メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ バックナンバー 第91号 – 第100号

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第91号(2016年1月31日配信)

『新惑星』

今から10年ほども前、プラーハで開かれた国際天文学連合 (IAU) 総会の模様を、
今も思い出す。
中心的な議題の一つは、冥王星を惑星として認めるかどうかだった。
冥王星を惑星とするなら、
とりあえず他に3つはこの規模の星を惑星と認めざるを得ないので、
こうして太陽系内の惑星の数を全部で12とする案が有力であった。
しかし、冥王星たちは、他の惑星に比べてあまりに小さいという理由で反対が続出、
議論が紛糾した末に結局、冥王星は“準惑星”という地位に落ち着いた。
ちなみに、総会直前までに登録されていた小惑星は134,339個あったので、
冥王星は太陽系内第9惑星から、小惑星134340番という地位に転落した。

あれから10年の歳月が流れ、今再び、太陽系内に9番目の惑星があるといわれている。
直径が地球の2~4倍、質量は約10倍、太陽系で5番目に大きいとされるこの惑星、
実はまだ“観測”されたわけではない。
その軌道は大きく引き延ばされて太陽系の他の惑星とは異なる方向に面し、
まだ誰も見たことがないのだ。
公転周期は1万年から2万年と推定されていて、今頃どこにいるのかも分からない。
ではなぜこれが“ある”と言えるのかといえば、それは、
他の惑星の動きを子細に分析すると、このような惑星が存在せざるを得ないからだ。
過去10年の間、「惑星の数は8つ」となってしまっていたが、
ヴェーダ的には何千年もの間、「9つの惑星」と言われ続けてきた。
そう考えると、9つの惑星の神々は、この新たに見つかった、
まだ誰も見たことのない惑星にも宿っておられたのかもしれないという、
ある種厳粛な気持ちになる。

折しも、12年に一度の星回りが近づいてきている。
この時期、世界の神聖な河が聖地クンバコーナムに流れ込み、
それに合わせてすべての神々が集結されるという。
このときマハーマハムの池で沐浴するとあらゆる罪が清められるといわれるが、
これに与る旅行を企画したところ、
締め切り前日、十数年越しのまとまった収入があって旅行に来られるようになったとか、
旅行期間中に予定されていた大事な仕事が突然延期になった、
9つの惑星の神々の画を眺めていたら全身に電気が走って……
といったご報告がここへきて相次いでいる。
折しも開催中の<Art5>でも、皆さまから毎週、神秘的な体験が寄せられていて、
(具体的には別の機会にご紹介したいと思っているが)
これが12年に一度の神聖な星回りのなせる業なのか、
あるいは新たに発見された9番目の惑星の神がわれわれの巡礼をお歓びになっているのかと、
私は勝手に感じ入ってしまうのである。


第92号(2016年2月24日配信)

『アインシュタインの夢』

どんな科目も、生徒に教えてみると自分の理解の度合いが分り、
また自分自身の認識も深まるとは、しばしば教師の間で言われることだ。
科学の分野でいえば、通常の力学のように、
われわれの具体的な想像が及びやすい範囲であれば理解は容易だが、
熱力学や統計力学のように現象や原理を思い浮かべるのも難しい分野だと、
教えてみて初めて自分も分った気になったりする。

長い間、どのようにして教えようかと思案していた<Art5>は、
今、教えなければならないという必要にかられて講座を始めたわけであるが、
通常では想像することの困難なその内容も教えてみると、
あらためてヴェーダ科学の深淵さに驚いてしまう。
さらにまた、毎週のように皆さんからいただく体験や感想を読んでみると、
背景にある科学の深さにもまさって、さらに大きな“力”があることもつぶさに分る。

この世界は、究極的には一つの全体である生命以外の何ものでもないが、
その認識を深いレベルで得ることこそが<Art5>のテーマに他ならない。
聖賢たちは、それぞれに認知した真理をそれぞれの立場や言葉で表現してきたが、
特に物質世界におけるそれは、自然科学と呼ばれる分野で行なわれてきた。
そのなかで、今からちょうど100年前、ベルンの特許局に勤めていた一人の青年が、
後に「一般相対性理論」と呼ばれる理論を打ち出した。
それは重力というものが、遠隔作用によって伝わるわけのわからない力ではなく、
結局は「時空の歪み」であることを表している。
これを示す一篇の方程式を、アインシュタインの重力方程式というが、
それによれば、質量のある物体が運動することで時空の歪みもまたゆらぎ、
これが「重力波」として伝搬する。
そのことを当時すでにアインシュタインは予言していたが、しかし観測はできなかった。
重力波は、あまりに微小なのである。

