メールマガジン<プレマ通信>

青山圭秀エッセイ バックナンバー 第81号 –

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第81号(2014年10月9日配信)

『一期一会』

1995年、地下鉄サリン事件で国内が騒然としている頃、
聖者の勧めにしたがい、私はクットララムの滝にいた。
インド政府による近年の経済活性化策により、こうした聖地もさかんに観光地化され、
ホテルや土産物屋が林立するようになったが、
当時はまだ、掘っ建て小屋に裸電球があるような、そんなところだった。
着いたその日、現地の食べ物をなんとか手に入れてみたら、
辛くてとても食べられるものではなかったので、
その後はもっぱら、日本から持ってきたラーメンやカップ麺、保存食品の類に加え、
朝になると、チリン、チリンと鈴を鳴らしながらミルク売りのオヤジが通りかかるので、
それを買って鍋に入れて沸騰させ、ホッと一息つくのが日課となった。
そうして、宿のおやじからは昭和初期にあったような自転車を借りて、
一日二回、滝を浴びに通っていた。

あるとき、いつものように滝に向かう途中、遠くのほうに火の手が見えた。
火は、瞬く間に燃え上がり、家一軒が全焼した。
家一軒といっても、要するに藁小屋が燃えただけなので、あっという間の出来事だった。
後には、その場に泣き崩れる女と、まだあどけない男の子が二人残された。
後に、私とラーメンを分け合って食べた子である。

十数年後、訪ねてみると、同じ場所にふたたび家が建っていて、
中から転げるように出てきた女が私の足にしがみついた。
「あなたが通りかからないかと、毎日、外を見て暮らしていた」と女は言った。
中に入ると、立派な体躯の男が、小さな子供を抱えていた。
火事の後、当時の夫は逃げていなくなったと聞いていたので、
ずいぶん若い男と再婚したなと私は思った。
が、それがあのときの子供だった。
彼は学校に行き、運転免許をとって、バスのドライバーになったという。
そうして家を建て、結婚して子供もできた。

今年7月、皆さんとご一緒にクットララムを訪れ、滝浴びも今日で最後というとき、
私はどうしてもこの家族に会いたいと思い、
バスの運転手に無理を言って、同じ場所に止めてもらった。
霧雨のような、細かな雨が降っていた。
前回見た乳飲み子が大きくなっていて、
私のことを聞き知っているのか、じっとこちらを見つめている。
家族に会ったらすぐにおいとましようと思っていたのであるが、
一緒に旅行中の皆さんも中の様子を見に来られたので、
ご紹介し、全員で記念撮影をすることにした。
すると、男の一人が私の手をとり、もう一軒、別の家に導いた。
なんと、家は二軒になっていた。
あのときの男の子二人が結婚し、それぞれの所帯を持ったのだ。

今、当時を思い出すと、しみじみ感謝の気持ちが込み上げる。
あのとき、この家族のために何ができるだろうかと問うと、宿のおやじが言ったのだ。
「カネは、一遍に渡したらすぐになくなる。少しずつ渡さないとだめだ」
その通りだと思った。だが、どうやって?
「ワシがカネを預かって、様子を見ながら渡してやるよ」
そう言って胸を張るおやじの顔をみて、これは賭けだと思ったのは言うまでもない。
が、それに賭ける他はなかった。
「生活費が切迫すれば別としても、なんとかして教育に使うようにさせてください。
 とりあえずボロを着ていても、とにかくあの子らが学校に通うように。
 本や、学用品に使うように……」
などとくどいほど言い含め、私はクットララムを後にした。
当時滞在した小屋と、結局約束を果たしてくれたこのおやじを次は探し出して、
皆さんに一度会っていただきたいものだと私は思う。

今にして思えば、この人びとの全員と、何かの縁があったに違いない。
そうでなければ、たまたま火事の最中に通り合わせたりはしない。
そして、何年も、十何年も、再会を待ちわびてくれたりはしない。
さまざま誘惑はあったろうに、お金をちゃんと渡してはくれない。
しかしそれにしても、今生で私の書いたものを読んだり、
瞑想を習い、続けてくださり、聖地をご一緒に巡礼したりする皆さんとも、
何かの、というよりも、深いご縁があるに違いない。
今回の人生でやることはまだ始まったばかりで、
私はこれからなお、インド伝承医学と現代科学を繋ぐ研究をしなければならないし、
本も書かなければならない。
どんな展開になっていくのかはいまだ分からず、
誰が、どこでどんな役割を果たすことになるのかも分からない。
が、いずれにしても、私はそうした皆さんと瞑想を深め、進化の歩みを共にしたいし、
また、そのようにしていこうと、心のなかで決めている。


