メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ バックナンバー 第101号 – 第110号

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第101号(2016年12月19日配信)

『執着』

昨年から長期にわたってお教えしている<Art5>は、
存在に関するもっとも精妙な科学であるため、これを教えるためには現代科学の、
やはりもっとも精妙な理論を比喩的に用いるのが効果的である。
そのために、さまざまな本や映像を参考にするが、
最近チラと見たのは、超弦理論の研究者と仏教者の対談であった。
そこに書かれていたことのなかで私を驚嘆させたのは、
最先端の物理学と太古の仏教とが符合するなどいう“普通の”ことではない。
一番驚いたのは、物質科学をそこまで探求した人が、
それを超える霊的・精神的実在については、実に一切、
これを認めないと断言していることであった。
ついでに対談者も、仏教者でありながら、それにまったく追従している。
人さまがどのような世界観を持とうが、それはそれで尊重すべきことではもちろんあるが、
しかしそれにしても、これほどの知性をもった人が、
現象の背後に隠れたより深い存在について、これほどまでに何も知らないとしたら、
それはそれで人間というものの“神秘”を感じないではいられない。
ましてそれが高名な仏教者であればなおさらだ。

だがそれは、実は決して他人ごとではない。
かく言う私も、モノに対する深い執着をもっている。その証拠に、
ちょっとした持ち物にも愛着を感じ、捨てることができない。
年末になると、この状態から可能なかぎり早く脱却したいと毎年のように思うのであるが、
人間、そう簡単には変われない。

そんななか、今年はいくつか、大きな決断をした。
一つは、前世紀末、アメリカから帰国して購入したブリタニカ世界大百科事典。
当時、三十数万円もした逸品で、ことあるごとに参考にしてきたし、
場所さえあれば結構豪華なインテリアにもなるものだが、
今年はこれを手放すことにした。
次に、事務テーブル。中根分室の待合室の奥にあって、
今はその上にいくつかの聖母像やインドの神像が置いてある。
幅150cm、奥行き75cm、高さ70cmで、まだとてもきれいだ。
最後は、これも長く愛用してきた本格的マッサージ・チェア。
現在は故障しているが、丁寧に扱ってきたので、
多少知識のある方が少しいじれば普通に動くようになりそうだ。
いずれも、私にとっては思い出の品物ばかりで、十分に使えるものだが、
もしこれらをとりに来ていただける方がおられれば、謹んで差し上げたいと思っている。

23日の<プレマ・セミナー>では、生涯の師に弟子入りしたヨガナンダが、
あらたな僧院で師とどのように触れ合っていったかをみてみたい。
この体験を読むと、私はサイババによる、
ある壮大な奇跡について思い出さないではいられない。
それは、私が見聞きしたサイババの奇跡のなかで最も印象深く、最大のものだ。
これについてお話しし、ご一緒に瞑想をし、この日はプージャを行ないたい。

先般、インドはガンジス河に行って水をとってきたのは、
それを使って日本で儀式を行ないなさいという指示が予言にあったからだが、
シヴァ神に捧げるアビシェーカ・プージャでこれを用いる。
同時に神々に捧げたお食事を皆さんに楽しんでいただき、
採取してきたガンジスの水を小さな容器に入れて全員の方にお配りしたいと思っている。

この聖なる水は翌24日、神戸での儀式でもこれを使い、
やはり全員の皆さんにお持ち帰りいただく予定だ。


第102号(2016年12月31日配信)

『逝ける年への想い』

『事実は小説より奇なり』という諺がある。
今、2016年も終わりにさしかかり、
今年もまた想定外のことがさまざまに起きた年だったことを思わないではいられない。

6月末、イギリス国民は一つの大きな決断を迫られていた。
EUに残るか否か。
答えは、決して難しいものではなかったはずだ。
他人(他国)と一緒にやっていこうとすれば、少々の不都合や不便はどこにでもあるものだ。
だからといって多大な恩恵を被っているEUを飛び出すというのであれば、
それは子供の主張と変わらない。
どんなに世論調査が拮抗していようと、
イギリス国民が全体として間違った選択をするはずがない。
そう世界中が信じていた。
直前、わが国を代表するエコノミスト、政治学者33名に結果を予想させたところ、
全員が「残留」と答えた。

日本時間で6月24日の朝、投票が終わり、
出口調査の結果をもとに、離脱派の主要な政治家の一人が敗北宣言をした。
これで離脱はなくなった……と世界中が思った。が、その数時間後、
実際には彼らのほうが勝ってしまっていたことが判明したのであった。
結果に焦ったのは、残留派だけではない。
離脱を熱心に唱えてきた当の政治家たちもまた、
ボク、やっぱり責任は取れないよとばかりに役職を辞し、または政治家を引退した。
なかには、離脱を説くために自らが引用・強調してきた数字はウソでしたと、
最後に謝った者もいる。
想定外の結末に世界は驚愕し、市場は即座に否定的な反応をした。
その有り様をみて、感度の高いイギリス国民のなかには、
自分たちは大変なことをしてしまったのだとすぐに気づいた者もたくさんいた。
テレビのインタビューに答えて、こんなはずではなかった、
もう一度投票させてほしいと訴える者もいたが、後の祭りだ。