さて、今から13億年前、宇宙の片隅で太陽質量の数十倍の2つのブラックホールが合体、
そこから太陽の質量3個分に相当する巨大なエネルギーが解放された。
13億年かかって、その波(重力波)は地球に届き、
そのゆらぎにより、地球から太陽までの距離もわずかにゆらいだ。
どれくらいわずかかというと、水素原子の直径ほどだという。
このほどアメリカで観測されたのは、そのわずかなゆらぎであった。

実は、アメリカで行なわれたその超精密な観測機器よりも、
さらに性能のよい装置が、日本でも建設されつつあった。
アメリカの建設費1200億に対して、日本の予算はわずか150億。
実際のところ、「二番ではダメなんですかっ!!」などと官僚を怒鳴り上げた某政党が、
極端なバラマキ政策を掲げて自分たちの票を買い取る代わりに
科学技術の予算を削ってしまうことがなければ、
重力波発見の栄誉はわが国に輝いた可能性が高い。

だが、もしアインシュタインが今生きていたなら、
どの国が最初に重力波を発見したなどという小さなことは言わなかったであろう。
いずれにしても、ヴェーダと科学の言葉で<Art5>を教えているちょうどその最中に、
「万物の統一理論」に近づく大発見が地上で行なわれることとなり、
あの世ではアインシュタインと神々が一緒に微笑んでおられるのではないかと、
私は密かに想像したのであった。


第93号(2016年4月24日配信)

『摂理』
 
21週に渡った<Art5>が終わった。
それは、驚くべきことの連続だった。
教科の内容というのは、教えてみて初めて自分も理解できるという格言を前回ご紹介したが、
理解したと思うのと、これを教えるために
太古の伝承科学から西洋近代科学に至るまでを俯瞰、駆使しながら解説を試み、
実際にその技術を使ってみるのとは、まったく別のことだった。
無からのゆらぎによって有を生み、相対世界を構成するに至った
「神の息吹」ヴェーダに触れるにつけ、
その美しさと力強さには驚嘆せざるを得ない。
そのことを次回<プレマレター>でもう少し具体的に書く予定だが、
21週が終わってほっとしたのも束の間、
『この講座の続きを行なわなければならない』という予言の指示が出た。
ただし例によって、その前にしなければならないことがあるという。

聖者アガスティアが次のように書いている。
『おまえが行なってくれているわたしの仕事に対し、
心から感謝している。だが今、さらに行なわなければならないことがある。
まず、日本の南に行き、弟子たちとともに瞑想しなさい。
早ければ早いほどよい。次に……』

これを読んだのが4月14日の午後7時半ごろ。
そうして約二時間後、午後9時26分に、九州は大きな地震に見舞われた。
私たちが<Art5>の叡知に感動していたその同じ頃、
日本の南の地殻は変動し、亀裂を起こし、限界を超えようとしていたのである。
予言では、さらなるヴェーダの叡知を学び、瞑想を実践することが勧められている。
あたかも、痛んだ自然界を意識のレベルで修復するかのようだ。
それを指示した聖者はまた、行なうべきパリハーラムを地震発生の直前に示してこられた。

私たちは、ヴェーダの叡知から多大な果実をいただく。
世界をより統一的に理解できたときの感動や、
仲間とともに瞑想する歓び、さらに神秘な体験をしたときの感嘆……。
それらを知り、経験できる私たちは、おそらくより多くを返さなければならないのである。
誰に対してか。
神や、自然界に対して。神々や、苦しんでいる隣人を通じて。
おそらくそれが、神や自然界が求めるこの世界の摂理であり、
同時に一方では、私たちの祈りは神々に聞かれているという驚くべき現実がある。
本日の<プレマ・セミナー>では、
そのことを肌で体感することとなった若き日のヨガナンダの体験を、
キリスト教における聖母出現のケースとも比較しながら、
ヴェーダ科学の立場から解説する。


第94号(2016年6月15日配信)

『人のうわさも……』

現在、東京では知事の“不祥事”が大きく取り上げられ、メディアを賑わしている。
私が大学院生だった頃、この方は助教授で、テレビ番組などによく出演されていた。
そのせいか、他の教官にはすこぶる評判が悪かったようであるし、
学生どもともなればさらに残酷なもので、
この人の姓と名の間に“不”の字をつけて読んだりしていたものだ。
それでも、後には政治家となられ、厚生労働大臣を何期か務められたときには
よく仕事をしておられるように見えたし、さらに後には都知事に当選された。
そうこうしているうちに、
知事の親友の親友にあたる人が、私にとっても親友であることが判明したりもしたが、
ただ今回は、そのなかから週刊誌のインタビューに答えて心情を吐露する人も出たりして、
期せずしてさまざまな人間模様を見せられることとなった。
今、この原稿を書いている時点では、『人の噂も〇〇日』とばかり、
知事はじっと嵐が通りすぎるのを待っている状態なのだという。

