青山圭秀エッセイ バックナンバー 第151号 –

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第151号(第151号 2021年9月28日配信)

『政界今昔物語』-その3-

わが国では過去4回、オリンピックが開催された。
1964年の東京、72年の札幌(冬季)に続き、
98年の長野(冬季)、そして今年の東京である。

「その1」で言及したように、64年には池田勇人がガンにより、
「その2」に書いたように、72年には佐藤栄作が「死に体」となり、
それぞれ退陣している。
さらに98年には、後に「貧乏神」と呼ばれるようになった橋本龍太郎が
参院選で大負けして辞任、そして今年は、
記者会見の度、しどろもどろとなる菅義偉が事実上の退陣表明を行なった。
オリンピックを行なうとその年、首相が辞任するというジンクスが、
こうして今回も蘇ったことになる。

偶然だろうとは思うが、オリンピックを挙行するというのは、
まずはIOC委員やその親族、関係者をことごとく接待漬けにし、
その過程で闇から闇へと巨額の金銭が流れていく招致の段階から、
数年にも及ぶ財政投入や、多様な国民世論の醸成にいたるまで、
やはり国家にとっても相応の消耗をともなう力業なのであろう。
さまざまに感動的な余韻とともに、祭りが終わったときにはこうして、
内閣が一つずつ力尽きていくかのようである。

私自身は、5歳のときにテレビで見た東京オリンピックで、
重量挙げの三宅選手や東洋の魔女たちを見たときからのファンで、
以来、いつかオリンピックに参加できないかなどと夢想することもあったが、
今度生まれ変わったときにも同じようなかたちで、
またはオリンピック自体が行なわれているかどうかは疑問である。

ところで、菅首相が今回の総裁選に出馬しないと表明した日からしばらくの期間、
東京株式市場はまるで御祝儀でも配られたかのように棒上げした。
まったくの偶然だろうが、新型コロナウイルス新規感染者数も激減し、
これまで曲がりなりにも経済の浮揚と
コロナ対策の両立に苦しんできた首相の胸中はいかばかりかと察せられる。
もちろん、官房長官時代を含め、
過去10年にもわたり権力の蜜を存分に味わい尽くしたであろう同首相に、
反作用が返ってきただけだとする考え方もあるだろう。

いずれにしても、世間は「政治家は使い捨て」と考えており、
歴代首相をみても、その多くが退任時には、いわばボロボロになって辞めている。
富であれ権力であれ、もっているものを失うのはどんな人間にも寂しいことなので、
退任された総理大臣には当分の間SPをつけたままにしておくと聞いたことがある。
それと関係があるのかどうなのか、または在任中の激務によるものなのか、
多くの方はその後、そう長く生きられる傾向にはないようだ。

もちろん世間はそんなことには頓着することなく、
誰が次の総理・総裁になるかがこの一カ月、関心の的だった。
翻ってみれば、かつての吉田茂や池田勇人、
佐藤栄作を経て「三角大福中」といわれた時代に比べ、
現在の総裁候補らはいかにも小粒に見える。

しかし、たとえば小泉純一郎が総裁に選ばれたとき、
その基準はさまざまであるにしても、後にあれほどの評価を受ける宰相になるとは、
多くの人は想像しなかったに違いない。
『位が人を創る』という言葉もあるのだから、
明日、どなたが総裁になられても、
名宰相と呼ばれるようになっていただければと願わずにはいられない。


第152号(2022年1月22日配信)

エッセイの掲載はありません。


第153号(2022年2月23日配信)

