メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ バックナンバー 第51号 – 第60号

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第51号(2012年4月12日配信)

今年も聖者の予言を通じて、会員の皆さんと密度の濃い時間を過ごす季節が訪れた。
始まってから早速、何人かの方と浅草で瞑想をし、
何人かの方とは伊勢や、四国にご一緒することになる。
この秋には、タイの聖地を巡礼する。
なぜなのかは分からない。しかし何かの理由が背後にあることだけは確かだ。

最初の三日間、続けて行った浅草は桜が満開で、
特に4月8日は花祭りでもあったので、並の人出ではなかった。
今回の人生、私にはゆっくり花見をするような時間は与えられそうにない。
しかしその代わりなのかどうなのか、花見をする人たちを見て楽しむ時間が、
わずかながら与えられた。
日本の国花である桜……
その満開なさまの艶やかさは、文章にするまでもない。
しかし私は、いつも思う。
桜は、散るときが最も美しい。

『滅びの美学』という言葉がある。
通常、負けることが分かっていても全力を尽くし、信念を貫いて散っていく様をいう。
しかし『負けは負け!』とも言われる。努力は無駄になるのである。
それがなぜ、こんなにも美しいのだろうかと、私は子供の頃から思っていた。
もし、相対世界で勝つことだけに意味があるのであれば、
この春、多くの18歳は負けたことになる。
もし、相対世界で成功することだけに意味があるのであれば、
18の若者だけではない。われわれのほとんどは人生に負ける。
ビル・ゲイツや孫正義だけが数少ない勝者といえる……かと思えば、
この人たちと胆をわって話してみたらよい。そうでもないことが必ず分かるだろう。
彼らの人生もまた、敗北に満ちている。
あるいはここ数年、日本のトップに立った人たちを思い浮かべてもよい。
誰が人生の“勝者”になったか、またはなりそうか。
どうひいき目にみても、一人もいない。

それでも、あらゆる人の人生が尊く、いかなる生命も崇高なのはなぜなのか。
それは、生命は表面に顕れたものはごく一部にすぎず、
内面にこそ、真の価値をたたえているからだ。
ほとんどまだ表に出てきていない何か、とてつもなく崇高な何かを、
われわれの誰もが内側にもっている。
そして、あるとき一瞬桜が咲いて、ごく短い期間で散っていくように、
人生も始まり、終わっていく。
それは、散らなければならない。
散って、次の生命の段階を迎えるのである。
一旦終わって、終わったように見えて、そこからまた次の展開が始まる。
そのような生命の進化こそが実は尊いのであり、
そうした美や美学の象徴ともいえる桜を、われわれ日本人は大昔から愛でてきた。
そして私は、とりわけ、散る桜が好きなのだ。

新しい年度が始まり、希望に胸膨らませる人もいれば、
すでに疲れをためている人もいるだろう。
今年一年、われわれは勝つこともあるだろうが、負けることもあるだろう。
いや、負けるほうが多いと思っていなければならないと、私は思う。
しかしそれでも、生命には価値がある。
負けても、そこから何かを学び、
散っても、そこから新しい芽を吹き、
解消すべきものを解消しながら最終的には誰もが至高の境地に到達する生命の営みは、
やはり尊く、愛おしいのである。


第52号

エッセイ掲載はありません。


第53号(2012年6月5日配信)