……ということだったので、
よもやそんなことがもう一度起ころうとは思っていなかった。
アメリカの大統領選挙の前日、予言の指示によりインドにいた私は、
メルマガでも書いたように、所持金のすべてをルピーに換えたばかりであった。
そしてその日の夜、インド大統領が、それらの紙幣を無効にすると発表した。
これからどうやって旅を続けていくのか途方に暮れた私は、
しかし一縷の望みももっていた。
翌日はアメリカの大統領選の結果が判明する。
順当にクリントン候補が勝つだろう。
個人的に好きではないが、しかし彼女が勝てば、
行方の見えづらい世界の政治・経済もひとまず落ち着きを取り戻すに違いない。
まさか……あのBREXITのようなことがもう一度起こるなど……とんでもない。
所持金のほとんどすべてが紙屑になった翌朝、
さらなる混乱が世界経済を襲うなど……と心のなかで否定し、私は床についた。

インド時間で11月9日の午前、アメリカでは即日開票が始まっていた。
今回の選挙の勝敗を分けるといわれていた激戦州の結果が、
一つ、また一つと明らかになっていく。
そして……、トランプ候補の“勝利確率”は、
50%台から60%台、70%台、そして80%台へと上がっていった。
このとき、私は聖地ブッダガヤにいた。
2500年前、仏陀がその場所で悟りを啓いたという菩提樹の寺院を
巡礼、瞑想するはずであったのだ。
ところが、開票速報に釘付けとなった私は、部屋を離れることができなかった。
ガイドを待たせること一時間、トランプ候補の当選確率92%が出たところで、
ついに私は観念してホテルの部屋を出た。
そこには美しい仏塔が建っていた。
それ以上に美しかったのは、世界中から集まった善男善女たちだ。
彼らは、その信仰の発露から、思い思いに祈り、瞑想し、五体投地を行ったりしている。

かつて仏陀が悟りを啓いたそのとき、世界は狭かった。
政治も、経済も、今日ほど多様なものではもちろんなかった。
現在のような複雑にして怪奇な世界に住んでいたとしても、
あなたは同じように悟りを啓かれたのですか?
私は思わずそう、仏陀に問いかけた。
トランプ候補が大統領となり、まさか公約どおりの無茶はできないであろうにせよ、
そのような世界でも、あなたは平然として、淡々としていられたのですか?
もちろん、答えはYESであろう。
悟りとはそうしたものだ。
しかし私には、それは無理だ。
今生の間にあんなこともしたい、こんなこともなし遂げたい、
そのためにはあれをああして、これをこうして……。
日々、そんなことを考え、他国の大統領選挙の結果により
世界の政治・経済がどうなっていくかと心乱しているのである。
悟りとは、かくもかけ離れた境地だ。

今年、コンゴの小学校を軌道に乗せることができたのは、望外の幸せだった。
コンゴでは、それを中学・高校・大学へと発展させていけそうな手応えも、
ある程度得ることができた。
インドでは寺院の建立が進んでおり、
また、多くの貧しい人びとに食事や衣類を届けることもできた。
すべて、会員の皆さまの多大なお力添えあってのことだ。
そう考えると、ゆっくりではあっても、仕事はそれなりに進んでいるようにもみえる。
ただ、自分自身の意識の進化だけは遅々として如何ともし難いように感じられるが、
しかし聖者も、聖典も、そうではないという。

自分では気づかなくても、肉体をもって相対界を生きるだけで、
私たちは速やかな進化の流れに乗っている。
まして神々に儀式を捧げ、祈り、瞑想をするならなおさらだ。
そう考えると、仏陀の聖地で、クリシュナ神の聖地で、ガンジス河で、心乱していた私も、
たとえ未だ多くをなし遂げていないとしても、
さまざまに想定外のことがあったとしても、
精一杯、できるだけのことをして去っていこうとするこの年が、
ことの他愛おしく感じられてくるのである。


第103号(2017年1月25日配信)

『願い』

先日、インド伝承医学・アーユルヴェーダを教えているクラスで、
三年間の課程の最終教程である『知性の過失』について話していたときのことだ。
われわれのいかなる行為も、避けがたく印象や記憶を自然界に残し、
そこから次の欲望や欲求が必然的に生じて新たな行為につながる。
こうして転生輪廻が起きてくると、聖典・チャラカに説かれていた。
そこで一人の生徒が質問をした。
「先生、自分は両親を選んで生まれてきたという自覚のある子供たちがたくさんいます。
私はそのようにして、私たちが人生を自分で選んで生まれてきたと思うのですが、
運命やカルマによって誕生が決まるという聖典の記述と矛盾しないでしょうか?」
私は即座に答えた。
「そのように単純な世界観で納得できるようなら、それはそれで結構です。
でも、実際には、この世界は単に自分の自由意志で行動しているというだけでは、
説明がつかない事象を含んでいますね」