『祈り』

『親愛なるジョージ・ブッシュ大統領とサダム・フセイン大統領』
1991年1月、この両者に宛てられた手紙が、インドからアメリカへ、
そしてイラクへと送られた。 

『私は目に涙をため、心の神の愛をもって、貧しい人、
戦争がいったん起こったならば貧しくなる人のために、お二人に懇願いたします。
お二人が互いに和解して、神の平和の働き手となられるよう、
全霊をもってお願いいたします』
『皆が恐れているこの戦争には、短期間で勝者と敗者があるでしょう。
しかしあなた方の武器が引き起こす苦しみと痛みと生命の喪失は、
決して正当化されることはありません。
私は、罪のない人、貧しい人びと、戦争のために貧しくなる人のためにお願いします。
彼らこそ、最も苦しむ人たちなのです。
彼らのために、ひざまずいてお願いします。彼らは苦しみ、
そして彼らを守り愛するために何もできなかった私たちには罪がかかってきます。
どうか、彼らを救ってください。
戦争によって身体に障害を受ける人たちのためにも祈ります。
彼らは神の子なのです。家庭も、食糧も、愛も失う人たちのために願います。
彼らを自分の子どもとして考えてください。
そして、命を奪われる人たちのために懇願します。
神がお与えになったものを、私たちが奪うことはできません。
あなた方は、世界を戦争に導くか、平和を打ち立てるか、選択する力をお持ちです。
どうか平和の道を選択してください』
『私と、シスターたちと、貧しい人たちは、あなた方のために心から祈っています。
世界中が祈っています。あなた方は戦争に勝つかもしれません。
しかし、痛めつけられた人、体に障害を得た人、命を奪われた人のそれらは、
取り返すことができません。
どうか愛と平和が勝利し、あなた方が行なわれる善により、
あなた方が拡げた愛と喜びによって、お名前が記憶されますように。
神の祝福がいつもあなた方の上にありますように! マザーテレサ』

今から30年前、存命中であったマザーテレサによって書かれたこの手紙を、
今、この時代に、世界中の人びとが送りたいと願っているに違いない。
宛て先はアメリカと、そしてもちろんロシアである。
私たちは、歴史的な経緯については十分に知らない。
双方の大義についても十分な認識はないだろう。
ただ、力による現状変更が許されないことは自明であり、
また、戦争にすることが世界全体にとって、
最も避けなければならない選択であることも間違いない。

政治に直接携わらない私たちは、当面、祈ることしかできないかもしれない。
あるいは、瞑想はもっとも強力な祈りになるだろう。
かつてマザーテレサは、ノーベル平和賞受賞に際し、
記者から「世界平和のために私たちは何ができますか?」と問われ、こう答えた。
「帰って、家族を愛してください」
そのとおりだと思う。
世界の平和は、政治や軍事によってではなく、われわれの集合的意識からのみ生まれる。


第154号(2022年3月14日配信)

『ダルマ』

父親に抱き抱えられた男の子が激しく泣いている。
「パパ、どうして一緒にいてくれないの?」
そんなことを言いながら、父親を何度も叩く。ヘルメットの上から。
父親は、最愛の妻と、子どもと一緒に行くことができないのだ。
彼は残って戦わなければならない。祖国を守るために。
父親は、「ほら、お菓子だよ」と菓子を取り出す。
だが、子どもはそれを受け取らず、父を叩き続ける。
母親は、「すぐにまた会えるから。お父さんを叩かないで」と言いながら、
子どもの涙を手で拭っている……。
「明日にはまた会えるから」と父親は言ったかもしれない。
しかし、おそらくそうはならないだろう。
96時間以内に首都キエフが総攻撃にさらされるだろうというとき、
兵士である父親がそれを知らないはずはない。
それでも父親は、妻子に向かって「もう行くんだ!」と言ったかもしれない。
足をばたつかせ、泣き続ける子を抱えて、母親はその場を去ったかもしれない。
父親は妻子をそうして見送り、その夜、兵舎で一人涙を流したかもしれない……。

なんということだろう。
あれほど戦争にだけはしないでと世界中が祈り続けたというのに、
誰も想像できなかったような戦闘に突入してしまった。
子どもの頃から平和にどっぷり浸かってきた日本人の一人として、
人生の後半、このような光景をヨーロッパで見るとは思ってもいなかった。