ちょうど一週間前の5月28日、交通事故で胸の骨を折った。
当初、そのことをなんとか隠しおおそうと考え、
スタッフにも言わずにいたのであるが、
しかし生活、仕事の全般に影響が大きすぎたのでかなわず、
打ち明けることにした。
伊勢から帰って私が通常の仕事を続けていると思っていたスタッフは仰天したが、
なかには「(普通にしてるように見えるのに)そんなバカな……」
とわざわざ笑いを誘発する者もいて、
今は笑っても胸が痛むのだと言いながら、
思わずつられて笑ってしまった。
一方、別のスタッフは、ここぞとばかり、
「先生、生命保険に入りましょう!」と主張した。
受取人を会社にして、私に何かあっても大丈夫なようにしたいと彼女はいう。
私が、この案を一蹴したのは、言うまでもない。
「事故の前ならともかく、もう事故は起きたんだぞ」
と言ったのだが、どうも納得できない様子であった。
神々の恩寵と、運転手の機転により、当日、私が伊勢に行って帰ることができたのは、
不幸中の幸いだった。
しかし、試練は続く。
別の方のパリハーラムのため、私は故郷の福山に行かなければならなかったのだ。
占星学的な日取りが限定されていて、
他のさまざまな条件を勘案すると、6月3日しかあり得なかった。
これには多少心の準備ができていたので、コルセットをきつく巻き、
痛み止めの湿布を何枚も厳重に行なって、
不審な歩き方にならないような予行演習も行なったりして、
無事、行って帰ってくることができた。
こうしてみると、聖者や神々は、われわれに試練を与えはするが、
しかし絶対にできないようなことは予め書かれていないこともまた、分かってくる。
当初はできないと思っても、何かの偶然がおきてできた、ということも、
しばしば経験することである。
たとえば、こうしたパリハーラムの巡礼を、
セミナーや瞑想講座の日に決して設定されないことからも、
聖者がそれらを分かって“予定を組んで”おられることが理解される。
骨折したということで、
皆さまからはたくさんのお見舞い、励ましのメールをいただいたのに、
すべてに返信ができないでいて心苦しい。
咳やくしゃみができない、寝返りがうてない、
座ったり、寝起きするたび思わず唸ってしまうなど、
やや不便な生活はしているが、
長年にわたり不動の姿勢で瞑想を続けられた大聖ラマナ・マハリシに倣って、
この際は息も控え、ピクリとも動かず瞑想しろといわれているのかもしれない。
生活のなかで深呼吸も、笑うこともできないという状況は、
経験してみると相当に苦しいものではあるが、
しかしこれまで、さんざん笑い、笑わされてきた人生であったことを考えると、
バランスがとれてよいのかもしれないと思う。
9日には、皆さまの健康と幸せを願い求め、
相対界において強大な力をお持ちのカルパスワミにプージャを捧げる。
それはまた、日本のために行なうパリハーラムの一環でもある。
奇しくも、【バガヴァッド・ギーター】のほうは、
ちょうどプージャや供儀についてのクリシュナ神の言葉の部分なので、
併せ、聞いていただけると嬉しい。
また、良い悪いに係わらず、
人生における特別な事象が起きてくるときの前兆・法則について、
私なりに語ってみたいとも思っている。
なお、当日は、姿勢を変えようとしたとき、
もしかしておじさんがするような掛け声を思わず出すかもしれないが、
どうか気にしないでいていただきたい。


第54号

エッセイ掲載はありません。


第55号(2012年7月6日配信)

『師の日』

私事で恐縮ながら、前回のメルマガでご報告した事故から一カ月余り。
当初、医師から一カ月半の安静を言い渡されていたのだが、
私自身は、そんなにはかからないだろうと高をくくっていた。
しかし、まだ痛みは引きそうにない。
その理由は、梅雨が来て、急に暑くなってから、
コルセットの着用を怠るようになったことと関係があるらしい。
先日も、朝、寝返りをうちながら自分の唸り声で目が覚めたが、
医師に相談すると、コルセットを外していいとは一言も言っていないという。
しかし、これを着けたら着けたで、その部分だけ汗をかき、目が醒める。
こうして仕方なく、回復が先のばしされているように思われる。

しかし、よいこともあった。
もともと、交通事故があるだろうことは予言されていたのだが、なかでも、
『神聖な旅の途上で、それは起こるだろう……』(マッチャ牟尼)
という記述が、私のなかでは最大の不安材料だった。
準備を重ね、皆さんが楽しみにしてくださる『大いなる生命と心のたび』
その途上で私が事故に遭遇することだけは、避けたかったからだ。