第82号(2014年11月28日配信)

『師走の憂い』

1994年、つまり今から20年前の師走を、
私は不安に満ちた心持ちで過ごしていた。
当時、『理性のゆらぎ』と『アガスティアの葉』が出たばかりで、
大方の予想を裏切り、売れていた。
著者である私には思わぬお金が“転がり込んで”きて、
その扱いを間違わぬようにしなければと気が引き締まる一方、
私生活の上ではさまざまな席にお呼びがかかるようになった。
文庫本のなかにいた大作家であったり、
テレビ画面のなかで見ていたきら星たちであったり、
有り余る富や権力を手にした日本のエスタブリッシュメントたちであったり……。
意外なことに、その人たちのほとんどすべてがよい人たちであったのだが、
広島の田舎から出てきた一介の、海のものとも山のものとも知れぬ男が、
突然にそうした人びとの知遇に与ることになったのであるから、
どうしていいのか分からなくなるのも当然といえば当然だった。
当時知り合った作家の麻生圭子が、
「ああいう人たちって、わたしホントに苦手。
 だって、みんなそれぞれに自分が一番だと思ってるから、難しいんだもの」
と言って嘆いていたのを、今も思い出す。
結局彼女はそのような東京を逃れ、京都の古民家に住み着いて、
それがよほど気に入ったのであろう、二度と東京に住もうとは思わないらしいが、
12月に入って寒さまでが身に沁みるようになってくると、
人間関係の難しさに、当時の私はすっかり疲労困憊してしまっていた。
一年のうちでもっともきらびやかなこの月に、逆に憂鬱になる―
そのような事態はしかし、その後もときどき経験する。

それは、人びとがこぞって時間に追われ、人間関係がギスギスするからなのか、
あるいは支払いに追われてそうなるのか、
一年の仕事がいまだ完結しないことへの焦りからか、
寒さのせいなのか、街が煌めくからこそ心は沈むのか……
太古の生命科学アーユルヴェーダは、
『生命が苦しむことを、病という』と定義しているので、
いずれにしてもそうした状態は、おしなべて“病気”なのである。

とはいえ、そこに希望がないわけではもちろんない。
確実にいえることは、そうした師走も、じきに終わるということだ。
それはまた、唖然とするほど速やかに終わる。
そうして新しい年がやって来て、それはそれでまた難しいものを含むとしても、
しかしふたたび確実にいえることは、その年もまた終わる。しかも速やかに。
こうして年を重ねていき、一つの人生も終わりを迎えるが、
そのとき私たちには、意外にして、大きな果報が待っている。
すなわち、遅々として進まないように思えていた自己の進化が、
意外と大きな実を結んでいることに気づいて、
人生、捨てたものでもなかったと思うことになるのである。
特別に偉大な業績を残さなくても、
ただ淡々と、気負うことなく生きてきただけでも、
自分が辿ってきた道が多大な進化をもたらすものであったことに気づくとき、
われわれの誰もが心からの充足を味わうに違いない。
仕事か瞑想の、どちらかではいけない。
その両方を続けてきた人ほど確実にそうなるに違いないと、
少なくとも私は信じている、というより、
私にはそれが見えるのである。


第83号(2015年1月1日配信)

『意識の探求』

インド亜大陸を北に向かうと、そこには首都デリーがあり、
さらに北には、クルクシェートラの大平原がある。
そこでかつて、東西数百万の将兵が激突、雌雄を決する大戦争があった。
そのとき用いられたのは、インドラ神から与えられたマントラによって射る弓であり、
太陽神から与えられた“無尽蔵に食糧のわき出る器”であり、また、
敵を一瞬にして殲滅することの可能な“火の兵器”であったとされる。

われわれの住む相対世界は、地・水・火・風・空の五大元素からなるが、
そのうちの風の要素(マントラ)を用い、地の元素、水の元素(原子核)から、
火の要素(熱)を取り出し、空(くう)を覆い尽くす、そういう兵器があったとされる。
現代に核兵器を蘇らせた天才科学者ロバート・オッペンハイマーは、
自らサンスクリットを学び、太古の聖典マハーバーラタを読み、
その兵器の実在を確信していた。そうして、誰に何と言われようと、
現代科学によってその兵器を創り出すことが可能だと信じていた。
第二次大戦中、国の全自動車産業と同じだけの規模の産業を興し、
アメリカはその兵器を地上に再現し、そのうちの2個がわが国で使用された。

