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青山圭秀エッセイ
最新号(第191号 2025年10月29日配信)より

『合理性と純粋性2』

福山市は広島県では人口二番目の街であるが、
今も昔も変わらず田舎だ。
この町は数十の小学校区に分かれ、
それぞれがまた、数十の子供会に分かれている。
毎年夏になると、それぞれの学区で子供会対抗のソフトボール大会が開かれ、
優勝したチームが「市の大会」に進む。

4年生になった私は、所属する子供会「平和」のチーム代表に選ばれ、
9番セカンドで出場した。
忘れもしない大会の前夜、緊張で眠れなかった。
翌8月4日は日曜日だった。
この日、グラウンドに出て守備位置についたとき、これまた緊張で脚が震えた。
それでもなんとか一回戦に勝ち、二回戦、準々決勝と駒を進め、
準決勝に勝って最後の対戦相手となったのは、お隣の「いづみ」だった。
こことはやりたくなかった。
5年生の橋本君は名うての剛球投手で、バットに当たらない。
何度か行なった練習試合でも、ほぼ全敗していた相手だ。

ところがこの日、神風が吹いた。
朝から一人で投げ続け疲れていた橋本君の攻略に私たちは成功、
初回からリードを奪ったのだ。
点差は回を追うごとに開いていき、
私も頭(ず)に乗って全打席で出塁、
終わってみたら22対2の圧勝だった。

田舎にありがちな話であるが、子供の頃、
学校始まって以来の秀才だ、神童だなどと言われた私にも、
これほど輝かしい体験は他になかった。
それがどれほどの成功体験だったかといえば、
心から恥を忍んで告白するが、
私はその後、二年近くにわたり、
プロ野球選手になることを夢見たのである。

ちょうどその頃、父が自宅の隣地を買い取ったので、
私はそこにマシンを置いてもらって、
思う存分バッティング練習ができるようにしてほしいと懇願した。
現実主義者であった父がそんなことをしてくれるはずもなく、
「おまえがプロ野球選手になるより、東大に入るほうが簡単だ」と、
私の夢を打ち砕いた。
もし言うとおりにしてくれていれば、
その後、毎日8時間をバッティング練習に費やして、
今頃はイチローのようになっていたかもしれない。
しかし残念なことに現実は、父の言うことのほうが正しかった。

それにしても日本中にどれくらい、私のような“勘違い少年”がいることだろう。
彼らは、自分が将来、プロ野球選手として成功する姿を夢見、
または現代であればサッカーの選手であったり、
オリンピック選手であったり、
流行作家であったり、歌手や俳優であったり……さまざまである。
そしてそのほとんどすべてが、“美しい勘違い”として終わりを告げる。
それはちょうど、結婚する若者たちが皆、
普通に幸せになれると無邪気に思い込んでいることと、どこか似ている。

そうしたなか、夢を現実のものとする者がごく少数、いるのも事実だ。
十万人か、百万人に一人、または歴史上に一人……。
大谷翔平はプロ野球選手となり、
専門家の誰もが不可能と言った二刀流に挑戦、これを現実のものとした。
2025年、リーグ優勝のかかったブルワーズとの第4戦、
彼は6回までに10三振を奪い零封、
打っては3本のホームランを放った。
全米の識者、往年の大スターらはこぞって、
「プロ野球史上最高の試合。これを目撃できたのは生涯の幸運だ」
「ベーブ・ルースすらも超えた、スポーツ史上最高の選手」
「オオタニは野球というものの概念を変えた」
などと絶賛した。

日本人として誇らしく、鳥肌が立つ思いだが、
私にとってはそれよりも、地区シリーズ、敵地でフィリーズを敗ったとき、
試合後に大谷がとった行動が興味深かった。
彼はグラウンドに残っていた相手チームの監督に走り寄り、
帽子をとってお辞儀し、握手を求めたのだった。
監督はその手をとり、互いの敬意を確かめあった。
その様をみて、今季引退するサイ・ヤング賞投手カーショーは言った。
「野球とは、まだこんなに純粋でいられるスポーツなのか……」
敗軍の将も、「あの握手を、わたしは生涯忘れない」と語った。
それまで、負けた自分たちのチームと、
その監督に罵声を浴びせていたファンたちも黙ってしまった。

「今のドジャースに勝てるチームはどこにもない」」とメディアは囃すが、
数日前に始まったワールド・シリーズがどうなるのかは分からない。
『勝負は時の運』と、私は小学校4年の夏に学んだが、
もともと、大谷は渡米前にこう言った。
「成功するとか、失敗するとかは問題じゃないんです。
あれだけの選手たちが向こうにいて、そこに戦いにいく。
それだけなんです」
https://www.art-sci.jp/meruma/backnumber171#172
厳しい勝負の世界、一寸先は分からない。しかし、
『成功は、合理性よりも純粋性からもたらされる』という、
太古の時代から語られてきた聖句を日々思い起こさせてくれるこの若者に、
私は変わらず声援を送りたい。