テレビに登場してくるコメンテーターのなかには、
たくさんの犠牲が出る前に、ウクライナは降伏すべきだと言う人もいる。
それはそれで、一つの価値観かもしれない。
肉体としての生命が、この世で一番尊いというのである。
もちろん、肉体としての生命は尊い。だが実際にはこの世の中に、
それよりももっと尊いものがある。
ウクライナの大統領も、国民も、迷うことなくそちらを選んだ。

これから先のロシアによる攻撃は、苛烈を極めるだろうといわれている。
父が帰還し、家族が笑顔で生活できるときが来てほしい。
男の子は強く生きて、人類社会に貢献できる人に成長してほしい。
母も大変な人生になるに違いないが、自分のダルマを全うしてほしい……。

遠く離れた日本にいる私にも、
局面の変化に伴って、しなければならないとされることが増えた。
私の痛みが増すことで、
今、そして将来、苦しむ人たちのそれが軽減されるものと思い、
私も自分のダルマを全うしていきたいと願っている。


第155号(2022年4月7日配信)

『沈丁花』

東邦大学医学部に在籍していた頃の研究室の教授を、村山良介先生といった。
朝日新聞社主・社長であった村山長挙の娘・富美子の夫、すなわち婿殿である。
朝日新聞・築地本社の前を車で通ったとき、
見上げて「あれがうちの新社屋だ」と言われた。
竣工披露パーティには鈴木善幸首相(当時)や松下幸之助などが出席、翌年には
昭和天皇が、さらに翌年には皇太子殿下(現上皇)と浩宮様(現天皇)も訪れたが、
そんなことを当時の私は知る由もなかった。

教授が東邦大学医学部麻酔科学第二講座の担当であったとき、医療事故が起きた。
輸血の血液型を取り違えたのである。
そのときの模様が、拙著『理性のゆらぎ』には次のように書かれている。
『担当医がそのミスに気づいた時には、無情にも、まさに輸血は完了しようとしていた。
 しかもそれは、600ccという絶望的な量だった。
 その場にいた全員の顔が蒼白となった。患者は確実に死ぬ。
 しかも、いろいろな意味で相当酷い死に方をすることになる。
 このとき、知らせを聞いた教授は、「すべて正直に家族に話し、嘘は言うな」と
 医局員に指示した。そして、自らは辞任を決意した……』

ところが、この患者はなんら特異な症状を示すことなく、回復したのだった。
いや、かなりの時間、きわめて“特異な”ことが起こりはした。
患者はしばらく、本来のA型ではなく、輸血されたB型を示したのである。
これを「奇跡」と呼んでいいのかどうかは分からない。
しかし、少なくとも「奇跡的」であったことは確かである。
そしてその奇跡的事象がなければ、教授が教授を続けることはなく、
後に私がその研究室に所属したまま何度かインドを訪れ、
『理性のゆらぎ』や、一連の著作を世に問うことにもならなかった。
(実際、『理性のゆらぎ』が出た翌年、
 村山先生の後任の教授は、客員講師であった私に辞任を求めたのだった。)

科学的な説明のまったくつかなかった「輸血取り違え事件」も、
なんらかの意味があったのかもしれないと、私のなかでは思わざるを得ない。
おかげで私は麻酔学教室に在籍したまま数回、インドに渡航し、
サイババに会い、アガスティアの葉を開き、アーユルヴェーダを学んだ。
その一方で、量子物理化学をもとにした医学論文を何報か書き、博士論文にまとめ、
学位審査が行なわれた。
審査に当たられた教授たちは量子力学の専門家ではもちろんなかったが、
鋭い質問をいくつもされて、私は私で知的スリルを楽しむこととなった。

それらすべてに答え、校舎を出ると、すでに陽はとっぷりと暮れていたが、
キャンパスにはほのかな香りが漂っていた。
見ると、街灯の光に沈丁花の白い花が照らし出されている。
「こうして春になると、自然はちゃんと知っているかのように花を香らせる……」
そんなことを教授はつぶやかれた。

