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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第173号 2024年1月24日配信)

『時宜(じぎ)』

アーユルヴェーダの聖典に、『治療において、もっとも肝要なものの一つは時宜である』という名言がある。当然といえば当然であるが、しかし人はしばしば、時宜を逸する生き物だ。予言の葉にもしばしば、それについての記述がある。

Aさんの予言のなかでパリハーラム(否定的なカルマを解消するための処方箋)が提案されたのは7年前のことだ。当時は無理ということでやり過ごしたものの、一昨年の夏、他の方の予言のなかで突然、『Aのパリハーラムを、そろそろ行なわなければならない』という示唆があった。が、そのときもやり過ごし、昨年前半、今度は私の予言のなかで、『Aのパリハーラムをこれ以上遅らせることがあってはならない』との記述があった。
パリハーラムのなかには、時宜を逸したために後で、『今となってはすべてを5倍にして行ないなさい』という指示が出たことがある。また、『あれはあのときの指示。今となっては遅すぎる』というやや残酷な記述を見たことも。
パリハーラムを行なわなかった結果、予言されたとおり金銭的損失を被り、その後あらためて行ないたいと言ってこられた方もいる。費用を計算してお伝えすると、驚いたような顔をされた。失われた金額とちょうど同額だったのだ。「最初からそれで行なうべきだっただろうと聖者様がおっしゃっているのでしょうか」と言われ、私は答えなかった。が、しかし清々しくそれをなさったのが印象的だった。

決断力に乏しい私が、時宜を逸することは過去、しばしばあった。人生を振り返ってみれば、後悔することばかりであるが、ある化粧品のブランドを買い取るようにという意外な指示を受けたのも、もう何年も前のことである。だがそのブランド(Define Beauty)はすでに市場に地位を確立しつつあり、さらに飛躍しそうな局面が続いていたので、敬意をもって見守っていた。それがこの度、『早くしなさい』という指示を受けて昨年末これを買い取ったところ、たまたま巡礼の後、インドの富豪との間でいくつかの商談があった。
もともと私の会社は、仮に“利益”が出たとしても、それをはるかに上回る金額を儀式やチャリティに使ってきた。なのでこの新たな“化粧品部門”が利益を上げるようになったとしても、ますます大規模なパリハーラムを行なうようになるのは見に見えている。もともとそういうことで設立された会社なので、私も、従業員も(たぶん……)、最初からそのつもりなのだ。

正月5日、6日という大ホーマの日取りについても当初、これが一日ずれてくれればと、ずいぶん思ったものだ。しかし指示されたこの日はずらせず、予定どおり6日には食べ物や各種薬草、女神がお歓びになるシルクのサリーや金・銀、九つの惑星の神々の好まれる宝石などが大量のギーとともにホーマの火にくべられた。33の炉を取り囲む百数十名の僧侶のマントラ吟唱により、これらの供物は私たちの願いとともに天界の神々に届いたはずだ。同時に、何千人もの人たちに食事と衣類をお配りできたのも歓びだ。日本からは、七十数名の敬虔な皆さまがこれに参列、敬虔な祈りを捧げてくださった。
帰国して分かったことだが、この同じ日、一人のヴェーダ学者が亡くなった。Gujarat Ayurveda大学大学院長であったHari Shankara Sharma師は、1990年の最初の渡印時、私を一カ月、ジャムナガールの自宅に泊めてくださった方だ。拙著に登場してくるシャシクマールは彼の学生であったので、この人がいなければ、シャシクマールに出会うことも、したがって『理性のゆらぎ』や『アガスティアの葉』が生まれることもなかっただろう。当然、現在の、皆さんとの関係性もそうである。私たちの捧げた大ホーマが、この日、稀代のヴェーダ学者を天界にお連れする役割をも果たしたのであれば光栄なことであり、神々に感謝したい。

年末・年始は毎年、最も楽しく、心待ちにしている季節だ。しかし昨年末から今年にかけては、それらしいことの一つもできず、パリハーラムと巡礼旅行を駆け抜けてきた。
帰国した12日(金)は、ちょうどシスター・フランチェスカがコンゴに発たれる日だったので、お呼びしてお金を直接お渡しし、お好きになったという日本のミカンを食べながら今後の展望を相談することもできた。
そうして今、ふと想えば、あの“懐かしい”『あるヨギの自叙伝』が数日後に待っている。驚嘆する面白さの最後1/3を、ヴェーダ科学と現代科学両方の観点から、可能なかぎり解き明かしてみたいと思っている。