策していた時、出くわした神社に古い石碑があったという。
そこには、南海地震による津波が何もかもを流してしまった様子が記されていた。
Aさんはこの神社で何度も瞑想し、祈ったという。
そうした善男善女の祈りが災害を軽減すると、予言には書かれている。

今回の『パリハーラムの傘』について、突然のお知らせだったにもかかわらず、すでに多くの方がご参加いただいている。
感謝にたえないが、そんななか、「自分の貢献は微々たるものだと分かっていますが、それでも神々や聖者は喜んでくださいますか?」という、涙の出るようなご質問があった。
神々でも聖者でもない私にも、彼らが多大に、盛大にお喜びになっていることは分かる。
『おまえの生徒たちによる儀式やチャリティが、苦しんでいる人たちと天界の神々をどんなに喜ばせているのか、おまえたちには想像できないだろう』といった文言が、ときおり予言のなかにも現れる。

いずれにしてもこのパリハーラムは、私たちがご一緒に行なうことになる。
私自身は、予言に書かれたことをそのまま実行するだけだが、皆さんは自由に、ご自分の意志でそうされている。その意味で、比べようもなく尊い。
これに関連して、ヴェーダの金言のなかでも私のもっとも好きな一節は次のものだ。
『成功は、「合理性」よりも「純粋性」によりもたらされる』
このパリハーラムからもたらされる功徳は、お捧げする方の純粋性によっている。

他、皆さんからいくつものご質問・ご相談を受け取った。
別欄を設け、謹んでお答えしたい。  


第183号(2024年12月4日配信)

『プレマ倶楽部』

「師も走るという師走、誰もが限られた時間のなかで、
今年最後の仕事を終えようとしている。
そうしてまた、一年が駆け足で通りすぎる。
日本での仕事を必死の思いで片づけ、ぼくはインドに発つ。
今の時期、そう暑くはないが、渇いた、視線の突き刺す、
くつろぐことのできない国である。
ひとたびインドに入ったなら、終始、気を抜くことはできない。
そんな国で、年末から一カ月あまりを過ごす。
インドに行くときには、常に明確な目的がある。
そうでなければ、あのような国に行くことはできない。
今回の場合は、来年教え始める予定の瞑想に関係がある。
しかしそれでも、年末年始を日本で過ごせる皆さんが、うらやましく思えてならない。
いずれにしても、この欄を見に来てくださる皆さんが、よい年を迎えられますように。
それぞれの家族に安らぎがありますように。ささやかでも、世界に平和が訪れますように。
そんなことを願いながら、インドの山奥で年を越す」

2003年12月、このエッセイを残して私はインドに発った。
それに先立つこと二カ月前、2003年10月に「女神サラスワティの予言」が出てきていた。

『人びとから感謝される、新しい研究
人類を助け、苦しみから解放させるもの
将来、予想できないことが起こるでしょう
師から聖なる教えを得たのち、あなたは瞑想を教え、広めます
人の意識から混乱を取り除き、心の明晰さを与える瞑想を
新しい方法で人びとを癒すことになります
今、神のごときヴェーダトリ・マハリシの教えを得ますが
ヴェーダトリに会う前に、タニ(特別な)シャンティを行なうべきです
静かに、驚くべきことが起こるでしょう……』

こうして、この年の年末、私はアリヤールの聖者ヴェーダトリ・マハリシの許を訪ねた。

『ヴェーダトリに会うときには沐浴をし、ティラカを額に、新しい衣を身につけ
5種類の果物を携え、捧げます
私心を捨て、真っ白な心で行かなければなりません
こうしてつつがなく、瞑想を教える仕事を始めることになります……』

瞑想を教え始めるために、私は他にも多くのことをしなければならなかった。
たとえばこの年、私はインド・クマーラクディに、マントラ吟唱のための館を建てたが、 女神サラスワティはそのこともご存じで、 そこで吟唱される最初のマントラを自らの予言のなかで示された。

『それはわたしのマントラ、サラスワティ・ヴァシア・マントラ
このマントラが、あなたが建てた場所で最初に唱えられるマントラとなります』

こうして、すべての準備が整い、次に出てきたムルガ神の予言が成就した。

『近い将来、人生に大きな変化をもたらす出来事がある
すでに多くの聖仙、神々によって語られたように
天界の神々は、おまえにあるものを与える
シヴァ神の寺院で、おまえはそれを得るだろう
これを与える者はサードゥ(隠者)の姿をしているが、サードゥではない
三人の女性と一緒にいるが、誰もこの奇跡に気づかない……』

