青山圭秀エッセイ バックナンバー 第131号 –

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第131号(2020年1月23日配信)

『ご挨拶』

新しい年を健やかにお迎えのことと思います。
新年にあたり、今年の予定を知りたいという方もおられましたので、
おおむねこのようになるのではないかという予想を書いてみたいと思います。
変更があり得ますので、どうかご了承ください。

進んだ瞑想の講座について、さまざまお問い合わせをいただいています。
先日、神戸で<Art4>Stage4が終わりましたが、
東京では同講座を4月29日に行ないます。
当然、同じ内容を話すのですが、不思議なことに、
行なう場所、お話しする相手の皆さんによって挿話など、その趣が違ってきます。
東京では今年中に<Art4>Stage5も行なわれることになると思われますが、
たくさんの皆さんからお問い合わせいただいている次の瞑想講座については、
以下のような予定です。

昨年、40年に一度湖中から引き上げられるヴィシュヌ神・ペルマールを、
予言の指示により礼拝に向かいました。
それに続き、同神の特殊な恩寵により与えられる新しい瞑想の技術についての記述があり、
これは2020年の4月15日を過ぎてからでなければ教えてはならないと書かれていました。
それについてはなお、お教えする前に私がしなければならないこともあり、
実際に講座が行なわれるのは秋以降になると思われます。

現在、国内、国外を問わず、私自身に巡礼に行くようにという指示はありません。
その状態は、今年前半で終わると思われますので、
次回『大いなる生命とこころの旅』は夏以降となります。
行き先は、いずれ予言のなかで示されると思われますが、
アフリカの学校と修道院の支援は続けなければなりません。
そのためには例年通り、9月にはアフリカに渡ることになる予定です。

今年も月に一度のペースで、『あるヨギの自叙伝』を勉強していきたいと思います。
前回はムクンダが奇跡的に大学の卒業試験に合格する痛快な章を読みましたが、
これが大いに受けた方も相当数おられたようです。
今回の章は、さらにわくわくする内容で、ムクンダはついにスワミ僧団の僧侶となり、
『ヨガナンダ』という法名を得ることになります。
折しもちょうど、私たちを代表して数人が聖サバリ山への困難な旅から戻ってきましたので、
26日にはお祝いに、アイヤッパ神に捧げた後、
持ち帰られたお米とプラサーダムをお分けしたいと思います。

遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。


第132号(2020年3月15日配信)

『災厄』

14世紀、中国で発生したペストは人口を約半分にまで激減させたといわれる。
このとき、ペスト菌をはらんだ、おそらくは数匹のノミが毛皮に侵入、
それがヨーロッパに運ばれて広まり、1億人にのぼる死者を出すきっかけとなった。
これは当時のヨーロッパの人口の1/3から2/3に当たり、
全滅した町や村も少なくなかった。

20世紀初頭、世界中で大流行したインフルエンザを、スペイン風邪と呼ぶ。
感染者数5億人超、死者は5000万人から1億人に及ぶとされる。
当時の世界人口は18~20億人と推定されるので、
世界の4人に一人が感染、3~5%が死亡したことになる。
こうした疫病の世界的大流行をパンデミックと呼び、
WHOは今回の新型コロナウイルスをこれに認定した。

医学の進歩と医療態勢の充実により、
現代ではパンデミックの発生はおおむね抑えられてきた。
したがって、世界的危機といえば、われわれはそれ以外の要因を思い浮かべる。
実際、今世紀に入って人類が経験してきた危機はといえば、
2001年9月11日の同時多発テロ、2008年9月15日のリーマンショック、
2011年3月11日の東日本大震災等であろう。