実際、われわれはどう考えても、これは運命によって決まっていた、
としか考えられないような現実に出会うことがある。
端的にいって、「予言の葉」という現実もその一つだ。
では、すべてが運命によって決まっている、とだけ言えばそれでよいのだろうか。
その予言の葉自体に、「これについてはあなたが努力しなければならない」
という記述があることもまた、事実である。
「あなたの意志によりなしとげることが可能だ」「避けることができる」さらには、
「あなたが行なってくれたこれらの行為にわたしは深く感謝しており、
あなたの運命をこのように変えた」等々の記述が出てくることがある。
どういう名前の両親のもと、いつ、どんな星回りでどういう子供が生まれ、
どう名付けられるというような「運命」をあれほどまでに鮮やかに記述してみせる聖者が、
その同じ葉のなかで、「自由意志」を求め、これを保証してくれてもいる。
そのことがまさに、この世界をわれわれが理解しきれてはいないということの証であり、
時間と空間、運命と自由意志に関するわれわれの概念が未熟であることを示している。

今回の3月の旅行は、記念すべき第30回目の巡礼旅行であり、
また、シヴァ神の指示された結婚式やホーマを行なう旅でもある。
さんざんお待たせしたその旅程がなかなか決まらなかった理由の一つは、
一週間という限られた時間のなかで、どこの寺院の、どの神々を訪れるかということにつき、
最後まで検討を続けたことによる。そうしたなか、終盤になって予言の読み手は、
どうしても行かなければならないという一つの寺院を指定してきた。
「ブラフマプリーシュワラ寺院」それは、ブラフマ神を祀った寺院であるが、
この寺院は、本来変えることのできないわれわれの運命を変える力をもつとされる。
「ここには必ず行かなければならない」
予言の読み手はそう断言し、これを旅程に入れた。

かつて、私について書かれた予言のなかに、
『この時期、神聖な旅の途上で事故に遭う。これを避けることはできない』
と書かれていたことがある。
『神聖な旅』とは『大いなる生命と心のたび』ではないかと思い、心配した私は、
なんとかしてそれだけは避けてもらえるようにと祈ったものだ。
結局、私が交通事故に遭ったのは、会員の方と伊勢神宮を参拝する旅の途上であった。
期日が指定されていたその巡礼を私はなんとか終え、伊勢で瞑想して帰ることができたが、
それが祈りの結果であったのかどうかは分からない。だが実際、
『大いなる生命と心のたび』ができなくなるということだけは避けられたのだった。

人にはそれぞれ、この点だけはどうしても譲れない、という願いがある。
われわれは、それについて神に祈るものだ。
そのような祈りを捧げる“権利”があるのかどうかは分からない。
しかしイエスも言っているように、そのように願う私たちを、
神々は愛おしんでくださっていると、私は信じている。
会員のなかには、寺院で個人的なお願いは一切しないという皆さんが多くおられて、
それはもちろんこの上なく崇高なお心もちなのだが、しかし今回の旅では、
そうした皆さんの心の奥底の祈りまでをも聴き、そして本当にかなえていただきたい。
それが今の、私の密かな願いである。


第104号(2017年2月20日配信)

『岐路』

『車輪の下』は、1905年に発表された、ヘルマン・ヘッセの名作である。
小説というものをほとんど読んだことのない私も、
中学三年のときにこれを読み、心動かされた。
というのも私もまた、主人公のハンス・ギーベンラートに
勝手に自らを重ね合わせていたのであった。
ハンスは、村始まって以来の秀才で、周囲の期待を一身に背負い、神学校の入学試験に臨む。
だがあいにく、神経の細い彼は当日体調が優れず、
ひどい頭痛に悩まされながらの受験となった。
すっかり落ち込んで故郷に戻ったハンスのもとに、通知がくる。
結果は合格、順位は全体の二位だった。

中学を受験するため、広島に出て行ったとき、
私は病気ではなかったが、いかにも段取りが悪かった。
父も母も仕事があったので、やむを得ずついてきてくれた姉は早朝から起き出し、
入念に化粧をしたので、 私も早くからすっかり目が覚めてしまった。
そのときの姉の化粧の音や衣擦れの音を、私は今でも思いだす。
さらに、今さらながら受験の心得をよく読んでみると、
筆記にあたっては「HBのエンピツを使用すること」と書かれている。
当時、多くの小学生が、出てまだ間もない「シャープペンシル」を使用していて、
私もその一人だった。
当日、まさかと思って試験会場に行ってみると、
果たして、試験官は「エンピツを使用するように」と言うので、
その瞬間背筋が凍りついた。
見れば、私は教室横の黒板の隣の席で、
同じ小学校から受けにきていた友人がたまたま前の席にいた。
そこで咄嗟に彼に頼んでエンピツを何本か黒板のチョーク受けに置いてもらい、
それを使って回答を書いた。
何科目目かですべてのエンピツの先がほとんど平らとなり、
もともと字のきれいな方ではなかった私の答案用紙は見るも無残なものとなった。
それでもなんとか受験した学校のすべてに通ったのは、幸運だったとしか言いようがない。
いや、正確にいえば、私はこれまで、入学試験に落ちたことが一度ある。
子供の頃からもっとも期待されていたのは、地元の付属中学に行くことだったが、
そこは抽選が6倍という難関だったのだ。
最初からそこには入れないことが、私には分かっていたかのようだった。
あるいは、広島で大木神父や倉光先生に出会い、キリスト教を学んだり、
また、後には彼らの活動を少しだが支援したりすることが、最初から決まっていたのか……。
『車輪の下』では、主人公のハンス・ギーベンラートは
神学校の寮で人生や恋に目覚めていき、
これをなんとか抑圧しようとしながら最後は精神を病んで挫折する。
私の中学・高校時代も、退学こそしなかったものの、惨憺たるものであった。
ハンスは後に、慣れない酒に酔い、川で溺死するのであるが、
私の人生もまた、そう大差ない。
仮にヘルマン・ヘッセのような才能があれば、私もそのようになったかもしれない。
しかし幸か不幸か、才能も中途半端なら悩む力も中途半端だったおかげで、
私は今もこうして生き永らえている。