2004年1月、予言されたとおり、私は天界の神々から物品を与えられ、帰国した。
そうして<プレマ倶楽部>を創設、瞑想を教え始めた。

それからちょうど20年が経ち、私自身はそのことを忘れていたが、 思えば、さまざまな試練と困難を乗り越えてこられたのはひとえに皆さんのご理解とご協力による。
そこで今回、熱心な生徒さんたちの勧めで記念のイベントを行なうことになった。

先般、<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>でお話ししたように、 現在、史上最大のパリハーラムが新たに進行中だ。
12月21日(土)、その第一回目の「葉の礼拝の儀式」に続き、 <プレマ倶楽部>20周年記念イベントを行ないたい。  


第184号(2024年12月14日配信)

『コンゴからの手紙』

今月21日のイベントが近づき、あれこれ考えていたところ、以心伝心か、コンゴから手紙が届きました。
シスターは昨年末、皆さまと親しくお目にかかれたことを今も感謝しておられます。
やや長くなりますが、ご紹介いたします(原文はフランス語です)。

『青山先生、皆さま
お元気でご活躍のことと存じます。
その後いかがお過ごしでしょうか?
昨年、親しくお目にかかってより一年間、HEIWA学園の様々な課題に取り組むため精力的に動いておりましたが、その結果、やや体調を崩してしまいました。
学校の進展についてお伝えするのが遅れ、申し訳ありませんでした。
まず、私たちの教員の給与を賄うため、毎月先生からいただいている支援に心より感謝いたします。 なぜなら、この6年間で、HEIWA学園の生徒数は2000人超、教員数は71名にまで増加したからです。
その背景には、新たに開設された2つの学科、「一般教育学科(教育学)」と「科学科(数学、物理学を含む)」の創設があります。
これらは、当初からの「裁縫学科」「情報学科(ビジネスおよび管理)」「栄養学科」「電気工学科」を補完するものです。
一般教育学科と科学科の生徒たちは、来年4月と6月に初めての国家試験に臨む予定です。
彼らが従来の学科と同様、優秀な結果を修めてくれるものと期待しています。
さらに、7年生と8年生への入学者数も大幅に増加しています。
これは、私たちが提供する教育の質と全人的な学習への取り組みを反映しています。
多くの保護者は、国家試験での優秀な成績や学園の献身的な教育方針に感銘を受け、子供を入学させてきます。
この評価は、国内外のメディアやソーシャルメディアを通じてさらに高まりました。
私たちの努力はまた、青山先生にもお会いいただいた州教育長官の関心を引き、州内でトップ4の学校としてランク付けされました。
このような評価は通常、公立学校のみに与えられるものです。
結果、州当局からは教室用の40台のベンチ、セメント、木材、トタンなどの支援をいただきました。
これらの資源と先生からの援助を活用して、HEIWA学園の新校舎6号館を建設することができましたが、こうして教職員の努力が報われたことを深く感謝しています。
生徒たちの学びへの意欲は高く、教師たちは質の高い教育を提供するために変わらず献身的です。
最近の保護者会でも多くの励ましを得、学園の継続的な成功に向けた希望が高まりました。
次回のご報告では、養魚池プロジェクトの進捗状況と、新たに設立された栄養センターについて詳しくお知らせします。
このセンターは、以前の養鶏プロジェクトに代わるものとして、亡くなられた先生のお母様のお名前を冠して設立されたものです。
これはインフラ改善と地域住民の自立のための、私たちの継続的な取り組みを象徴しています。
現在、年末までの給与支払いのための資金を確保しなければなりません。
献身的な教職員に感謝を表し、彼らが米、鶏肉、油、トマトなどの必需品を購入し、クリスマスの季節を共に祝うためにどうしても必要なものです。
先生はじめ、敬虔なすべての生徒の皆さまに、温かいご挨拶をお伝えください。
HEIWA学園とその使命に対する皆さま方の揺るぎないご支援に心から感謝申し上げるとともに、全ての栄光を主にお捧げいたします。

心よりの感謝を込めて、
シスター・フランチェスカ・マデソ・ヨヨ』


今回のチャリティオークションには、神々のご像やお写真を出品します。
本来、オークションの雰囲気にはあまりなじまないものかもしれませんが、それぞれに思い入れのある逸品も、いつかどこかでは私の手を離れることになります。
であれば創立20周年のこの機会に皆さまにお持ちいただき、さらに大きな幸運をもたらし続けていただくとともに、アフリカの子どもたちのために役立たせていただきたいと思いました。  