ところで、熊本地震があってまだ60日なのに、
現在ではあまり報道を目にすることもなく、まるですべてが過ぎ去った過去のようだ。
しかし私にとってはそうでもなく、
被災地域にお住まいだった会員お二人になんとか連絡をとろうとしているのであるが、
それがいまだにできないでいる。
皆さまから寄せられたご寄付が100万円を超えてきた段階で、
これを最も被害の集中した南阿蘇村に贈らせていただいたのだが、
会員のお二人とは連絡がとれないままなので、
思い余ってそのうちの一人の住まわれていたアパートの管理会社に電話してみた。
すると、そのアパートは潰れたという答えが返ってきたのだった。
個々人の消息や現在の連絡先を管理会社が知っていようはずもないのであるが、
なんとか連絡をとっていただけないか、管理会社の方にお願いする他はなく、
手紙も書いてみた。
被災地の皆さんはいまだに不自由な生活を強いられているはずで、
多くの方も亡くなっているなか、こちらも決して他人ごとではない。

おそらく、どこかの避難所とか、ご友人宅におられたか、
今はご実家に戻られたか、そんなふうであるに違いないと私は思う。
そうは思うが、それにしても心が落ち着かない。
奇しくも震災の発生と同時期に始まった私の微熱も、いまだに下がらず苦しんでいる。

はっきり言って、
個人の進化に多大な影響を及ぼす瞑想を教えたり教えられたりということは、
単なる偶然で起きることではない。
そこには、過去(世)からの何らかのつながりが必ずあってそういうことが起こる。
それは瞑想をお教えした、どの方にも言えることであり、
ましてご縁あって聖者の予言をお読みしたりした方はなおさらだ。

あまり騒ぎ立てるのもいけないかと思い、極力静かにしてきたが、
もしご無事で、このエッセイなど目にされることがあったら、
是非一言、「無事だよ」とだけ連絡してほしい。
そして、なにか必要なものなどあれば、
躊躇うことなく教えていただけたらと思っている。


第95号(2016年7月24日配信)

『自由人』

「小池(百合子)先生は、根っからの自由人ですから」
自民党の石原伸晃・東京都連会長がそう言って笑ったとき、
その表情にはどこかしら皮肉の意図が見てとれた。
無理もない。都連のえらい先生方が自民党の都知事候補を決めようと思っていたら、
小池氏が誰にも相談せず、勝手に立候補を表明してしまったのだ。
面子を潰された格好のおじさんたちは怒り、金輪際彼女を推薦しようとはしなかった。
では、小池氏は立候補を取りやめたかといえば、そんなことはなくて、
逆に党への推薦願いを取り下げて立候補し、当選するかもしれない勢いである。
まさに“自由人”の真骨頂だ。
辞書によれば、自由人とは、
「何ものにも強制されず自らの運命を自分で決めることができ、思いのままに生きる人」
と書かれている。ならば自由人になりたい! が、
「しがらみや規則にとらわれず、気ままに生きる人の事」とも書かれている。
われわれが“自由人”に抱くイメージは、自由でいいな……というのと同時に、
お気楽で都合のいい人、という否定的なイメージもつきまとう。

私自身のことを思えば、小学校のとき、家を出て都会の中学を受験すると言い出し、
両親の戸惑いをよそにこれを実行してしまった。
あの時代、田舎の市立小学校においては初めてのことだった。
その意味で、私は自由人のように見えたかもしれないが、
自分としては、これ以上公立校に通い続けることは不可能だった。
いわば、やむにやまれぬ行為だったのだ。
その後大学に入り、アメリカ時代を経て大学院生となっても、
どこかの企業に就職して生計を立てようと考えたことはついぞない。
しかしそれも、宮仕えなど到底できないだろうという自分の能力的なものから出たもので、
特に私が自由人であったわけではないと自分では思っている。
その証拠に、私は今も、いつも時間に追われ苦しんでいる。