日本中の若者たちが人生の岐路を迎えようとしているこの季節、
彼や彼女らが愛おしく、とにかく幸あれと願わないではいられない。
彼らのなかには、勝者もいれば敗者もいるだろうが、そのすべてが仮初めのものに過ぎない。
この春笑う者も、泣く者も、そのすべてに、これからの人生、栄光と挫折の両方がやってくる。
最終的に人生の“勝者”になれるかどうかは、一度や二度の試験ではなく、
その後の意識の深化が決める。
今の彼らには理解はできないかもしれないが、それだけは確かな事実なのである。


第105号(2017年4月1日配信)

『女神』

「永遠なる、女性的なるもの、われらを高みに導く……」
高校生のころから、何十年もずっと離れることなく脳裏にあったこの一節は、
今調べてみるとゲーテの語った言葉であった。
戯曲『ファウスト』の終焉部分には、こう記されている。

   なべて過ぎ行くものは
   比喩に過ぎず
   地上にては至らざりしもの
   ここにまったきものとして現われ
   およそ言葉に絶したること
   ここに成就す
   永遠なるものにして女性的なるもの
   われらを彼方へと導き行く(訳:柴田翔)

過ぎ行くものは実在ではなく、まるで比喩に過ぎない。地上ではすべてがそうだが、
ここ(天界)においてはおよそ言語に絶することが成就している。
永遠にして女性的なるものが、われわれを至高の境地へと導いている……。
意訳すればこうなるであろうこれらの言葉は、
要するに、永遠の女性性が、われわれを聖なるものへ、
至上の幸福へ導くと言っている。

本来そのような抽象的なものを想像できない人間は、
至高の存在を神々として表現した。
永遠なる、女性的なるものは、さしずめ女神として。
終わったばかりの今回の『大いなる生命と心のたび』でも、
女神は至るところに登場した。
あるとき神に戦いを挑んだ彼女は、負けて、しかし神からのさらなる寵愛を得た。
あるとき過ちを犯して罰せられた彼女は、長年月にわたる贖罪の結果許され、
今度は悪魔の首を刈ってまわる恐るべき女神に変身した。
そしてまた、われわれが滞在したクンバコーナムで、
彼女は世紀の天才ラマヌジャンに夜毎現れ、数学の真理を語っていった。
そのすべてが女神の側面であり、女神の仕業である。

わが国においては、古来、女性は慎ましく、奥ゆかしいのが至上とされてきた。
そしてわれわれはその様を「菩薩」と呼んできた。
「女神」という言葉は、それとはいくぶんニュアンスが異なるものの、
しかし意味において相違はない。
あるとき、女神は奥ゆかしく、あるとき、女神は荒ぶるのである。

そのような、いわば東洋的な女神像を知らなかった私は、
修学旅行のバスのなかで「理想の女性像」を語るよう強要されて、
「それは……マリア様のような方です」と思わず言った。
このフレーズは、その後卒業するまで、悪ガキたちに格好のネタを与えることとなったが、
私にとっては、心に思ったままを言ったのである。

今回の旅行中も、参加した女性の皆さんの祈る姿を見、瞑想を肌で感じた。
その皆さんのなかに私がしばしば聖母を見、感じたのは、
瞑想をお教えした生徒に対するひいき目では、おそらくない。

その聖母マリアは、メジュゴリエにご出現になった折り、
自らの姿を見せた少年と少女たちから問われている。
「なぜ、あなたはそれほどまでにお美しいのですか?」
それに対して、彼女はこう答えた。
『わたしが美しいとしたら……、それは愛するからです』
われらを高みに導く、究極の憧憬がここにある。


第106号(2017年4月25日配信)