それを可能にしたのは、20世紀に入って人類が到達した二大理論である。
相対性理論と量子力学。この二つは、できて100年以上というもの、
それを否定する事実がいまだ一つも観測されていない。
が、これら二つの理論は、互いに相いれないこともまた知られている。
自然界が、両立しない二つの理論から成っている--
それは、ほとんどすべての科学者にとって耐えがたい不条理だ。
この二つを統一するために多くの科学者が心血を注いできたが、
いまだなし遂げられていない。
が、20世紀の後半になって、一つの理論が、
この二つを統一する可能性を秘めた最有力候補として登場してきた。
この「超弦理論」において、物質の究極は粒子ではない。
それは、糸(紐)なのだ。
さまざまな固有の振動数をもつ糸が素粒子を構成し、
物質世界のあらゆる現象を紡ぎだす。

実は、それに似たことを、太古の聖者たちは知っていた。
彼らは、物質世界よりもはるかに精妙な意識の世界もまた、
糸によって構成されていることに気づいていた。
そうして、これを使って世界全体を探求し、支配することすら可能とした。
彼らは、物質世界ではなく、自らの意識を探求したのである。
その結果、それよりも粗雑な物質世界のすべてを支配することができた。
自然界から自由に火の要素を取り出す方法を得た。
体を綿葛のように軽くし、空を行く方法を開発した。
人の心を読むことや、天使や神々と話すこと、他人の体に入ること、
過去・現在・未来を知ること……。そうしたさまざまな方法を、
彼らは意識の内側から見いだすことに成功したのだった。

その概略を、かつて大戦争が行なわれた北の大地ではなく、
今回、南の豊かな地で、インド洋を目前にして皆さんにお話しした。
昨年12月の旅行のときのことである。
そうして皆さんからは、有り難いことに、
これを使って意識を探求する方法を、より具体的に教えてほしいと言われた。

昨年後半、予言のなかには、もう一つの示唆が現れてきていた。
『太古の医薬の探求を早急に進めなければならない』
それは、現在生きている通常の人間の、誰も知らない。
また、現在地上にあるいかなる聖典にも書かれていないと、予言には記されている。
今年の主な仕事のうち二つが以上のものとなるかもしれないことを思うとき、私は、
新年早々身の引き締まる思いがすると同時に、
ぞくぞくするような感興をも禁じることができないのである。


第84号(2015年3月9日配信)

『幸福の深化と意識の進化』

私たちが生きていて感じる幸福というものは多岐にわたるので、
これを一緒くたに論ずることは難しい。
たとえば、空腹時に美味しいものを食べたときの幸福感や、
久しぶりにゆっくり、十分な睡眠がとれたときのような快感は、
何ものにも代えがたいと誰もが思う。
しかし同時に、思いがけず自然界の霊妙な美しさに気づいたときや、
人の細やかな心遣いに触れたとき、
あるいは、長年心の通じ合わなかった人と気持ちが通じたときの幸せは、
肉体的、または物質的快感をはるかに超えるものともいえる。

人が到達しうる最高の幸福とは一体どんなものなのか、
誰もが一度は考え、あるいは夢見るかもしれない。
通常、『天は二物を与えず』といわれるように、
相対界においては、何かが整えば、他のものが欠けるのが常である。
ところが、ごく稀には、この世の富や権力、あるいは美しさなど、
普通の人が欲しいと思うもののほとんどを手にしたように見える人を身近にみる機会は、
決して皆無ではない。
そうして、知らないうちは、その人たちの輝きがまぶしく見えることもあるのだが、
しかしよくよく近しくなってみると、そうした人にすらさまざまな悩み苦しみがあり、
場合によって彼や彼女らは、普通の人たちが思いもよらないようなことを望み、
苦しんでいることが分ったりもするのである。

ヴェーダは語る。
ここに、あらゆるものを手にした人を想像してみよと。
健康も、若さも、美も、富も、地位も、権勢も、
それどころか世界中の人びとからの愛情すらもほしいままにできる人。
すべてを手に入れ、しかもこれを失う心配もない人。
そのような人がどれほど幸せか、想像ができるだろうか。
しかしそうした人の幸せも、天界の精霊たちの、
意識の深いレベルにおける幸せに比べれば、ものの数ではないという。
地上の最高の幸せを100万倍にしても、天界の精霊や天使たちの幸せには及ばない。
しかしその精霊や天使たちの幸せを100万倍にしてもなお、
天界を治める神々の幸せには遠く及ばないと、ヴェーダは語る。
それはひとえに、個別生命の意識レベルによるのである。
進化した生命の幸せは、そうでない生命の幸せからは想像もつかない。
われわれが、自分で気づいていようがいまいが、等しく意識の進化を願うのも、
実はそうした理由による。