私は現金にも、それをときどきサイババにお願いすることがあった。
たとえ事故は起こるにしても、
どうか皆さんと一緒の巡礼旅行からは外してください──。
そしてどうやら、そのとおりにしていただいたようなのである。

今回、事故が起きたのは伊勢神宮への参拝の途上であったが、
これがもし、インドに向う途中であっても、
ルルドへの旅の途上であっても、
旅は成立しなかったに違いない。
あるいは、そのままルルドに行って奇跡的に治癒すればよかったかもしれないが、
そもそも奇跡というのは、期待しているときに都合よく起きてはくれない。
そう考えると、今回は苦しみながらも、やはり有り難い事故であったと、
私自身は奇妙に納得しているのである。

ところで、7月から8月にかけての満月の日、インドではグル・プールニマが祝われる。
直訳すれば、霊性の師を讃える満月の日、今年は7月3日がそうだった。
この日に先立ち、サイババのおかげで私は最悪の事態を免れたのであるから、
本来、このグル・プールニマに、
数ある師のなかでもサイババに感謝を捧げるべきだと心の中では思っていた。
が、どうしたらいいのか──。
そう思いながら迎えた当日、
シヴァ神の葉のなかに次のような記述が登場した。

『今日これから、瞑想の師は鎌倉に行く。
  二カ所の寺で花を捧げ、祈り、瞑想をし、
  そうした後、供儀(プージャ)を捧げなければならない。
  それを、サイババに捧げなければならない……』

このように書かれてはじめて、私は、
ことの成り行きを真に理解したような気になったのだった。

少し遅れるが7月15日、神々と、サイババに捧げるプージャを行なう。
菜食のお食事も捧げられるので、皆さんは是非、それを召し上がってお帰りいただきたい。
ちなみに、この日の【聖書会】のテーマは、次の言葉に象徴される。

『自分の十字架を担ってわたしに従おうとしない者は、わたしに相応しくない。
  自分の命を得ようとする者はこれを失い、
  わたしのために命を失う者は、かえってそれを得る』(マタイ 10.38)

また、今度のタイ旅行も、おかげさまをもって、
つつがなくその目的を完遂できると確信している。


第56号(2012年8月17日配信)

『スポーツの祭典』

オリンピックが終わった。
この次のオリンピックははるか4年先、
私を含め、そう思って安心している皆さんに今から私は断言する。
リオ・オリンピックはすぐに来る。あっという間に。
つまり瞬く間に、われわれは4つ歳をとることになる。
しかしそれでも、『少年老いやすく、学なり難し』。
仕事のほうはなかなか進まないだろう。

さて、今回のオリンピックも、さまざまなドラマを見せてくれた。
スポーツは、究極の肉体と技、そしてさらには心理状態の綾が勝敗を決する。
4年に一度の大舞台に、ドラマが起きないはずはない。
……が、自分自身を省みてみるに、
前回ほどこれに“執着して”見ていたりはしなかったような気がする。
つまりいわば、どちらでもよいことのように思えてきたのである。
内村航平君が、なでしこジャパンが、北島康介が、室伏弘治が……、
金をとろうが銀をとろうが、あるいは敗退しようが。
それはもちろん、金をとってくれたほうがよいし、そうなれば嬉しいのだけれど、
しかしそうならなくてもいい。
つまり、彼らがそれぞれにベストを尽くせばそれが金メダルだという、
表現としてはありふれているのだがそれが本当だという気持ちに、
徐々に私も移行しているような気がするのである。

それは、私がまた4つ、歳をとった証拠なのかもしれない。
しかし代わって、なんとかしなければと思うこともまた、ある。
明日以降の予定で、今、この原稿を書いている段階で決まっているのは、
朝一番のフライトで四国に飛び、いくつかの寺社仏閣に花を捧げ、瞑想をする。
その夜、私は広島に渡り、翌日は始発の新幹線で岐阜へ、
それから奈良、京都で瞑想したり儀式を捧げたりしなければならないのだが、しかし、
しなければならないこととその組み合わせが、きわめて複雑。
予測のつかない部分が多々あり、時間も読めないので、
それぞれの場所に会いたい人がいてもなかなか会うこともできない。
さらに、それで帰京できるかといえばそうではなく、
すべてが終わった翌日、ZENKOJIに行きなさいという指示が、昨夜出てきた。