『選択』

この世の中には、どうしてもしたいと思う二つの善のうち、
両方はできないことがあります。
そして、どうしても避けたい二つの悪のうち、どちらか一つはせざるを得ないこともあります。
バガヴァット・ギーターを読んでいると、そうした情況に立たされたアルジュナが、
インドラ神の化身であったにもかかわらず、髪が逆立ち、正気を失い、
神々からいただいた弓矢を落としてしまうほどの苦悩にさいなまれる姿が描かれています。
人間として、最高度に進化した理性と感性を共に兼ね備えたアルジュナにして、
どうすることもできずに苦しむことが実際にあるのです。
アルジュナの迎えた情況に比べれば大したことではなく、
客観的にみれば笑ってやり過ごせそうに思えることだったとしても、
私たちの人生もまた、そうした“不条理”の連続といえます。
職業柄、さまざまな権力をもち、さまざまに豊かで、さまざまに美しい、
そんな方たちと接する機会がありますが、
そうした皆さんですら、よくよく聞いてみれば、
人生の不条理にそれぞれ苦しんでおられることがわかります。
当然、私もまた、ささやかにではありますが、そうしたことに悩んできました。

今回、ある方にお供して出雲大社を巡礼して帰ってきたところ、
その日の晩、新たな予言が出てきました。
それには、現在、日本が直面している情況がきわめて厳しいもので、
それを(解消はできないにしても)軽減するために
しなければならないことが書かれていました。
最初に行なうことは、二日後、ある神社で花を捧げ、
祈り、儀式に与り、瞑想するということを、
同じ日に二度、繰り返しなさいというもので、
その神社が、いま帰ってきたばかりの出雲大社でした。
続いて、インドではまず、女神パールヴァティに捧げるホーマを59回行ない、
貧しく苦しんでいる方9人に牛を捧げるということを9回行ない・・・といった、
さまざまな儀式や慈善が勧められていました。
さらに、百数十カ所でのアビシェーカ・プージャや
サーンターナ・ゴーパラ・クリシュナ・ホーマ、パンチャ・ヤグナ・ホーマなどが続きますが、
それらの規模が通常ではあり得ないものだったことから、現在、わが国が置かれた情況が、
きわめてよくないものであることが推察されます。
さらに、私自身が行なわなければならないことを追って指示すると書かれており、
今回、神戸で瞑想講座を行なっている間に分かったことは、
早急にインドで、さまざまな儀式と慈善を
自分の手でおこなわなければならないということでした。
そのための日付が(占星学的な表現ですが)指定されており、
みれば、29日の瞑想講座、30日のプレマセミナーなどがすっぽり入っていました。

すでに本に書いたように、
日本の皆さんに瞑想をお教えすることも、聖者の葉をお読みすることも、
いずれも予言の示唆と指示で始めたことです。
そのなかで、浅草、鎌倉を初めとして、伊勢神宮や諏訪大社、奈良、京都、四国、出雲等々、
さまざまな場所で瞑想することが指示されてきました。
しかしそれが、瞑想講座やプレマセミナーにかぶさるかたちであったことは、
一度もありません。
明らかに、聖者も、神々も、それらの予定をご存じで、
勘案してくださっているとしか考えられません。
そう思い、今回もなんとかこれを回避できないものかと
さまざまに“問いあわせ”、“交渉”もしてみましたが、
その結果は、まさにこのとき、このタイミングで行かなければならないというものでした。

まことに残念で、申し訳ないことに、以上のような経緯から、
今月29日の瞑想講座、30日のプレマセミナーを、ともに延期させていただかざるを得ません。
これまでさまざまな状況下、たとえば雷雨の中であっても、体調が悪くても、
講座やセミナーをキャンセルしたことのない私としては、
初めての経験で心苦しく、
特にゴールデンウィークに予定をとり、
楽しみにしていただいていた皆さんには大変申し訳ないことと思っています。
それでもなんとかギリギリのやりくりをして、
5月4日の四谷・エイトスターダイヤモンドでの講演は予定通り、
全力で行なわせていただきます。
また次回、5月28日のプレマセミナーでも、
今回の経過や経緯、聖者と神々の意志や意図について、
私自身考えるところ、感じるところをお話しするつもりです。
ここに、心よりのお詫びとともに、お知らせに替えさせていただきたいと思います。


第107号(2017年5月30日配信)

『2000年』

今からもう17年も前のことになるが、2000年のアメリカ大統領選挙は、
昨年のそれをはるかに上回る激戦となった。
得票総数では、アル・ゴア候補が50,999,897票で、
50,456,002票のジョージ・W・ブッシュ候補を上回った。
しかし、激戦州であったフロリダの集計が最後までもつれ、
1カ月以上にもわたる訴訟合戦の末、わずか537票差でブッシュ氏が勝利、
その結果、選挙人の数では5票差でゴア氏は敗れることとなる。
このとき、もし手作業で正確な票数が集計されていたならば、
または、そもそもバタフライ方式と呼ばれるまぎらわしい投票用紙により、
ゴア候補に入れたはずの票が泡沫候補のパット・ブキャナンに流れるという過誤がなければ、
文句なしにゴア候補が当選していただろうというのは今日、ほぼ定説となっている。