こうした危機は、おおむね十年に一度くらい起こってくるという経験則がある。
昨年夏、私のなかでは、東日本大震災以来、
次の危機はいつ、どのようにして起こるのだろうかという思いが急速に高まっていた。
それとほぼ時を同じくして私のシヴァ神の予言が見つかり、
そこにはこんなことが書かれていた。
『(次の危機は)自然界に関する災厄からもたらされる。
よく知られていない、誰も予想できないものだ……』
予言の読み手は、最初「自然災害」と口にしたものの、すぐに、
「“災害”ではなく、自然界に関する“災厄”」と言いなおした。
さらに、『それは人の過ちによるもの』とも書かれている。
災害ではないというのだから、地震や台風ではないのだろう。
それ以外の、自然界に関わる災厄とは何なのか……。
しかもそれが、よく知られていない、人為的なものであるとは……。
地震や台風も、実際は人間の精神性と深いレベルでつながっているが、
それを「人為的」とまでは普通言わない。
セミナーなどの際、たまにこのことに触れてきたが、
生徒さんたちと「何のことなのでしょうね……」などと話しているうち、
こんな短期間にそれがやってくることになろうとは、
さすがに思ってもみなかった。

ちなみに、予言の最後の部分には、こう書かれている。
『(この時期)多くのことをしなければならなくなるだろう。
苦しみがもたらされる……』
実際、神々にお捧げする儀式等含め、多くのことをしなければならなくなった。
予言をお読みになっている皆さんにはある程度理解していただけると思うが、
実際に何をしなければならないのか、当日まで分からないことも、
具体的な内容を人に言えないこともある。
急に何かの品物や、何かの費用を用意しなければならなかったり、
やむをえず当日の予定をキャンセルしなければならなくなることもあり、
ただ、“急な仕事のため”などということでご迷惑をおかけした皆さんには、
この場を借りてお詫びしたい。

それでも、
『だがおまえと、弟子たちが行っている瞑想や祈り、神々に捧げる儀式や善行は、
おまえたちと、祖国を守るだろう』とも書かれている。
過去のパンデミックをみても、その他の危機をみても、
人類も、日本人も、そのすべてを克服してきた。
どんなときも、われわれはいつも自分のするべきことを誠実に、淡々と続ける他はない。
そうして、今のこの情況も一緒に乗り越えつつある皆さんと、
今生の終りまで進化の道をたどっていきたいというのが、私の密かな願いである。


第133号(2020年4月18日配信)

『出家』

このエッセイをお読みいただいている皆さんのなかには、
一度ならず「出家」を考えたことのある方がおられるだろう。
私も例外でなく、特に中学・高校時代はそのことで頭がいっぱいだった。

私が行くことになった中学は、カトリックのイエズス会が創立した。
初めて訪問したとき、金髪の神父がいて、
福山の田舎で育ち、ほとんど外人を見たことのなかった私は目を見張った。
中学一年の英語は最初からアメリカ人神父二人が担当で、日本人からは教わらなかった。
偶然、中学受験の前後に読んだ物語はイエスの十字架がテーマで、
まだ世間も何も知らない私の胸を打つには十分だった。
そうして、長くて複雑な、さまざまな偶然や事件を経て私は洗礼を授かったが、
実は、そのはるか前から修道院に入りたいという気持ちは高まっていた。

当時、広島東洋カープのショートだった三村選手の従兄弟が教師の中にいた。
彼はまだ神父ではなかったが、あるとき突然こう言った。
「青山君、ここを卒業したら、そのままイエズス会に入ったら?」
この提案は、大きな驚きだった。
その場合、最初は広島県の長束というところにある修練院に入り、
日々、祈りと労働、ラテン語や哲学の基礎を学び、
それから上智大学のスコラ哲学科に三年、
さらに中間期といって世間で経験を積む期間を二年間経ると、
ふたたび上智大学で神学を四年、計十年になんなんとする教育と修練を経て、
やっとカトリック司祭になれるのである。
そのような未来を、普通の両親が許容するはずもない。が、どうした因果か、
そうした修行や修養のシステムは、ことの他、私の好むものだった。