そんな私が、この人は、と思う自由人が亡くなった。
「私には、聞かなければならないレコード、観なければならないビデオ、
 読まなければならない本が膨大に溜まっているのです……」
『世界まるごとハウマッチ』や『クイズ・ダービー』など、
一世を風靡した人気番組を何本も手がけた大橋巨泉は、そう言って事実上の引退をした。
忘れもしない、その会見を観ながら、世の中には思い切ったことができる人がいるものだと
胸のすく思いをすると同時に、しかし私は、
(この人絶対、じきに“自由”を持て余すに違いない……)と思ったものだ。
多くの人との関わりのなかで、充実した仕事をしてきた。
奇想天外な発想で世間をあっと言わせてきた。そんな人が、
瞑想などによって内面の探求に入っていくわけでもないのに、残り何十年もの余生を、
音楽やビデオ、本や旅の世界に遊ぶだけで満足できるはずがないのである。
人は、自らのダルマの探求なくしては、幸せとは感じられないものなのだ。
案の定、暇を持て余したのかどうかは知らないが、彼は参議院選挙に立候補し、
当時の民主党の比例区でトップ当選を果たす。が、
あれほどの創造的な人が、一議員として党の小間使いなどしていられるわけもない。
やはり案の定、半年後には早々に議員の座を放り出し、世間を呆れさせた。

ことほど左様に、ダルマ(使命)の探求は簡単ではない。
相対界の複雑さが筆舌に尽くしがたいものである上に、
何がダルマであるかの認識も、その遂行も、
自分自身の意識レベルでしか行なうことができないからだ。
この点は、自由人である、ないに関係がない。
巨泉さんが自ら言うところの“セミリタイア”をしてみせたのが56歳のときであり、
その後、あっという間に亡くなっていったように感じられることを思うと、
今年57の私にも、はっり言ってそう多くの時間が残されているわけではない。
仕事が一段落したら大間に移住して300キロのマグロを釣り上げるんだと、
冗談など言っている場合ではないのである。


第96号(2016年8月10日配信)

『偉業』

昔、高校の生物の時間に、
後にポカラの会で皆さんともご縁ができることとなった倉光誠一先生が、
「もしこれが解明されたら、ノーベル賞一個では足りない、何個分かの価値があります」
みたいなことを言われたことがある。
同じノーベル賞といっても、“並”で小粒な業績もあれば、
それこそ人類にとって不滅の偉業もあるから、
そう言われた倉光先生のお気持ちはよく分る。
(ただ、今となってはその内容がどうしても思い出せないのだが……)

オリンピックが開幕して連日、トップニュースの様相だが、
その陰に隠れて二番目、三番目のニュースとなった感のあるイチローの偉業は、
正直、オリンピックの金メダル10個分くらいに相当すると言っていいだろう。
一口に3000本安打というが、試合数の多い大リーグでも、年間162試合。
仮に毎日必ず一本安打を放つ選手がいたとしたなら、はっきり言って驚異的であるが、
その選手ですら、18年半かかる計算だ。
大学を卒業してからすぐプロ入りして、開幕から使ってもらえたとしても、
3000本を打つ頃には40歳を過ぎている。
その間には、普通は怪我をして棒にふるシーズンもあるだろうし、
それどころか選手生命自体が早めに終わる可能性もあるだろうから、
大リーグに移籍して未だ16年目のイチローのこの数字はまさに偉業だ。
実際、大リーグ入りしてから、彼は10年連続して年間200安打以上を放っており、
また、一シーズンの最多安打記録262も、おそらく今後、破られることはないだろう。

そんな天才イチローにも、それなりの悩みや葛藤がある。
自らが“打つ”ことに集中するあまり、四球や犠打によるチームへの貢献が少ない等、
特にマリナーズ時代にはチームのなかで浮いた存在でもあったようだ。
その意味でも、今回、3000本安打の達成と同時に、
チームメートたちが駆け寄って祝福してくれたのがことの他嬉しかったようで、
いつも冷静なイチローがベンチのなかで涙を流している。

どんな分野にも天才と呼べる人がいるが、その才能も人一倍の努力があって初めて花開く。
一昔前なら田淵、現代なら清原などもとてつもない才能をもった選手であったが、
惜しいことに彼らは、不摂生によりその才能を潰した。
「ぼくはナンバーワンになりたい人。
この世界で生きているからには、オンリーワンでいいなんて甘いこと言うやつが大嫌い」
というイチローの言葉には、
オリンピックで銅メダルに終わり悔し泣きする日本の柔道家に相通ずるところがある。
同時に、大リーグの年間最多安打達成後に言った言葉、
「小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだと感じています」
というコメントは、さらにイチローらしい。

外面の世界では、誰もがイチローのようになることは不可能であるが、
内面の世界では、誰もが最終的には神実現という、真の偉業に到達する。
それは実際、金メダル幾万個よりもはるかに価値のあることなのだが、
そのために必要なのは、実に、日々の努力の積み重ねなのである。


第97号(2016年8月30日配信)