アル・ゴアは、1948年、テネシー州選出の民主党上院議員の息子として生まれた。
ハーバード大学を優秀な成績で卒業後、弱冠28歳で下院議員に当選、
上院議員を経て1992年、44歳で合衆国副大統領となった。
副大統領は権力のNo.2のはずであるが、アメリカでは政治的なお飾りとしての色彩が強い。
しかしゴアは、副大統領時代、「情報スーパーハイウェイ構想」を企画し、
インターネットを爆発的に普及させ、
また、政権末期にはナノ・テクノロジーに資金援助を行い、
この分野の世界的発展の基盤をつくったといわれる。
毛並みがよい以上に、有能な人だったのだ。
歴史に“もしも”はないが、もし仮に1998年、
モニカ・ルインスキー事件で偽証を行なったクリントン大統領の弾劾が成立していれば、
その時点でアル・ゴアが大統領になっていた。
または、仮にあのスキャンダルが表面化していなければ、
やはり2000年の大統領選挙はゴアの楽勝だっただろうといわれている。
しかし“不幸な”ことに、スキャンダルは露見し、そして、弾劾は成立しなかった。

フロリダ州集計問題における訴訟合戦はあまりに複雑で醜く、
まさに人間のエゴと権力欲のぶつかり合いだった。
実際には選挙に勝利していたにもかかわらず、この闘争に敗れ、
「同意はできないがこれに従う」と表明したゴアは、よほど苦しんだのであろう、
その後「うつ」の症状に悩まされ、しばらく表舞台から姿を消した。
そうして後、彼が再起したのが「環境問題」である。
アル・ゴアの主演したドキュメンタリー映画『不都合な真実』は世界中で話題を呼び、
現代社会における環境意識の高まりの先駆となった。
その環境啓蒙活動は世界的に高く評価され、2007年10月、ノーベル平和賞が与えられる。
その動線上にあるのが、2015年12月に採択された「パリ協定」であった。
今を去ること20年前、1997年に採択された京都議定書以来となる、
気候変動に関する国際的枠組みであり、
これからの地球環境を考えればなくてはならない協定であるが、
残念ながら現在、中心的な役割を果たすべきアメリカはその枠組みから脱退しようとしている。
17年前、投票総数で勝りながら、
投票用紙の不備と奇怪な裁判の帰趨により選挙人投票で敗れることとなった
アル・ゴアの“遺産”を葬り去ろうとしているドナルド・トランプが、
逆に投票総数で敗れながら、選挙人投票で復活した大統領であるのは歴史の皮肉だろうか。
しかし“皮肉”で済ませるには事はあまりに重大で、
たとえば今回のタオルミーナ・サミットでは、ローマ法王自身がトランプ大統領を招き、
パリ協定に残るよう説得を試みた。
法王の説得が素直に受け入れられるようであれば、
まだ世界には望みがあるのかもしれないが、
そうでなければ再び混迷の度は増し、
98年以来の弾劾裁判となる可能性も高まってくるだろう。
一方のゴアのほうは、政治家としての下積み時代から2000年の大統領選挙、
それに続く不遇な時代を支えてきてくれた夫人と2010年に離婚、
その後、かつて巨額の政治資金を提供してくれた女性と交際中であるという。

それぞれの国の政策は、それぞれの国民が決めることではあるものの、
イギリスがEU離脱を決めたり、ドナルド・トランプが当選したりということ自体が、
世界が普通の状態でないことを示しているように私には感じられる。
国の政策や世界情勢というものは、一見、与えられるもののように見えるが、
実はそうではない。
それらは、そこに生きる人びとの集合意識が決める。
世界情勢がおかしいとすれば、それはとりもなおさず、
そこに生きる生命たちの生き方に問題があることを意味している。
われわれは誰もが直接、政治や経済に関与することができるが、
しかし仮にそれができなかったとしても、自らの意識の進化により、
環境に貢献することがなお可能である。
実際、時々刻々、われわれ自身が環境を、この世界を形成しているといっても過言ではない。
そうして最終的には、
それぞれの行為の結果をそれぞれが受けとるという至極当たり前の法則を、
われわれの誰もが経験し、受益、または受忍することになるのである。


第108号(2017年6月20日配信)

『危機』

『デリーで上馬場氏と別れた私は、ジャムナガールには直接戻らず、
ネパールの首都カトマンズに飛んだ。
そしてそこから、再びプロペラ機で、ポカラという町に向かった……』
拙著『アガスティアの葉』「哀しみのイエズス会士」の章・冒頭には
このようにだけ書かれている。
しかしこのとき、カトマンズの空港では、
飛行機が数時間飛ばないという事態が起きていた。
最初本などを読んで時間をつぶしていた私も、とうとう飽きてしまった頃、
ふと見るとそこに日本人がいた。
(どうしてこんなところに、日本人の、若い女性が一人で……)
と思ってやり過ごすが、待てど暮らせど飛行機は飛ばなかった。
「日本の方ですよね……」
そう話しかけるのには、相応の勇気がいった。
愛想のない中国人だったらどうしようと思ったわけではない。
彼女は絶対に日本人だ。
ただ、気楽に話しかけるにはやや美し過ぎたのだった。
そこで勇気を出して話しかけたおかげで、一つの恋が始まることとなった……
という話では全然ない。
が、このとき、私の“運命”は少しではあっても、確実に変わったのだった。