あのとき、高校を出てすぐにイエズス会に入っていたらどんな人生になっていたか……。
今もそう思うことがある。
もちろん、カトリック司祭になれたかどうか、
なったとして司祭職を続けていられたかどうかも分からない。
が、今とはまったく違う人生になっていたことだけは確かである。
その場合、皆さんと出会うこともなければ、
現在、皆さんがこのエッセイを読んでいるということもなかっただろう。
だが、現実は(少なくとも今、私たちが生きているこの世界では)そうならなかった。

東京に出てきて大学に入り、
私は四谷のイグナチオ教会に通うようになっていたが、
そこでみつけたカトリック誌の対談で、遠藤周作と三浦朱門が語り合っていた。
「もし、『あるヨギの自叙伝』に書かれているようなことが本当なら、
われわれカトリックは根本的な世界観の変更を迫られることになる……」
その『自叙伝』が、私の東京時代の最初の愛読書となった。
そうして結局、私はインドに向かい、インド伝承医学に出会い、
サイババにお目にかかり、『理性のゆらぎ』が出て、
最初に対談を申し込んでこられたのが遠藤周作先生だった。

それにしても、私のなかで出家に対する憧れがなくなることはなかった。
『あるヨギの自叙伝』のなかではパラマハンサ・ヨガナンダ自身が出家し、
その後、世界に大きな影響を残すこととなる。
その、クライマックスの部分に入ろうとしたところで、
新型コロナウイルスのためセミナーが中断した。

私の憧れた修道生活を奪ったのは『あるヨギの自叙伝』であったが、
しかし、それを何倍にしても留まらない真理の深淵を教えてくれたのも同じ本だった。
4月26日にはオンラインでその解説を続けたいと思い、今、準備を進めている。


第134号(2020年5月19日配信)

『摂理』

他生物の細胞を利用して自己を複製させる、微小な感染性構造体をウイルスという。
ウイルスはタンパク質の殻と、その内部に入っている核酸からなるが、
細胞や細胞膜を持たず、自己増殖することがないので、生物ではないとされることもある。

私が小学生のころ、ウイルスはビールスと呼ばれていた。
ドイツ語読みを好んだ医学界の影響だったといわれる。
中学に入り、ウイルスには自己増殖能がないことを教えてくれたのは、
後に「ポカラの会」を創設された倉光先生である。
細胞や細胞膜を持ち、自己増殖可能な個体を一般に「生物」と呼ぶので、
その意味ではウイルスは生物ではない。
細菌よりもはるかに小さいので光学顕微鏡で見ることができず、
また、化学物質のように結晶化させることもできるので、
それを見れば誰でも単なる“物質”と思うだろうと、先生は言われた。
当時は、そういうものかと思っただけであったが、
その極微小なモノが、いまや世界を変えようとしている。

ウイルスは、実はこれまでも生物界を変えてきた。
この世界に存在するどんな生命もそうであるように、
ウイルスもまた宿主に影響を与え、細胞だけでなく個体を死に追いやりもするが、
しかし、遺伝子変異による生物学上の進化を促すという側面もある。
もし地球上にウイルスがいなかったならば、
生命の進化の歴史もまたずいぶん違ったものとなったに違いない。
むろん、人類も今のようではあり得なかった。
ウイルスも、実は生命誕生以来、あるいは地球誕生以来と言ってもよいが、
変わらずその役割を果たし続けてきたのである。
クリシュナ神はそれらのことを、こう表現した。
『わたしの意志に反して存在し続けられるものは、この世界には一つもない』