第185号(2025年1月15日配信)

『青雲の志』

年末・年始の休みに、なんとかデスク回りだけ整理した。
思えば、前回そうしてから、実にまる一年が経っている。
すると、思いがけないものが見つかった。
広告用紙の裏面に、忘れもしない、倉光誠一先生の筆跡がある。

中学二年、三学期の過酷な期末試験が終わり、束の間の安らぎを得て、
私は職員室の倉光先生を訪ねた。
これから先、何を目標に、大げさに言えば何を志して生きていったらよいのかを、
相談にうかがった。
倉光先生とは、多くの方がご存じのように、「ポカラの会」を立ち上げ、
大木神父を大いに助けた方だ。

先生はお忙しかったであろうに、嫌な顔一つしないで説明を始められた。
中学・高校の6年間が終わったら、大学に進学することになる。
大学は理科系と文科系に分かれていて、前者は理学部、医学部、工学部、農学部など、
後者は文学部、法学部、経済学部、神学部などで、
最初の二年間が教養課程、最後の二年間が専門課程となる。
四年生の最後に卒業論文を書くが、
これらすべてに合格すると「学士」と呼ばれることになる。
さらに学問を続けたい者のためにあるのが「大学院」で、最初の二年間が「修士」、
次の三年間が「博士」課程となる、等々。
学位のシステムについてほとんど知らなかった私は、わくわくしながら聞き入った。

続いて倉光先生は、カトリックの司祭になる課程についても語り始めた。
中学二年の当時、私はすでに神父になることを考えていたが、
それには「教区」司祭と「修道会」司祭の二通りがあることを知らなかった。
前者は、たとえば東京教区や広島教区に所属しながら神学校に通い、
六年程度で司祭となる。
一方、修道会、たとえばイエズス会に入ると、最初の二年間は「修練期」となる。
被爆した長谷川少年を助けたあのペドロ・アルペ神父が院長をされていた広島の長束で、
ラテン語や基礎的な聖書学、哲学等を学びつつ、祈りと労働の生活を送る。
次の三年間は哲学を学ぶため、通常は上智大学哲学科に在籍することになる。
さらに二年間、社会に出て実務につく「中間期」がある。
ちなみに、広島学院にも毎年この中間期のイエズス会士が来て、
二年間だけ教職について帰っていかれた。
これが終わると神学を四年間学ぶが、
その三年目が終わった段階で司祭に「叙階」される。
したがって、修道会の司祭になるには、実に十年を要することになる等々、
倉光先生は丁寧に説明され、逐一紙に書かれていった。

ところで、カトリック教会には数多くの修道会がある。
なかでもイエズス会はフランシスコ会、ドミニコ会と並ぶ三大修道会の一つで、
キリストの軍隊を自認し、学問の探求と青少年の(厳しい!)教育を使命としている。
先生は、「青山君が入るなら、イエズス会がいいですね」と、
当然のことのように言われた。
そのためには、高校を出てすぐに入ってもよいが、
大学を卒業してからのほうがよいかもしれない。
たとえば、まず医者や、物理学者になって、
それからイエズス会に入るということも大いに考えられる。
実際、イエズス会校で学んだ者のなかには、科学者だけでもメンデル、
アンペール、フェルマー、ホイヘンス、フェルミ、ド・ブロイ等々、
いずれも人類の科学の礎を築いた人びとがいる。
「たとえば臨床心理学を専攻されるといいですね。
 患者や医師の深層心理を研究することになりますが、
 カトリックの立場からどんなことが言えるか、大いに興味深い。
 いいですねぇ」
などと言われたときの口調を、今も思い出すことができる。

その後、中・高の残る4年間も、私はカトリック司祭になる意志を持ち続けた。
大学に入って、『あるヨギの自叙伝』などで世界観が拡がり、
ヨガナンダの義理の甥に当たる先生についてヨーガを学び始めた後も、
しばらくこの夢は変わらなかった。
ヴェーダ科学や瞑想に本格的に親しんでなお、
これを基盤においた修道会を立ち上げてはどうかと考えていたくらいだ。
イエズス会創始者であるイグナチウス・ロヨラの「霊操」を超えられるかもしれない。
いや、はるかに超えられる。
体調を崩した時期がなければ、もしかして私はそれを実行に移し、
今頃どこかで神学や瞑想を教えていたかもしれないし、
逆に教会内の旧来の権威者らに潰されて還俗していたかもしれない。