そのような幸せを享受し得る天使や神々とわれわれの違いは、
たしかに意識の状態にあるのではあるが、
しかしより具体的には、それは五感の精妙さの違いだということもできる。
精妙な五感の持ち主は、そうでない者には想像もつかない幸せを手にしている。
たとえば、私たちの心や体におけるドーシャの流れを見たり、
自然界で交わされる精霊のささやきを聞いたり、
あるいは神々や聖者たちの姿を実際に見ながら自由に語らうことができたりすれば、
その状態がどんなに幸せか。
こうした五感の精妙さも、知性の進化同様、意識の器にその基盤をおくのであるが、
われわれが実践する瞑想は、そのような意識全般の進化を強力にもたらしてくれる。
特に<Art4>は、これを理論的に説明し、実践するための過程だ。
<Art4>Stage4では、われわれは神々の意識状態について学んだが、
実は、さらにその上の状態があることを、ヴェーダは教える。

われわれには想像もつかない神々の意識とその幸福。
その上の状態をわれわれが、人間でいながらにして目指していけるということが、
ヴェーダの語る真に驚嘆すべき真実であり、
それが<Art4>Stage5でお伝えするテーマだということができる。


第85号(2015年4月8日配信)

『時の流れと執着』

修士課程の学生の頃、冬になると山に籠もった。
月曜日に東京を発ち、長野や新潟の山に行く。
なるべく安い宿をとると、昼間はスキーをし、
夜は持参した論文や専門書を読んで過ごした。
当時、ある種の不眠に悩んでいた私は、
東京のマンションで、朝刊を読んでからやっと眠れるような毎日を送っていた。
そのような生活が心地よいはずもなく、
なんとかして脱却しようとさまざまなことを試みたが、
どれもこれもうまくはいかなかった。
が、冬山に籠もり、一日スキーをして夜、一人で勉強していると、
久しく忘れていた「眠気」が射してくるのである。
それはどんなにしても抗うことのできないほどのもので、
自然な眠気というのはこんなにも気持ちよいものかと思いながら翌朝を迎えた。
そんなふうにして金曜日になると山を下り、東京に戻ったが、
するとその日からもう、眠気がくることはないのである。
翌週は大学院に通い、また次の週になると山に向かった。
その数日間だけは眠気を楽しみ、そうしてまた東京に戻ると、元の木阿弥なのであった。

2週間ほど前、北の国に仕事で行った折り、何人もの人に勧められてスキーをした。
実に、30年ぶりであった。
果たして覚えているものか……。
最初はまったく自信がなかったが、自転車と同じで、滑ってみると滑れるものだ。
かつては、完全にスキーを閉じたまま、パラレルターンをすることが目標で、
インストラクターについては技術の改善に努めたものであったが、
とうとう完全なパラレルには到達しなかった。
ターンの際、どうしても少しだけスキーが開いてしまうのである。
当時目標にしていた先生の美しい滑りを見ながら、
どうしてあのようなことが物理的に可能なのかを考察したが、
結局、頭でも理解できなければ、体でもできなかった。
そうして気づいてみれば、あの当時さながら、ふたたび、
私は完全なパラレルターンを目指して、朝から練習を始めていたのであった。

ところが今回、意外なことを知った。
このままでは無理だと思い、午後になってインストラクターについたところ、
その人が、こう言ったのである。
「ターンはいいんですが……、できればスキーを開くようにしてください」
「……???」
よくよく聞いてみると、現在は、
スキーを並行に開いたまま滑るのが“正しい”とされている、というのである。
にわかには信じられない話であった。
たしかに、スキーを完全に閉じたままでは、スピードに制限が加えられるし、
コブや新雪への対応は当然に困難となる。
そうではなく、スキーが並行ではあってもある程度開けば、
コントロールははるかに容易になる。
それはそうだろうが、しかし、かつて私が憧れ、
そのために練習を積んだあの美しいパラレルターンは、一体どうなってしまうのか……。