ちなみに、産業革命以降、世界の平均気温はほぼ一貫して上昇を続けているが、
ある地点を超えると取り返しがつかなくなることが知られている。
近年、海水温の上昇により巨大台風が頻発するようになった。
一方ではアメリカで、そして今年オーストラリアでそうであったように、
巨大な範囲の山火事が多発し、それらは莫大な量のCO2をまき散らしている。
気温はさらに上昇、人類は不断の冷房なしには生きられなくなり、
それがより気温上昇を促し、二度と後戻りできない循環に陥る……。
そうなるのは、産業革命前から平均気温が2℃上昇すれば十分といわれており、
現在、その差は1℃まできている。
これが限界を超える前に、われわれは欲望をある程度慎むべきなのだろうが、
どんなことになろうがそれは嫌だというのが人類全体のコンセンサスであるので、
この惑星はやむを得ず、次の防衛手段を繰り出してきたようにも見える。

公害と、温暖化ガスを存分にまき散らしてきた近代化のなかで、
期せずして現在、数十年ぶりか、もしかしたら100年ぶりといえるほど、
きれいな大気中にわれわれは生きているのかもしれない。
そんなことよりも喫緊の不便や不都合のほうが
もっぱら関心事なのは無理からぬことではあるのだが、
本当は今、コロナ後の世界をどのようにするのか、どんなふうにしたいのか、
真剣に考えるよう促されているように、私には思えてならない。


第135号(2020年6月18日配信)

『驚愕』

子供の頃からわれわれは、地球は球体をしているのだと教わってきた。
実際に自分の目で直接見たわけではないが、それが事実だと思い、
宇宙から撮られてきた地球の映像を、まるで自分の目で見たもののように信じている。
だが、仮に今、そのすべてが捏造で、
実際は地球は平らだという“事実”が明らかになったとしよう。
にわかには信じられなくとも、
動かぬ証拠の数々が揃ってそれを認めざるを得なくなったとしたなら、
われわれはどんなに驚くだろう。
実際、今でもアメリカには「地球は平たい協会」というものがあり、
相当数のアメリカ人がこれを信じているといわれる。

仮に、死んでみたら実際は何もなくて、死がすべての終りだったとしよう。
死後の世界はもちろん、生まれ変わりもない。
そうなってみたらどんなに驚くか知れないが、
そのときはそのこと自体にも気づかないだろう。

科学的な気温の観測は、19世紀に始まった。
それによると、1906年から2005年の100年間に、世界の平均気温は0.75℃上昇している。
20世紀中盤、上昇のペースが鈍った時期があったが、後半に入ってふたたび加速、
2015年から4年間の気温は観測史上最高で、
単年の記録上位20傑は、過去22年間に集中している。
その原因として、太陽放射の変化のような自然要因も考え得るものの、
人間による化石燃料の使用と、それに伴う温室効果ガスの増大が主な要因とされる。
過去、さまざまな議論・研究があったが、
現在、これを否定する国際的な学術団体は存在しない。

もしこれが間違いであったとなれば、やはり大いに驚愕することとなるが、
さらに驚くべきは、こうして迫っている危機に対して、
われわれが特に何の関心も持つことなく、普通に過ごしているという事実だ。
一旦放出された二酸化炭素は100年間は温室効果ガスとして蓄積され続けるので、
現在のような経済活動が続いた場合、気温の上昇はさらに加速していく。
そして、前回エッセイに書いたように、
産業革命以降の気温上昇が2℃を超えると、もはや後戻り不可能な状態に陥るが、
それまでのタイム・リミットは、もしかしたらあと10年程度かもしれないという試算もある。

地球人口は、この100年間で4倍強に膨れ上がった。
50年間で、航空機や車による移動は50倍超、世界のGDPは60倍超、
貿易量に至っては100倍を超えた。
これらすべての繁栄を享受してきたのはわれわれ自身であるが、
それは数億年かけて蓄積されてきた化石燃料を堀り、一斉に燃やした結果である。
そしてそのためには、平均気温が加速度的に増加してもやむを得ない、
今、生活の利便と安楽を享受するのだ、というのが今日の世界の大勢である。