今からちょうど30年前の春、
その一年後、いくつもの出版社に断られた末、『理性のゆらぎ』が出版された。


第156号(2022年5月1日配信)

『糸』

この世界のすべてを統一的・整合的に理解すること、
それをごく少数の、できればたった一つの方程式で表すこと、
すべての物理学者にとって、これが究極の目標であることは疑いようがない。
 
過去、その夢を実現したと思われたときがあった。
1687年、『Philosophiae Naturalis Principia Mathematica』
(『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』)において、
いわゆる「ニュートン力学」が打ち立てられた。
これにより、すでに実験的に示されていた地上の物体の運動と、
観測によって得られていた天体運動のすべてが、統一的に説明された。
ニュートン自らがそのために創始したまったく新しい数学が、微分・積分学である。
これにより、世界のすべてが原理的に説明されたので、
あとはそれを応用していくだけだとほとんどの科学者が考え、200年が経過した。

繰り返し申し上げてきたように、誰も実在をそのまま認識することはできない。
なので、すべての科学理論は「モデル」である。
そのため、200年間信奉されたニュートン力学が刷新されるときも、やはりきた。
20世紀初頭、ほとんど同時期に生まれた量子力学と相対性理論は、
人類の自然界に対する認識を一変した。この世界は、
われわれが普通に感覚を通じて認識しているような単純なものではない。
この世界を、われわれの感覚も理性もまともには捉えておらず、捉えられない。
それがはっきりしただけでなく、
量子力学と相対性理論は避けがたく、相いれないものであることも分かったのである。

世界を統一的に理解する。可能ならたった一つの方程式で。
これが科学の究極目標である以上、
世界が相容れない二つの理論からなるというのはいかにも容認しがたい。
そう考えた天才たちは、
これらを統合する新理論の探求に没頭し、ついにその端緒を手に入れた。
物質の基本単位を、大きさが無限に小さい0次元の点粒子ではなく、
1次元の拡がりをもつ弦(糸)と考えることで、
量子力学と相対性理論を包含する統一理論を構築し、
宇宙の姿やその誕生のメカニズムまでをも解き明そうというのである。
数学的にあまりにも複雑・難解であるにもかかわらず、この理論は現在、
科学者らが納得し得る統一理論にもっとも近いとされている。

ひるがえって東洋の聖賢の足跡をたどってみると、
彼らもまた、この世界が精妙な「糸」からなると語ってきた。
世界を創造した糸、世界を構成する糸、生命の進化を促し、幸福をもたらす糸……。
これらもまた、糸なのであるが、現代物理学のそれと違うのは、
後者がわれわれの感覚や理性では捉えられず、数学でしか表現できないのに対し、
前者は感覚とも理性とも矛盾しないという点だ。
それどころか、それはわれわれの日常使う言葉で表現されている。

相対界に生き、進化の過程をたどるわれわれに必須の糸。
相対界をかたちづくる糸。
相対界のすべてを支配する糸。
その全貌と用い方を、<Art5>で詳述する。
5月8日、四年半ぶりの開講となるが、
前二回よりもさらに重厚、かつ洗練された内容で臨みたい。


第157号(2022年5月26日配信)

『こころの内』

この数カ月というもの、たとえ普段は政治に関心を持たない人でも、
ロシアと、それを率いる指導者の所業には胸の潰れる思いでいるに違いない。
過去22年、権力基盤を築くために、
偽旗作戦によりチェチェンの人びとに責任を押しつけたテロに続き、
シリアでは化学兵器を使用し、自国内でもあらゆる民主化の芽を摘み、
メディアを弾圧、政敵については海外まで追ってこれを暗殺してきた。
国内の資財についても、基本的にはなんでも没収できるので、
個人資産はどれほどあるか算定不能といわれ、
事実上、世界一の富豪である。
その人が、自国に比べればはるかに小さな隣国の領土がほしくて、
幾千万と、世界中の人びとを塗炭の苦しみに追いやり、
なお、飽きることを知らない。