そうした指示がどんなふうにして出てくるのかといえば、
インドで、予言の葉が見つかるのである。
私が探そうとしているわけでもなく、頼んでいるわけでもないが、
突然にそれは出る……出発の二日前に。
そうして今日、さらに詳細なその後の指示が出てくるというので、
出発の前夜、今や遅しとそれを待っている状態だ。
しかし、始発便に乗るにはここを朝5時台に出なければならなず、
本当にそれまでに報せが届くのかどうか……。
後から振り返ってみれば、すべてが収まるべきところに収まるのではあるが、
行なっているときは毎回、綱渡りのような危うさだ。

オリンピックと同様、これが純粋に自分個人のことであれば、
ある程度、ものごとを諦観できるのかもしれない。
しかし聖者や神々は、
今、日本のためにしなければならないことがあると語ってやまない。
特にあの震災以降、その記述は厳しさを増した。
いつの日か、のんびりオリンピックを観たり、ゆったり過ごしてみたい、
そんな気持ちがないわけではないが、しかしその日が来るよりは、
次のオリンピックのほうがずっと早く来そうな、そんな気がしてならない。


(8月26日のプージャについて)
『7月15日、前回のプージャのときには、
読み手がもうインドの空港に入っていたのに、
突然、カルパスワミ神に呼び戻されました。
カルパスワミは、15日に日本でサイババに捧げるプージャ(祭祀)は青山が行なうこと、
そしてインドでは、それとは別に大きなプージャと慈善を行なうべきと言われました。

その理由はしばらく分からなかったのですが、
15日のプージャにおいでになる皆さん一人ひとりと日本全体のためであるということで、
プージャに参列された皆さんのお名前のリストをすぐにインドに送りました。
それはその後行なわれた大きなプージャの際に吟唱され、
また、2000人を超える人びとに食事と衣類を配ることができました。

奇しくも同じ時期、人生の新たな展開を迎えた人が私の周りに何人かいて、
私自身は内心、驚きを隠せませんでした。
そうした経緯もあり、この度、8月26日のプージャはカルパスワミに捧げられます。

現在、【バガヴァッド・ギーター】のほうは、
ちょうどそうした「祭祀」に関する、クリシュナ神の珠玉の言葉を解説中です。
これを学ばれ、プージャに参列される皆さんのお名前は、
神々による取り次ぎを願って、ふたたびカルパスワミ神の許に送ることになっています。』


第57号(2012年9月14日配信)