話を聞くと、彼女は富士通に努めるOLで、親指シフトの指導員だという。
親指シフトというのは、富士通が独自に開発したキーボードで、
通常のJIS配列キーボードではほぼ不可能な
日本語直接入力を容易にしてくれる優れものだ。
それがどんなに優れているかを、もちろん私は知らなかったが、
今、このエッセイを目にしておられる皆さんのほとんど全員もご存じないだろう。
空港で長時間にわたり、いかにそれが便利で合理的かを
指導員から直接聞いた私は、帰国後、実際に親指シフトキーボードを購入・練習し、
一気に『理性のゆらぎ』を書き上げたのだった。
以後、私の書いた日本語のすべてが親指シフトによると言ってよい。
お蔭で、どれほどの時間が節約され、どれほどの思考の流れが助けられ、
労力と精神力が節約されたかは計り知れない。

もしこれがパナソニックの製品であれば、
今頃日本人の多くがこのキーボードの莫大な恩恵に与っていたことだろう。
が、世の常、いつもよいものの方が売れるとは限らない。
いかんせん、開発したのは富士通だった。
多数を抑えることに失敗した同社は、シェアをどんどん減らしていき、
今や親指シフトは絶滅の危機に瀕している。
富士通パソコンを買ってすら、このキーボードは選択できない。
別売なのだ。
さらにやっかいなのは、ウインドウズとの接続である。
ウインドウズのバージョンが替わったり、パソコンが替わったりすると、
素人にはできないような複雑な調整が待っている。
わが国に大きな困難が訪れようとしていると予言されていたこの時期、
よりによって私のパソコンはダウンしたが、
以前のデータをなんとか取り出し、パソコンを買い換えて二カ月が過ぎ、
なお動作環境が戻らないのは、このキーボードを含むシステムが原因だ。
今、私は、数カ月前までなら簡単に打てた文章を、
四苦八苦しながらやっと打ち始めたところだ。
新しい環境に慣れれば、ローマ字入力よりもはるかに速く打てるので、
親指シフトから離れることはできないが、
以上のような理由で、今は長い文章を打つこともできなければ、
過去のメールや文章を見たり、引用したりすることもほとんどできない。

『北の、愚かにして気の狂った王が、諸国に損失を与えようとしているので、
これを軽減しなければならない』
予言には、とうとうここまで直截な表現がされるようになってしまった。
私には再び、行なわなければならないことが現れたので、
6月25日(日)のセミナー後、皆さまの助けを得て行ないたい。
美と富の女神ラクシュミにアビシェーカ・プージャを捧げるが、
その際のお供物は、私の自宅で、私の弟子をアシスタントにして
予言の読み手が作ったものでなければならないと書かれている。
バナナの葉の上に敷いていただくようにという指示なので、
プージャ後、是非皆さんにはこれを召し上がっていただきたい。

25日のセミナーでは、ヨガナンダの僧院生活において、
出家と在家の生活、また、他の弟子たちとの関係について等、
特筆すべきエピソードが語られる。
奇しくも予言のなかでは、今回特に、
『弟子のなかに、試練に突入(しようと)している者(たち)がいる。
おまえには心痛があるだろう。
(このパリハーラムにより)その人を護らなければならない』
とも書かれていた。
この日、皆さんにはご一緒にお祈りしていただければと、切に願っている。


第109号(2017年7月24日配信)

『奥飛騨慕情 第一話』

訳あって、飛騨山中に分け入ることになった。
<Art5>を受講された生徒さんの一人が現象界の成り立ちに深く興味を抱き、
年に数回しかないスーパーカミオカンデ見学ツアーに申し込んだところ、
見事に的中、チケットをゲットされた。
おかげで私もこのツアーに参加することになったのであるが、
同時に私には、遠方の寺社仏閣9カ所で瞑想するようにという予言の指示も出ていたので、
初日は飛騨の寺々で瞑想し、山中で一泊、
二日目にスーパーカミオカンデを見学するという計画を立てた。

スーパーカミオカンデとは、飛騨の山奥に建設された巨大科学実験施設で、
ニュートリノの観測で名高い。
ニュートリノは、この世界を構成する重要な素粒子の一つであるが、
長い間、質量がない、幽霊のような粒子とされてきた。
また、ほとんど他と相互作用をしないので、
実際には私たちの体を毎秒数百兆個も透り抜けているのであるが、
これを感じられる人はいないし、害にもならない。
カミオカンデは1987年元旦からニュートリノを捕らえるべく稼働したところ、
直後の2月23日、10年か20年に一度とされる超新星爆発に遭遇、検出に成功した。
このニュートリノが大マゼラン星雲を出発した頃、
地球上にはネアンデルタール人が棲息していたが、
16万年が経ってそれを同じ人類が観測するなどと、誰が想像し得ただろうか。
この観測により2002年、小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞した。
さらに、1996年に稼働していたスーパーカミオカンデは「ニュートリノ振動」を観測、
ニュートリノに質量があるという素粒子物理学上の大発見をもたらした。
これにより2015年、梶田隆章がノーベル賞を受賞したが、
もし戸塚洋二東京大学特別栄誉教授が存命であれば、彼も確実に受賞していたはずだ。
ノーベル賞は通常三人に同時に与えられるが、
この年二人にしか授与されなかったのは、受賞を目前にして逝った戸塚に対する、
選考委員らの敬意と惜別の表れであるともいわれている。