つい数日前、この指導者に直接何度も接してきた人にお目にかかったので、
実際に目の前にするとどんな感じなのかを聞いてみた。すると、
“大国”の独裁者であり、世界一の富豪であるにもかかわらず、
「大きなオーラは感じられない人だった」と、この人は言った。
ただ一つ、エピソードとして、日本国内で宿泊したホテルを発つという際、
ホテルの従業員が整列して見送ろうとしているのに気づき、
わざわざ戻って従業員一人ひとりに感謝の言葉をかけたという。
私も、各国の首脳が居並ぶなか、広島で原爆が炸裂した瞬間の映像を前に、
この人がひとり、胸に十字を切るのをみたことがある。
その同じ人が、今、核の力を背景に世界を脅している。

人のこころの内は分からないという。
しかしもし、そうした“こころ”があるなら、今からでも世界の惨事を収拾してほし い。
間違いなく歴史に名を刻まれる一代の政治家としての、真の決断力を見せてほしい。
そうでなければ、これから先、どのような亡くなり方をするか、
また、何にどう生まれ変わって、
幾千年、幾万年の間苦しみ続けることになるか分からない。

折りしも、『あるヨギの自叙伝』のほうでは、
飼われていた子鹿が肉体を離れることができず、苦しむ場面が描かれていた。
人と動物の間には、意識の交流も、輪廻転生もあるだろう。
また、この章の後半では、「二つの肉体をもつ聖者」について、
その法悦と死、そして驚くべき転生の結末が語られる。
今月から新しい4回シリーズが始まるところなので、
以下、今後の展開とテーマについて簡単にまとめてみた。

第27章 「ランチにヨガの学校を設立する」
人と動物の生まれ変わり、意識の交流
「二つの体をもつ聖者」の法悦と死、驚くべき転生

第28章 「カシの生まれ変わりと再発見」
運命と輪廻転生、意識と使命の継続について

第29章 「タゴールと教育の理想を語る」
自然とともに生き、創作したヨギ、哲人タゴールとヨガナンダとの邂逅

第30章 「奇跡の法則」
相対と絶対、物質と精神を結ぶ太古の法則をヨガナンダ自らが解説する

ここまで、その神秘の内容で私たちを楽しませ、教えてきてくれたこの自叙伝だが、
最も深く、興味深い部分がまだまだこれからだということには、
まさに驚嘆する他はない。


第158号(2022年6月9日配信)

『聖地巡礼』

あれほど猛威をふるったコロナ禍もひとまず鎮静化に向かい、
現在、海外旅行の需要が急激に増えているようです。
私たちの巡礼旅行も今年中に再開するようになるのだろうかと思っていた矢先、
いくつかの予言が出てきました。
時系列で整理してみたいと思います。

5月4日(水)
私が行なわなければならないものとして、
「シヴァ・スークシュマ・ヨーガ・シャンティ・パリハーラム」が出てきました。
『生徒たちのため、世界に平和が訪れるため、
できるだけ早くこれを行なう必要があります。
ただし、「葉の礼拝の儀式」については、
複数回に分けて行なうことになります』

5月14日(日)
上記、第一回目の「葉の礼拝の儀式」を相応の覚悟をもって準備し、行ないました。

5月26日(木)
『アーディの月(7月15日~8月15日)にかけ、
瞑想の師は多くの生徒を連れ、神々のダルシャンに与りなさい。
わたし(聖者アガスティア)がその旅を見守ります』

6月4日(土)
『この旅では、アジュメール、ヴァラナシ、ブッダガヤを訪れなさい。
現在、あなた(青山)が行なっているパリハーラムの残りの「葉の礼拝の儀式」については、
旅行中に聖地で一度、帰国後に聖河から採取してきた水を使ってもう一度、
適切なかたちでアビシェーカ・プージャを行ないなさい。
また、近くプージャを行なった際、この旅行に来る人のなかから3人を抽選で選び、
その3人についてはあなた方のほうで費用を負担します。
帰国後は、生徒たちのために予言の葉の検索を行ないなさい。
それは生徒らにとって、そして世界にとって、大きな幸運をもたらす結果になります』