あれは本当に中学二年のときだったのか……。
そう思ってふとおもて面を見てみると、「48年春の種・頒布会」と書かれていた。
昭和48年(1973年)、中二の春……、あれから半世紀以上が経ったが、
広島にいた間にすら引っ越しをしたし、その後東京に出、アメリカに行き、
幾度となく引っ越してきたのに、その都度、私はこの紙を手放さなかった。

本稿を書いているこの日、インドでは、
今回の新しいパリハーラムの最初の儀式+チャリティとして、
108人の貧しい村びとが聖サバリ山に登っている。
彼らにとっては一生に一度、夢の聖サバリ山登攀で、
あのアイヤッパ神に祈りと、思いのたけを叫んでいることだろう。
新春ということにも増して、「おめでとう!」と心から申し上げたい。
カトリック司祭にはならなかったが、こうして離さずにきた「紙」にもまして、
大木神父や倉光先生の「志」を少しでも温めてこられたなら、
私にとってのささやかな幸せだ。
そして、本稿をお読みいただいている皆さまにはそれぞれ、
それよりもはるかに優る大きな幸せが訪れてほしい。


第186号(2025年3月25日配信)

『富と文化』

政治にはさまざまな立場というものがあるので、
この欄ではなるべくそれに触れないようにしているが、
かつて民主党が国民の熱狂的な支持を得て政権をとる前、
何も言わずに我慢したことを後に後悔したので、
ここで“少しだけ”書かせていただいてよいだろうか。

学生の頃のこと、
突然父が上京してくるというのでどうしたのかと思ったら、
親戚が、「息子をどうしても銀行に就職させたい」のだという。
父に伴われて上京してきた親戚は温厚な人がらで、
彼はまず政治家の指定する業者から高価な「品」を購入し、
それを持参して議員会館を訪ねた。
私たちは終始上機嫌で迎えられ、
銀行にはちゃんと口利きする旨、約束してもらったので、
親戚はご満悦で帰っていった。

政治家はときの大蔵政務次官でそれなりの力はあったはずだが、
なぜ、父は長年懇意にしてきた宮澤喜一氏を訪ねなかったのだろうか。
父は一言「宮澤にはこういうことをさせとうない」と言った。
実際、宮澤氏はその種のことが嫌いで、苦手だった。

「宮澤の会合に行っても、出てくるのはお茶だけだ」と言って、
父はよく笑っていた。
「そんなことだから人が動いてくれない」というのである。
中選挙区制のもと、同じ福山には、
後に利権政治の権化とまでいわれたK氏がいた。
由緒ある政治家の家系に生まれ、戦後、池田勇人蔵相秘書官として
サンフランシスコ講和会議全権随員となり、その後政界入りした宮澤と、
地方の土建屋上がりのような風采のKとでは、
政治家としての格は雲泥の差であったが、
選挙となると僅差であった。
そうして、宮澤がいよいよ総理・総裁を目指そうという年の選挙で、
Kの得票はついに宮澤のそれを上回った。
それは衝撃的な出来事で、全国ニュースにもなった。

しかし、これが人間の世の中なのだと、父は言った。
カネに無頓着で、人の世話もしないで英字新聞を読んでいる人と、
危ないカネに群がり、湯水のごとくそれを使って利益誘導する人と、
国民一人ひとりがどちらを選ぶかが「民主政治」なのだ。
常々申し上げているように、結局、政治の質は国民が決める。

ちなみに、このK氏、
それから何十年も後にあのホリエモンの挑戦を受けている。
既存の権威や価値観を打ち砕こうという野望に燃え、
人びとから熱狂的に迎えられたホリエモンであったが、
それでもKの牙城は崩せなかった。
それほど、国民の側もこの文化に浸かっていることの証である。
ホリエモンはその後も挑戦をやめないと宣言し、地元に事務所を残したが、
すぐに別件で逮捕され政治生命が断たれた。そのことと、
荒技を繰り返したK本人が生涯、逮捕されることがなかったこととは、
Kが警察庁のドンであったことで同時に説明がつく。

ところで、このとき持参したような品物を次々持ち込まれても、
議員の先生方も困るのではなかろうか。
すると、父はこう言った。
「おまえが心配しなくても、アレはあのまま業者が引き取ってくれる」
「えっ……?」
「あんなもの、いくらもらってもしょうがなかろう」