『転輪聖王』
今回のタイツアー、予想されていたとはいえ、
しかし予想をはるかに超えて楽しく、美味しく、充実したものとなった。
それを短い文章のなかで書くことはできないが、
数あるエピソードのなかの一つ、二つをご紹介したい。
タイで成功をおさめている日本人僧侶・アチャン光男カヴェサコのところで、
満面の笑顔で出迎えてくれたのは、高弟アチャン・アキだった。
「先生! 胸の具合はどうですか?」
(えっ……?)
「ブログ、いつも拝見してますから」そう言って、彼は笑った。
このアチャン・アキ、今でこそアチャン光男の高弟であるが、
出家して何度かはあまりの辛さに逃げ出したのだという。
「その後、脱走はされましたか?」
そう水を向けると、「幸いにして(していない)」とのことで、
お互い顔を見合わせて笑った。
それにしてもこの緑豊かで広大な寺院、
かつては木もまったく生えていなかったのだという。
そこに一本、一本、植林をして、現在のような豊かな森となった。
「昔は、この屋根がなかったんです。怪我をしても絆創膏もなかった」
要するに何もなかったのだ。しかしその後、アチャン光男の尊い努力により、
現在はタイ人僧侶だけで40余名、総敷地面積75万坪を有する一大寺院となった。
「今、ほしいものは何ですか?」
そう伺うと、アチャン・アキは答えた。
「智慧です。智慧がほしいです!」
アチャン光男カヴェサコの法話には、何人かの方が涙を流して聞き入ったが、
その内容はまた、セミナーなどのときにお話したい。
後ろ髪を引かれる思いでその許を辞し、次に向ったのはプラ・パトム・チェディ、
高さ120メートル、インドシナ半島最古にして世界最大の仏塔だ。
建立したのはインドで仏法を押し進めたアショカ王といわれている。
人類の歴史に名を残すこの大王には、以下のような伝説がある。
『仏陀が弟子のアーナンダを連れて王舎城(ラージャグリハ)で行乞していると、
 遊んでいた一人の子供が仏陀の前に進み出、合掌した。
 仏陀はアーナンダに言った。
「わたしが滅度して百年後、この童子がここに生まれ変わり、
 転輪聖王(てんりんじょうおう)となるであろう。仏の法をもって国を治め、
 八万四千の仏塔を建立し、衆生を安堵するだろう」』(『雑阿含経』巻23)
われわれの誰も、今から、2500年前に生きた仏陀の目の前に出たり、
2000年前に生きたイエスと直接会ったりすることはできない。
しかし今回、巡礼の旅をしながら、
われわれの全員がそれと同じことをしていることに気づいた。
なぜなら、イエスは言っている。
『これらの最も小さな者にしてくれたことは、
 すなわち、わたしにしてくれたことである』(マタイ 25.40)
遠く日本を離れ、巡礼の旅に出て仏像の前に頭を垂れ、
儀式に与り、教会や寺院で無心に祈りを捧げる皆さんを見ていると、
その姿は仏陀の前に進み出、両の掌を合わせた少年と変わらない。
その少年が転輪聖王、すなわち輪宝を転じ、
地上をダルマによって治める聖王となることを仏陀は予言した。
同じことが、いつか皆さんにも起こるだろう。
それはもしかしたら今回の人生ではないかもしれないが、
来世や、その後の人生で、そんなことが必ず起こる。
そのときに備えて、われわれは今、瞑想を続け、聖典の研究を続けている。


第58号(2012年9月28日配信)

『吾 十有五にして学に志す
 三十にして立つ
 四十にして惑わず
 五十にして天命を知る
 六十にして耳順(したが)う
 七十にして心の欲するところに従えども
 矩(のり)を踰(こ)えず』   孔子『為政 2-4』

「三十にして立ち」、その後、「惑う」ことなく、
「天命を知り」、「耳順う」に至った天才孔子は、
人生の最後の段階でどのような心の状態を求めたのか。それが、
『心の欲するところに従えども矩をこえず』
の境地だった。

悟りを啓く前のわれわれは一人の例外なく、意識の内側には過去の否定的なカルマを、
心には不調和を、神経系統には傷を負っているので、
したがって美味しいと思うものを食べれば体に悪く、
言いたいことを言っては人を傷つけ、
したいと思うことをすれば自然の法則に反しているということが、
時々刻々、起こっている。
それはまた次の印象や記憶を自然界に残し、
新たな欲望や欲求の種となり、
次の行動に駆り立てられて、因果の鎖は続いていく。

われわれが日々実践する瞑想は、
通常の意識レベルにおいてはほとんどそれに囚われていくしかない因果律から、
徐々にわれわれを解き放ってくれるし、
捧げる儀式は、高貴な意識状態にある神々の介入により、
やはり因果の鎖を少しずつでも溶かしてくれるだろう。
しかしそれにしても、われわれ自身は日々、どのように行動をするべきなのか、
それが説かれているのが【バガヴァッド・ギーター】だ。