以前よりラマナ・マハルシの聖地に行かなければと思っていたので、
巡礼先として南インドを想定し、そのようにお話しもさせていただいていましたが、
今回、シヴァ神はそれとは別の場所を指定してこられました。アジュメールというのは、
中世のスーフィ聖者ムイーヌッディーン・チシュティーが出た場所です。
スーフィはもともとイスラム教の神秘哲学ですが、
逝去後も数々の奇跡を顕してきた同聖者の霊験はイスラム教内にとどまることを知らず、
数多くのヒンドゥ教徒も恩寵を求めて参拝に訪れるといわれます。
今、なぜ私たちがそこを訪れることになったのかは神のみぞ知るところですが、
他の聖地を含め、深いご計画があったことに後から気づくことになるのかもしれません。


第159号(2022年7月30日配信)

『聖者』

初めてカーバ神殿を訪れたとき、私はそこに神殿を見た
次に訪れたとき、私はそこに神を見た
そして三度目に訪れたとき、神殿も、神も見なかった
(バーヤズィード・バスターミー)

初めてアブダビのシェイク・ザーイド・モスクを訪れたとき、
この世にこれほど美しい建造物があるのかと目を見張った。
ケルンの大聖堂も、リジューの聖テレジア記念聖堂も、
秋の法隆寺や雪の金閣寺、銀閣寺も美しいが、
初めて触れるイスラムの美に驚愕したのを思いだす。
同時に、こんな美しいものを生み出す宗教が悪いものであるはずがなく、
どの伝統宗教も、突き詰めていけば人を悟りに導くものだと実感した。

イスラム教徒であったバーヤズィード・バスターミーも、
初めてカーバ神殿を訪れたとき、精神の高揚を隠せなかったはずだ。
そして、このスーフィの聖者は、二回目に訪れたときには、
そこに“神を見た”のである。
人としての進化、ここに極まれり……と周囲も、彼自身も思ったかもしれない。
だが、そうではなかった。
三度目に訪れたとき、彼はそこに神殿も、神も見なかった--。

人間として最高度に進化した状態で生まれたイエスは、
当初、自らを「神の使者」であると知ったという。
が、速やかに「神の子」としての認識を確立し、
そうして最終的に、「わたしと天の父とは一体である」と宣言した。
イエスは自ら十字架に架かり、人類の罪を贖われただけではなく、
「二元論」から「条件付き一元論」へ、そして最終的に「不二一元」の境地へと進化して、
そのさまを人類に見せてくれた。
イスラム教では、イエスを預言者の一人と数えるが、
“預言者”などではない。神だった。

同様に、バスターミーもまた、神を見た。
が、“見た”ということはすなわち、自分の外に神がいることを示している。
そして彼もまた、その状態から脱した。
神は自分の外にはいない。
内にある。
それが自分自身であり、他にはなにもないと。

『二つ目のものが見えたら、それはすなわちマーヤー(幻)だ。
あなたはまだ、悟りへの途上にある』と、かつてサイババは言った。
われわれは常に、二つ目のものを見ている。そうして、
あれはいい、これは悪いなどと主張しながら、自分で苦しんでいる。
そのような状態からはるかに脱したイスラムの、
特にスーフィの聖者がいた。

8月の巡礼旅行では、そうした聖者のなかでも最も知られ、
今も奇跡を起こし続けている人の許に行く。
一昨日、やっぱりどうしてもこれに行きたい! という人が現れ、
旅行代理店に相談したらチケットがとれた。
突然、身の辺りの情況が劇的に変化したのだという。
“劇的”を超える経緯を聞かされ、
聖者はこのようにして一人ひとりをお呼びになるのかと思うと
驚きを禁じ得ない。


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