『100ドル紙幣狂想曲』

海外を旅慣れた皆さんは、100米ドル紙幣に二種類があることをご存じだろうか。
一種類は普通の紙だが、もう一種類にはブルーの縦線が入っている。
透かしは他にあるので、偽造防止のための新たな工夫なのであろう。
ところで、ここコンゴでは、数年前より、このブルーのラインのないものは、
紙幣として価値がないなどという噂が広まった。
理由は全くわからないが、噂はうわさを呼んで、
とうとう縦線のない紙幣は使えなくなってしまった。
先進国ではあり得ないことである。

数年前からコンゴで学校建設と運営をささやかながらみてきたが、
建物はかなり整ってきており、すでに一部生徒を受け入れている。
が、来てみると、今月末払いのスタッフ(先生方)の給料が足りない。
こういうことは常に、箱ものよりも中身、つまり人材が問題となるのであり、
必然的に人件費が日々の運営経費のもっとも大切な部分となる。
給料を遅配すると、先生たちは文字どおり食べられなくなり、
絶食状態となるのが現実なので、
とりあえず、日本から運んできた100ドル紙幣を渡そうとすると、
想像に反して浮かない顔をされてしまった。聞くと、彼は重い口を開いた。
「先生……、これにはブルーの縦線がありません」
日本のメガバンクで受け取った、まっさらの米ドル紙幣なのに……。

泊めてもらっている修道院の経理責任者に相談すると、いつも何かと助けてくれる彼だが、
この紙幣は受け取れないという。
そこでもう一カ所の修道院に行ってみると、
いかにも人のよさそうなフィリピン人神父が出てきて、
どんな望みもかなえてくれそうな勢いであったのに、
しかし彼も、こればっかりはどうにもならないと言うのみだった。
そこで流しのバイクを駆って、銀行に行ってみた。
バイクのオヤジの背中にしがみつき、これがまた、穴だらけのでこぼこ道や、
高速道路もスピードを出して疾走、
信号のないところもわずかな間隙を縫って縦横無尽に横断するので、
まるで映画のシーンに入り込んだようだ。
ただしこちらは、映画と違って、事故を起こせば確実に死ぬであろう。
バイクを降りるときには、手がオヤジの腹に食い込んで、離れようとしなかった。
が、その甲斐あって銀行では「いいでしょう、替えてあげましょう」と言う。
地獄で仏とはこのことと思ったのも束の間、
「ただし、5%の手数料をいただきます」
別の銀行に行ってみたが、「手数料は10%です」

こうして結局、日本から銀行送金させることになったが、
通常の送金では、アフリカは一週間かかったりするので、
手数料は高くても10分で届くMoney Gramというのにする他なかった。
その方法をスタッフが調べて実行するのに更にひと晩かかり、
日付が替わって何とかできたというので銀行に行ってみると、
受け取りにはパスポートのコピーが必要だという。
銀行のコピー機は目の前にあるのに、「これ、故障してるんだ」と言った係のオヤジは、
親切にも「俺が取って来てやるよ」と言ってどこかに消えていったが、
帰ってくるなり、自分の給料の半日分にあたるほどの手数料を要求したのであった。

待合室は、人であふれていた。
コンゴ経済はひどいマイナス成長であり、人々は日々、疲弊・困窮している。
海外に出稼ぎに出ている同胞からのこうした送金がなければ、
この人たちは飢えることになる。
なのでかれらは何時間でも待つ。
私も1時間以上待ち、そうしてついに、窓口で現金を受け取る瞬間がやってきた。
地元ではとりあえず”美人”ということで採用されたのであろうと思われるお姉さんは、
フンというような顔をして、書類にサインするように言う。
現金を受け取ってからだと言うと、サインしなければ金は渡さないと、ありがちな強気だ。
渋々サインして出すと、ぶっきらぼうに百ドル紙幣の束をバサリと投げ出してきた。
数えると、一枚足りない。再度数えた末、恐る恐るそう言うと、
またフンというような顔をして、もう一枚を投げてきた。
足りないことなど、最初から知っていたのだ。
「数え間違えたり、数えないで持って帰る人も稀にいるので、ああしますね」
傍らでみていた神父が、まるで当たり前のことのように解説してくれる。