このままいけば、近い将来、かなりの確率で、というよりも確実に、
太平洋に浮かぶ美しい島国ツバルは海中に姿を消すだろう。
ヴェネツィアの歴史的建造物や、東京や大阪、名古屋の海抜の低い地域も例外ではない。
そのような事態が起きてからなんとかしようと思っても、もはやどうすることもできない。
10年か20年前ならばなんとかなったかもしれないし、
はるかにコストも安く済んだにもかかわらず、なぜ何もしなかったのか、
自分たちの愚かさにあらためて驚愕することとなるだろうが、
そのときはもう遅いのである。


第136号(2020年6月20日配信)

エッセイ掲載はありません。


第137号(2020年7月11日配信)

『原因・結果の法則』

前回セミナーでは、新型コロナウイルスと中国に関する出てきたばかりの予言に触れたが、
結果、多くの皆さんから驚きの反応をいただいた。
ところで、世界史の教科書を繙けば、かつてこの国にはイギリスと戦争をした歴史がある。

19世紀初頭、イギリスは清(現在の中国)から巨額の絹、茶、陶磁器を輸入していた。
しかしイギリス側からはこれといった輸出品もなく、大量の銀が流出していったため、
イギリスは当時植民地であったインドで栽培したアヘンを密輸出、
いわゆる三角貿易を行うこととした。
結果、清では急速にアヘンが吸引されるようになり、
人びとは健康を損ない、頽廃的となっていったことに加え、
逆に大量の銀が流出していくこととなった。
この状態を憂えた林則徐は、清の道光帝から特命全権大臣に任ぜられるや、
アヘン撲滅に向かった。
アヘン商人側からの賄賂を拒絶した林は、
1839年、逆に商人らから廃業の誓約書を取り付け、
「以後、国内にアヘンを持ち込んだら死刑」と言い渡した。
さらに、イギリス商人が持っていたアヘンも没収、海に流した。
このとき処分されたアヘンの総量は、1400トンにも及んだといわれる。
この情況に激怒したイギリスは、アヘンを持ち込まないという誓約を拒絶したばかりか、
逆に艦隊の派遣をもって応えた。
イギリス本国では、開戦の動機を不義であるとする批判が湧き起こったが、
議会は清に対する出兵を可決、
ここに正規軍としての大英帝国東洋艦隊が編成されることとなる。
票決は、271対262の僅差であった。

この、いわゆるアヘン戦争は、
密輸品を処分されたことから起こされた「不義の戦い」である。
兵力も、イギリス側1万9000に対し、清側20万。
にもかかわらず、イギリス側の圧勝に終わった。
結果、イギリスは多額の賠償金を得た他、清の関税権を放棄させ、
治外法権と、さらには香港の統治権を得ることとなる。
ちなみに、英帝国艦隊を目前にして驚いた道光帝は、即座に林則徐を解任したが、
その背景には、林によりアヘン商人からの賄賂を絶たれた官吏らの怨嗟があったといわれる。
もし林がそのままイギリスに対峙していれば、
戦争の結末は全く違ったものになっていたに違いないと、
後世の人びとは大いに悔やんだ。

人類の歴史は、戦いの歴史でもある。
そして少なからぬケースで、不義の側が勝利してきたようにも見える。
だが最後は、その側がより大きな代償を支払うことになった。
上記のような経緯をへて香港を奪われた中国は、
現在、逆の不義を掲げ、世界に戦いを挑んでいる。
そして今は、不義の側が優勢なように見える。
が、今そうであったとしても、自然の法則は、それが永遠に続くことを許さないだろう。
原因・結果の法則、いわゆるカルマの法則が発動する日が、いずれ来ることになるだろう。

次回セミナーでは、ヨーガの実践者、成就者としてのヨーギについて、
ヨガナンダの記述を掘り下げていきたい。
それは、われわれの心とカルマを統御する、精妙な科学を研究・実践する人びとである。
また、前回答えきれなかったご質問、新たにお送りいただく質問にもお答えしたい。



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