話はもちろん、政治家だけではない。
大臣や政務次官に就任すると、省庁の主な幹部を集めて食事会をし、
必ず一人何十万円の現金や、商品券を配るものだと当時聞いた。
それをしない宮澤氏のような人は「ケチ」と評され、
政界に人脈、すなわち子分を養うことができない。
宮澤にしてみたら、自分より能力の劣る官僚に、
どうして商品券を配らなければならないのかと思うだろうが、
日頃からそうして“面倒を見て”初めて、
官僚らは大臣のため法案を考え、根回しに動く。
大臣の無知・無能を内心で笑いながらも、
国会では楯となり、忖度し、
ときには自ら人身御供にならねばならないのだから、
そこにはわれわれの計り知れない利害関係があるのだときかされた。

石破氏もケチだケチだと言われてきたというのだから、
そういうことが嫌いで、これまであまりしてこなかったのだろう。
それが今回、最後と思った総裁選で意外と勝ったので、
過去を反省し、心を入れ替えて、一人十万円くらいは“ちゃんと”配れよと、
周囲に言われたりもしたのだろう。
その“反省”の結果がこれなのだから、まことに“文化”とは恐ろしい。

Fテレビでも、
社長が何十年もやってきたことの継承者として成り上がった幹部が、
同じことを続けていて今回、こうした事態とあいなった。
今は一般人となったN居正広さんもまた、
自らが育った文化を普通に継承・実践しただけだと思っていたら、
思わぬ顛末となり、いまだに戸惑っていることだろう。
マスコミも、J事務所の奥深くでどんなことが行なわれているか、
当時から誰でも知っていたが、
報復を恐れてほとんど誰も、何も言わなかった。

そんななか、「これが自民党の文化なのですか?」
と声高に叫ぶ野党の議員さんもいて、笑いを誘っていた。
私が学生時代から知っているようなことを、
政治家も、メディアの皆さんも知らないはずはもちろんない。
マスコミも含め、自分たちもそのご相伴に与り、
法案の落としどころを談合したり、外遊するなどといっては
ちゃっかり内閣官房機密費をいだたきなどしてきたのに、
まるでびっくりしたかのような顔をしておられる。
なので、ここぞとばかりに責めたててはいるものの、
本気で内閣不信任案を出そうという話にもならない。

石破氏も、「皆、やってきたことじゃないですか」などと言いたいだろうが、
そこは政治家として、ぐっと堪えねばならない。
今回の件をマスコミにバラした人も特定されているが、
自分も同じようなことをしてきたものだから、
よもや正義感からではなく、
石破氏のことが嫌いだからバラしたのである。
逆にいえば、石破氏がこれまで“真面目に”こうしたことをしてきていれば、
今回急にばらされるということもなかったかもしれない。

ちなみに、息子を銀行に就職させるために父に泣きつき、
大蔵政務次官に金品を贈ってご満悦のうちに帰られた親戚には、
その後、意外な結末が待っていた。
なんと息子は「採用」にならなかったのである。
どうしてそんなことになったのか、
父が宮澤氏を紹介していれば銀行に入れたのか、
その後、彼らがどうしているのか、私は知らない。
ただ、一家は崩壊した状態だとだけ、
亡くなる前に母が漏らしたことがある。

私はつくづく思う。
富は、相対界では体を維持し、家族・子孫を養うために必要であるが、
不適切に用いられた富はその人も、
子孫までも含め、必ず不幸にする。
この世においては、使われる前に腐ったり、盗まれたりもする。
それが薄々分かっていながら、
上記のようなことを生涯繰り返しながら生きていく人たちも大勢いる。

結局、私たちが未来永劫にわたって保持し、楽しめるのは、
“天に積まれた宝”だけだ。
清浄に用いられた富だけが、
現世でも、死んだ後も、私たちを幸福にしてくれる。
これは古い、古い掟である。

その反対の文化が支配的な時代を、聖者たちはカリユガと呼んだ。
現在はそのカリユガであるが、
そのなかで私たちは一番ましな時代、一番よい国に生きている。
それを、黙っていても政治家やマスコミがさらによい時代、
よい国にしてくれるなどと思うべきではない。
それは私たち一人ひとりが、それぞれのダルマにおいてすることだ。
それもまた、古今東西を通じて変わらぬ掟である。


最新号へ