今回のアフリカ行きに際しては、
なぜこんなに長く滞在しなければならないのですかと聞く人もいたが、
現地の状況を知らないからできる、幸せな質問だ。
次世代の教育といったことは、
政府か、せめて同じコンゴ人のお金持ちがやってくれるとよいのだが、
彼らは我われを食事に招いてくれることはあっても、自分たちでやろうとはまずしない。
今日も、これ以上ないほどの悪路を片道1時間半かかって、地元の議員に食事に招かれた。
池といったほうがよいような水溜りのできた”舗装”道路、激しい渋滞、
目の前が見えなくなるほどの土埃の先に待っていたのは、
洒落た邸宅に立派なシャンデリアの下の食卓だった。
そうして、お金持ちの奥様が満面の笑みで出してくれたのは、
大きな毛虫のようなものの煮っころがしであったが、
体力と、そしてそれ以上に精神力を消耗するこの国に来てしまえば、
もはや贅沢など言ってはいられない。
有り難くこれをいただき、貴重なタンパク質を補充してなんとか修道院に帰り着いてみると、
火照った体を冷やしてくれる飲みものの一つもあろうはずもなく、
いったいこれがいつまで続くのであろうかという気持ちについなりそうになる。
が、昨日までもそうであったように、
明日からもまた手を替え品を替えして同じようなことが続いていくのは、
経験上、間違いのないことなのだ。

それでも、イエスは言っている。
『明日のことを思い患うな。明日は明日が心配する……』
そう思い直し、
昼間の間にバケツに確保しておいた濁り水で一日の塵芥(ちりあくた)を洗い流すと、
たまたまつながったWiFiで日本からエッセイを送れ、
という連絡がきているのを見つけてしまい、結果、
こうした見苦しい文章を皆さまにお届けすることとなった次第である。


第98号(2016年9月21日配信)

『乗り継ぎ狂想曲』

(遅れているな……)
そう思いつつ、自ら大丈夫だと言い聞かせようとする私の心のなかに、
いやな感じが徐々に拡がっていった。
10日間のアフリカの苦闘の末、なんとかこの日、キンシャサ空港を発ち、
ケニヤを経由してムンバイに入る予定であった。
キンシャサ空港では、入るときも出るときも、軍人の護衛をつけてもらう。
私が特に重要人物だからではない。そうしなければ危なくて通れないのだ。

この日、キンシャサを出ると、まずケニヤのナイロビで乗り継ぎ、
それから国際線でムンバイを経由、インド国内線に乗り換える。
ムンバイでは、予めケニヤ航空の遅れを予想して、6時間の乗り継ぎ時間をとっていた。
だが、ナイロビのほうは、同じケニヤ航空ということもあり、
1時間半しか乗り継ぎ時間がない。
キンシャサでは、すでに1時間の遅れがでようとしていた。
見送りに来てくれた神父も、いつまでも空港にいられるわけではなかった。
護衛の軍人も、私が搭乗券を受け取り、荷物がベルトに送られていくと帰っていった。
後はどんなことが起こっても、一人でなんとかしなければならない。

発券カウンターで、ナイロビで飛行機は待ってくれているんですかと聞いてみる。
「もちろんです。もう連絡が行っています」と、女性の職員が愛想よく応えた。
搭乗口で、同じことを聞く。
「もちろん、待っています」という答えだった。
そして飛行機のなかでも、スチュワーデスに聞く。
「たっくさんの人がムンバイに行きます。必ず待っていますよ」
笑顔で、自信満々で答える彼女を見て、自分はなんと疑り深いのだろうと嫌になる。
実際、飛行機の遅れは1時間10分。少し待ってもらうだけで全員が乗れる。
そうでないと、われわれのためのホテルや移動の車を手配しなければならないのだから、
そんな不合理なことを航空会社がするはずがない。

ナイロビに着くと、同じ乗り継ぎらしいインド人やイスラム教徒らしき人たちが多数、
同じ方向に足早やに移動している。
この人たちと一緒に行けば、必ず乗れる。そう思っていたが、思わぬことが起きた。
手荷物検査のところで私だけ止められたのだ。
検査官は、リュックの中身をすべて取り出し始めた。
小物袋も取り出し、目薬も、風邪薬も、オロナイン軟膏すらも調べ始める。
そうして最終的に言い出しのは、「money,money....,dollar,dollar....」だった。
他の職員にも、当然聞こえているだろう。
お金を渡さないと通さないつもりか……。
だが、そうする気にはなれなかった。このお金は、もっと大切なことに使うのだ。
「Our Prime Minister just visited you. We are friends, good friends!!」
そんなことを言って頑張り通し、皆から遅れること15分、走って搭乗口に行ってみると、
「gate closed」の文字が目に飛び込んできた。

10ドルでいいからさっさと渡せばよかったのか……。
咄嗟にそう思った。顔から血の気が引いていくのが分る。
が、それも間違っていた。
実際は、キンシャサから来た全員が乗れなかったのだ。
なんとこのようなときだけ、ケニヤ航空は定刻に飛びたって行ったという。
カウンターでは人びとの怒号が飛び交い、収拾のつかない混乱に陥っていた。