第一章『アルジュナ哀しみのヨーガ』では、
相対世界の矛盾と相剋に苦しむアルジュナがその心情を吐露し、
第二章『英知のサーンキヤ・ヨーガ』では、
これに対する答えを、サーンキヤとヨーガの立場からクリシュナ神が説いた。
第三章『行動のヨーガ』において、
クリシュナは日常生活における行動の秘訣を説いた。
それは実存のレベルにおいては完全な答えであったが、
相対世界で苦しむアルジュナのさらなる問いに対して答えられたのが、
第四章『行動の放棄に関する知識のヨーガ』である。
このなかでクリシュナ神が繰り返し説いているのは、
結局、孔子が最終的に到達したいと願った
『心の欲するところに従えども矩をこえず』の境地であるが、
クリシュナはさらに、その具体的な方法までを語っている。

相対世界のどんなものもそうであるように、
この【バガヴァッド・ギーター】も、いつまでもは続かない。
第四章は42節までしかなく、今回、9月30日(日)のセミナーで完結する。
もし、ここまでクリシュナ神が語ってきたことが、
心の奥底でまだよく分かっていないかもしれないと感じられる方は、
この最後の数節の語り口に注目していただきたい。
これまでのすべての詩節のまとめとも言えるような数節を、
クリシュナ神が縦横無尽に展開する。
その手腕というか、鮮やかさには、
どこまで『ギーター』を読んでいても、ただただ感嘆する他はなく、
より進んだ瞑想の理論部分として教える予定でいるいくつかのヴェーダの知識を、
ついついはずみでしゃべってしまいたくなりそうな、
そんな誘惑に駆られるほどだ。


第59号(2012年10月4日配信)

『それを考えることしばしばにして、かつ長ければ長いほど
 常に新たにして、増し来たる感嘆と崇敬をもって心を充たすもの……
 それは天上の星の輝きと、わが心のうちなる道徳律だ』(カント)

大学や、大学院でまがりなりにも科学の研究をし、
特に人間の意識について分析しながらつくづく感じたのは、
カントの、上のような言葉だった。
人間を含むこの世界には、深い理性が感じられる。
私たちがそれを見て、聴いて、触れて、味わって美しいと感じるような世界が、
究極の理性=英知によって創造されている。
そう確信する他はなかったのである。
とはいえ、自分の現状がそこから必ずしも近いものではなく、
そのように崇高な理性や感性に近づく方法を知っているわけでもなく、
無為に時間は過ぎていった。

そんな私のなかにも、しかし、一つの憧れがあった。
いつか自分も、そうした英知に近づいていく体系的な方法を
得ることができるのではないかという感覚。
それは、漠然としたワクワク感から、徐々に確信に近いものとなっていき、
ついに『神々の科学』に書いたようなことが起きてきて現実のものとなった。

その結果、皆さんには瞑想をお教えすることとなったが、
それはとりもなおさず、意識を存在の深いレベルに速やかに導き、
英知に近づける方法だ。
そこは限りない知性の場であり、そこから帰って来たとき、
自分は行く前と同じ自分ではあり得ない。
皆さんは瞑想をした後、瞑想から出てきて、また以前と同じ自分には戻らない。
皆さんは必ず、英知に浸り、これを身に帯びて帰ってくる。

特にそのスピードを増し、より豊かに英知に浸るための技術が、
<Art4>として体系化されている。
それは、年に一度しかお教えしないが、
お教えするときには、Stage1からStage2、Stage3へと、
ほぼ一カ月間隔で集中的に教える。

その時期が、今年もやって来た。
技術面は変わらないが、理論的な説明の部分は昨年よりもより洗練してこの日を迎える。
これを学ぶ機会を得た皆さんは、今はまだ、
ご自分の幸運の度合いを本当には理解しておられないであろうと、私は思う。
だが、いずれにしても私にとっては、皆さんと過ごすこの数カ月が、
ヴェーダの知識に対する新たな驚きと、
幸福感に満たされる数カ月となるのである。


第60号(2012年10月19日配信)