ちなみに、私はエッセイのなかでなるべく政治に触れないよう努力しているつもりだが、
それでも一言付け加えるとすれば、
8年前に政権が交代し、あの、いわゆる「事業仕分け」が行なわれた際、
これら大規模科学研究の費用は“廃止”または“縮減”すべきと評定された。
国家財政が危急存亡の折りであることを思えば、
何かを廃止、または縮減するのはやむを得ないことではあるが、
仮にスーパーカミオカンデが本当に廃止されていた場合、ニュートリノも、
そして今や遅しと待たれている陽子崩壊という世紀の発見も、露と消える。
「二番じゃダメなんですかっ!!」と他を罵倒する議員もいて、
その人はその人で国を愛してのことだったのだろうけれども、
そうなったときには二番どころか、二流、三流に落ち込むのは速いのである。

ちなみに7月6日、日本アーユルヴェーダ学会で行なった講演には、
大雨のなか、会場を一杯にする人たちがおいでいただき、私のほうが驚いたものであるが、
講演の最後に私は、国の政治・経済だけではなく、科学・技術の発展も、
哲学や宗教の進化も、一握りの政治家や科学者、哲学者や宗教家ではなく、
結局は人びとの集合的意識レベルが決めると申し上げた。
その意味で私たちは今、太古の東洋科学も近代の西洋科学技術も共に享受できるという、
希有な時代、希有な地域に生まれ合せている最中と言って、
過言ではないのである(第二話に続く)。


第110号(2017年9月5日配信)

『奥飛騨慕情 その二』

飛騨山中に、ガネーシャ神を祀った寺がある。
そこでは日々、敬虔な僧侶によって浴油祈祷が行なわれていると聞いて、
訪ねることにした。
小さな、慎ましやかな寺であると聞いていたのに、
着いてみると豪壮な伽藍が目の前にあった。
「へえ……大きいんだ」と思わず言うと、
「いえ、こちらのお寺なんです」と言って指さされたのは、
隣にたたずむ、なるほど慎ましやかな寺だった。
聞いていたより、さらに小さい。
そこにいる五十代前半くらいのご住職は、夕刻であったにもかかわらず、
おやおやと気さくに出てきて、お話をしてくれた。

「父にずっと言われていたことがあるんです。
 それは、この厨子を開けてはならない、
 決してガネーシャ神を見てはならないということでした。
 ひとたび見てしまったら、あと一生、厳しい行を続けなければならないと」
ご住職は、訥々として話し始めた。
私なら、そんなふうに言われれば、どうしても見たいと思うに違いない。
特に若いうちはそうだろう。
が、父親に言われたとおり、彼は厨子を開けることなく、
ガネーシャ神像を見ることもなく、四十代まできていた。
「ところが……」
と住職は言った。
「ある年の正月元旦、なんと私は厨子を開けていたのです」
(え……!)
それは、夢であった。住職は夢のなかで、(あ〜〜〜!!)と声を出したという。 
「はっきりした夢でした。
 ドキドキしながら、その後しばらく静かに暮らしていましたが……、
 ところが、同じ夢を私はもう一度見たのです」
決してしてはいけないと言われたことを夢のなかであれ二度してしまい、住職は思った。
(これは、厨子を開け、ガネーシャ神を礼拝しなさいということではないのか……)
そうして、遠方にいる老師に教えを乞い、礼拝の作法を習得し……、
ついに住職は厨子を開けたのである。

ガネーシャ神像は、古い和紙と金の布に包まれていた。
最後に浴油祈祷がされて何十年、または何百年が経つのか分からない。
像には、油が黒くこびりついていた。
これを丁寧に拭き清め、ごま油を入れる真新しい容器を用意して、
その日から浴油祈祷が始まった。
初めは早朝に行なっていたが、そのうちに、日付が変わってすぐ、
すなわち深夜零時に行なうようになった。
真言を唱えながら、七百回、心を込めてごま油を像におかけしていく。
慣れた今でも、一時間はかかるという。

聖天様は願いをかなえてくださることで有名である。
その神様に毎日これだけのお勤めを欠かさない住職は、どんなことを願うのだろうか。
「それは……、檀家さんたちからお願いされることですね」
「ご自分の願いは?」
その問いに、朴訥とした住職は、恥ずかしそうに笑って言った。
「それは……あんまりかなえてはいただけないです」
「え……、こんなに毎日礼拝しているのに叶わないって、たとえばどんなことですか?」
失礼かとは思ったが、勇気を出して聞いてみた。
「そうですね……」
住職はしばらく黙っていたが、ふたたび恥ずかしそうにこう言った。
「本当は毎週、ごま油を新しいのに替えたいのです。
 でも、ごらんのとおりの貧乏ですから……」
私はこの住職が、だんだん本当に好きになってきていた。



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