結局この日、私はケニヤにビザを申請し、入国することになる。
わが国の首相が、アフリカ会議で去ったすぐ後だった。
そこから帰国までにはさらに大きな困難が待ち構えているのであるが、
もしも今度の<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>のとき、聞きたいという方がいたら、
そのときにお話ししようと思う。
当日、セミナー後には、久々に食事の出るプージャが行なわれるが、
<プレマ・セミナー>のほうは、ついにヨガナンダが師にめぐり合い、
新たな人生を踏み出していくという、全編を通じても最も興味深い段階に移行していく。

ちなみに余談であるが、
この原稿を査読したスタッフのMは、突然にクククッ……と笑い始めた。
「なにか……、可笑しいことでもあるのか?」と聞くと、
「この後の顛末を思い出すと……」と言い、Mはそのまま笑い続けたのだった。


第99号(2016年10月26日配信)

『美と富の女神』

現在開講中の<Art5>においては、しばしば宇宙の始まりと終わりが話題となる。
宇宙の始まりは「ビッグ・バン」と呼ばれる大爆発であったとされているが、
当初、宇宙には物質もなにもなく、ただ光があったとされている。
ヴェーダは、始まったものは必ず終わると教えているので、
その通りであるとすれば、この宇宙にも終わりがくることになる。
宇宙の終わりがどのようなものとなるかはまだ分からないが、
そのとき、宇宙はふたたび光のみになるだろうという予測がある。そしてその予測は、
最後の光の渦が、同時に次の宇宙の始まりとなるであろうことも予想する。

ヒンドゥ暦の第7番目の月の最初の日はディーワーリといい、
今年は10月30日(日)にあたるのであるが、
ディーパム、すなわち光の祭典とされる。
この日はまた、女神ラクシュミの祝日でもあるが、
彼女は美と富の女神なので、まさに光の祭典に相応しい。
宇宙は、この光に始まり、光に終わる。
インドにはまた、智と芸術の女神としてサラスワティがおられ、
ラクシュミと人気を二分しておられる。
あるとき、聖者が妻に次のように問いかけた。
「智と芸術の女神サラスワティと、美と富の女神ラクシュミ、
 おまえはどちらに帰依したいか?」
妻は答えた。
「美と富があれば、女性として、すべてが得られたも同じです。
 私は、女神ラクシュミに帰依します」
そういう妻に、聖者は答えた。
「そうか、よく分った。
 だが、何がほしいにせよ、おまえは女神サラスワティに帰依しなさい。
 サラスワティに祭祀を捧げ、祈り、瞑想しなさい。
 必ずや、女神はおまえに叡智を授けてくださるであろう」
「はい……。でも……、美と富はどうなるのです?」
「心配せずともよい。
 おまえが女神サラスワティに祈りを捧げ、愛し、叡智を得るのをみたならば、
 ラクシュミは何もしなくともおまえに近づき、美と富を与える」
「……」
「あれは少々、嫉妬深いのだ」

かつてイエスはこう語った。
「何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心配するな。
 天の父は、あなた方にそれらがみな必要であることを知っておられる。
 だからまず、神の国とその義を求めよ。
 そうすれば、それらのものも加えて与えられる」(マタイ6・31)
聖者と、同じことをおっしゃったのだ。
だから、その通りなのであろう、文字通りの意味で。
しかしそれにしても……、と私は思う。
女性であれば、それでもやはり、美と富がほしいであろう。
女神ラクシュミを放っておいて、万一、拗ねられたらどうするのか。
彼女は嫉妬深くてあらせられるらしいのだ。
なので今回のディーワーリ(10月30日)も、女神に十分な尊崇の念を払う。

ちょうどこの日は<プレマ・セミナー>の日でもある。
少年ヨガナンダがブリンダバン旅行を経て、遂に師の僧院に弟子入りする。
奇跡に満ちたこの物語を学んだ後、
私たちは美と富の女神に祈りを捧げ、マントラを唱え、プージャを捧げる。
皆さんには、それぞれの願いを込めて女神の祭壇にお花を捧げていただき、
それからご一緒に瞑想に入っていきたいと思っている。


第100号(2016年11月23日配信)