インドの、そして人類の歴史上、
「英知の化身」と呼ばれてしかるべき聖者が何人かいる。
アディ(初代)シャンカラは、まぎれもなくその一人だ。
その弟子の一人に、ギリという青年がいた。
彼は貧しく、文盲で、一切の教育を受けたことがなかった。
シャンカラが何を説こうが、ギリには理解できず、
彼はただ、ときおり瞑想をさせてもらう他は僧院の掃除や洗濯などの雑用をして、
師と、他の弟子たちに仕えていた。

あるとき、弟子たちを前にしたシャンカラは、
なぜかこの日、解説を始めようとしなかった。
『ギリがいない……』
その言葉に驚いた弟子のなかでも、
もっとも学問に秀でていたパードマパーダが言った。
『師よ、ギリにヴェーダを説かれるのですか?
……それはちょうど、岩に向って法を説かれるのと同じです』
シャンカラはそれでも話し始めようとしなかったので、
師の御心が理解できない弟子たちは、それぞれに内心、不平不満をつぶやいた。

一方ギリは、僧院の洗濯物を抱え、一人川で洗濯をしていた。
至福の大波が彼を襲ったのは、そのときだった。
これに打たれた彼は、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、
そのうちに洗濯物を抱えて川からあがり、師の許に向ってゆっくりと歩きだした。
が、このとき、彼はもはや、それまでのギリではなかった。
その口から、教わったはずのないヴェーダの詩句がほとばしり出て止まなかったのである。
無私の心で師に仕え続けたギリは悟りを啓き、
大聖トータカチャーリヤとなった。

日々、過ちを繰り返し、苦しむわれわれは、結局、英知に到達したい。
罪を犯さない心の状態、病気のない体の状態、
完全な悟りの状態に至りたいのである。
しかしそれは、医学や科学を学んだり、道徳の本を読んでできることではないと、
ヴェーダは語る。
英知はある。そこにある。しかし本のなかにではなく、われわれの内側に。
意識が進化し、その器が相応しくなったとき初めて、
人は英知に到達できるとヴェーダは語る。
そのために仏陀は、生きる苦しみから学んだ。
イエスは、エジプトやペルシャ、インドの科学から学んだ。
ギリは、師に仕え続けて悟りを得た。
では、通常の家庭生活や社会生活を営むわれわれはどうしたらよいのか。
平凡な世俗の生活を続ける者に、それは与えられないのか、
あるいは幾百万回も生まれ変わらなければならないのか。
そんなわれわれにも、自然界は適切で、可能な技術・方法を与えてくれた。

英知の技術<Art4>Stage1では、
われわれの心と体を統治し、働く英知のありさまや、
その源についてのおおまかな描像を解説した。
また、外的な知性の限界についても触れた。
しかしでは、どこからその英知は湧いてでるのか、
どうやってその源に到達するのかについてはまだ、充分には解説されていない。
続く<Art4>の解説のなかで、それらは突然、突如として明らかとなる。

月に一度のギーターの解説のほうは、
第5章『行動と、行動の放棄に関するヨーガ』に入る。
行動を放棄することで英知のすべてを得たトータカチャーリヤの生きざまを、
何千年も前にクリシュナ神が先取りして説いたかのようだ。
<Art4>の内容と実は密接にして不可分なその部分を
ちょうどこの時期解説することになるのが、
偶然なのか、摂理なのか、私には分からない。
いずれにしても、今月下旬から来月初旬にかけ、それらの日がやってくる。

今月28日はまた、『ギーター』の解説と瞑想の後、同じ会場でプージャを捧げる。
この日、本当は日本にいないはずだった予言の読み手により、特別に、
地上で苦しむ人びとの願いを聞き届け続けたアイヤッパ神にプージャを捧げるが、
どうかご一緒にお祈りいただき、食事も召し上がっていただきたい。
参列された皆さんお一人おひとりのお名前は、
今年、聖サバリ山に実際に登る人に託し、
はるばるアイヤッパ神に届けていただくことになるが、
それを行なうのが私自身になるのかどうかは、
まさに神のみぞ知るところである。


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