『インド紙幣狂想曲』

『瞑想の師に、ガンジス川の水を汲んできてもらい、先祖の墓を清め、
マントラを唱えてもらうように……』
『「葉の礼拝の儀式」のためのアビシェーカ・プージャを、
瞑想の師がガンジスで水を汲んでから48日以内に行ないなさい……』
10月にはいって突然、このような記述が複数出てきたため、
日程を調整し、11月7日に成田を発ってデリーに着いた。
前回、いつ来たのか……思い出せないくらい、久々の北インドである。
今回は別の目的でブッダガヤにも行かなければならない。
地方に出てしまうとカードが使えなかったり、換金が難しくなったりするだろうと思い、
その日のうちに日本円をルピーに交換しておきたい。
そう言うと幸い、現地の世話人が、翌朝出発前までに換金してホテルに届けてくれるという。
助かったと思い、私は、なけなしの日本円をすべてこの人に渡した。

翌朝、約束通りルピー札が届いた。
ほとんどが千ルピーと五百ルピー札で、わずかに他の紙幣が混じっている。
今回の旅の間に使うお金のすべてだから、大切にバッグにしまいこむ。
ブッダガヤでは、ブッダが悟りを啓いた菩提樹の葉が押し花のようにされて売られていると聞いたので、
できればたくさん買って帰って皆さんにお配りしたい。
そうすれば聖地の経済も潤うだろう。私はそんなことを無邪気に考えていた。

ブッダガヤに最も近い空港はパトナ、それから約100キロの行程である。
ところが、そのわずか100キロのために、なんと5時間以上を費やすこととなった。
道が悪いのだ。そして渋滞。
インドの人口の大部分が密集しているかと思えるほど、街は混み合っていた。
朝早くデリーの空港に向かったはずなのに、結局、ブッダガヤに着いたのは夕方遅く。
疲れて、その日はほとんど何もすることができなかった。
日本からもってきたポータブルWiFiを使ってみると、うまくネットにつながった。
そこで私は、衝撃的な記事を目にすることになる。
『インド政府は、今晩12時をもって、インドにおける高額紙幣のすべてを無効とすることを発表した……』
(?×△■◆?……)
紙幣を無効にするって……、意味が分からない。
しかし、それは書いてあるとおりだった。
この発表があったのが夜の8時。
4時間後には、これらの紙幣が無効となり、新紙幣に切り換えられる。
新紙幣への両替は、一日4000ルピー限定、今年12月31日まで銀行で可能とある。
とはいえ、私自身がこれを換金することはできないだろう。
翌朝から、銀行の窓口には人びとが殺到するであろうことが容易に推測されるからだ。

翌日、恐れていた、しかしいまだに信じられないでいたことが現実となった。
インド人もびっくりして、銀行の前はどこも長蛇の人だかりだ。
聖地ブッダガヤのお店、仏教徒に見えるはずの私には優しいはずだ。
そう思って恐る恐る500ルピー札を出してみたが、受け取ってくれない。
街にもどってたまたまマクドナルドをみつけ、試みるが、あえなく却下。
10ルピーのチップを払えないので500ルピー紙幣を渡したとか、
頭にきた金持ちが大量の1000ルピー紙幣を燃やして暖をとった、などという話すら聞かれる。
8月のコンゴに続き、大変な国に係わってしまったことに今さらながら気づく。

先進国では考えられないこのような事態は、結局はブラックマネー対策だという。
インドでは、表に出すことのできないお金が、膨大に存在する。
これを一網打尽にするために、今回のような驚くべき施策が採用されたらしい。
実際、知人のなかにも、2億円ほどのお金が紙切れになったよといった人がいる。
文化もそうなら、経済も底知れない国なのだ。

日本の知人のなかにも、ルピーをもっているという人はたくさんいる。
皆さんのルピーもすべて、今となっては紙屑同様、来年元旦からは真に紙屑となる。
だが、神さまはそこに一つだけ、救いの道を残してくださった。
われわれの慈善活動をよく知り、助けてくれてもいる人のつてで、
皆さんのルピー札をお預かりして、なんとか年末までにインドで換金してもらうことができそうだ。
めでたくこれが新紙幣になったら、それぞれの皆さんにお返しするか、または、
寄付していただける方の分はインドで次の慈善に役立てることもできる。

折しも、『インドで儀式や慈善をボランティアベースで行なっている者のなかに、
貧しくて結婚できない者がいる』という予言があった。
そこで実際にあたってみると、本当にそういう人がいたのである。
まさに、これらの儀式や慈善をとりまとめてくれている責任者がそうだったのだ。
彼には私も、そして多くの日本人の方も、知らないところで大いに世話になっている。
そこで来年の3月、聖者の指示どおり、その人のために結婚式をお出しする。
そのとき、同時に大きなホーマを行いなさいという指示でもある。
人の結婚を祝う人には、巡り巡って大きな幸運がやってくると信じられているインドで、
是非皆さんにもこれらに与っていただきたい。



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