思えば修士課程の頃は、人生のなかで、例外的に時間のあった時代だったと言える。
その後、博士課程に進学するとまったく時間はなくなり、
完璧なパラレルターンへの憧れどころではなくなった。
博士課程の3年間はあっという間に過ぎ去り、二個目の博士号を取ると、
私は生まれて初めてインドに行くこととなる。
帰国した後に本を書き、それがたまたま多くの読者の皆さんの目に触れることとなって、
その後の人生はまったく時間も余裕も、ついでにお金もない時代へと突入した。
気づいてみれば、30年という時が経ち、
そうしてあの美しいパラレルターンへの憧れもまた、
知らぬ間に存在意義を失うことになっていようとは想像もしていなかった。
こうして次の30年がふたたび経てば、今回の人生も終わる。すると、
現在の執着もまるでなかったかのようにして次の人生に移行していくのであることに、
私は改めて気づかされたのであった。


第86号(2015年6月17日配信)

『聖ルイーズ・ド・マリヤック』

今秋のヨーロッパ巡礼のなかでは、何人かの聖人・聖女のご遺体を拝礼することになる。
なぜ彼らの遺体や、体の一部が腐敗しないまま残っているかといえば、
それはもちろん奇跡なのではあるが、
ヨーロッパのキリスト教社会では長年にわたり、遺体を火葬しなかったことにもよる。
遺体を火葬してしまえば、最後の審判の日、
聖人・聖女といえどもさすがに復活しにくいであろうと教会は考えた。
そうして、少なくとも聖人であったかもしれないと思われる人が亡くなったとき、
遺体をそのまま残したのであった。
そのままといっても、心臓だけは別で、しばしば遺体から摘出された。
それは心臓に、人の心が特別宿っていると考えられたからに他ならず、
いかなる文化圏においても同様の思想が存在する。日本においても、
この臓器を「心の」臓と呼ぶ所以である。
今回の巡礼において、パリ愛徳姉妹会の聖堂正面右上の聖櫃には、
死後3世紀半を経ていまだに腐敗しない聖ヴァンサン・ド・ポールの心臓が納められており、
われわれはその聖櫃を拝礼することができる。

同聖堂においては、聖女カトリーヌ・ラブレーと、
聖ルイーズ・ド・マリヤックの遺体が、さらに間近に仰ぎ見られる。
前者は、先月の<プレマ・セミナー>で詳しく解説したように、
聖母マリアのご出現をうけ、世界に『奇跡のメダイ』の信心を広めたことで知られるが、
後者は、カトリックであってもほとんどの方が知らない。
彼女は、聖ヴァンサン・ド・ポールが世界で初めて女子の実践修道会を創始する際、
これを助けた人である。

一般に、人類社会に偉大な功績を残す人がいたとしたならば、
それは地位や名誉、学識やお金によってではない。
それは「志」によってなされる。
前者はもちろん、必要なものではあるかもしれないが、十分条件ではない。
かつて長崎にいたコルベ神父が、『聖母の騎士』を刊行しようとしたとき、
どうしてもお金が足りず祈っていると、祭壇に、ちょうど必要なだけの額が、
「いかようにもお使いください」との文言とともに置いてあった。
南フランスはアルスの聖司祭といわれたヴィアンネは、
孤児院の運営にお金も食糧も尽き果てたとき、深い祈りから出てきて、
「穀物倉を開けてみなさい」と言った。
穀物倉は容易に開かなかったが、こじ開けると、
中からはおびただしい量の小麦が出てきたのだった。
女性も、修道院の奥で祈るだけではなく、
社会に出て貧しい人びとを助けるべきだと考えたヴァンサン・ド・ポールは、
実践女子修道会を創始したかったが、政治的・経済的にきわめて厳しい状態にあった。
そのような聖人に、神が与えたのがルイーズ・ド・マリヤックであった。
17世紀、フランス・リシュリュー政権の法務大臣と陸軍元帥を叔父にもち生まれた彼女は、
質素な生活を送りながらヴァンサン・ド・ポールを助け、自らも修道女となって会を支えた。
そうして、1830年のあの日、聖母マリアが愛徳姉妹会の聖堂に現れることになる。

世の中、そんなにうまくいく話ばかりではないだろうと、人は言う。
もちろん、私もそう思う。
実際、これが自分のダルマだと思っても違っていることはあるし、
今だと思っても未だ時が熟していないこともある。
そうした、いわゆる“勘違い”をしないためにも、われわれは日々、瞑想をし、
祈り、聖典を研究するのである。
が、志を抱いてネパールに渡った大木神父のような人にも、
その後思わぬ苦難と困窮が待っていたのであった。

もし、その“志”が一時の気の迷いであったなら、それで終わりであろう。
しかしもし、それが真にその人のダルマで純粋なものであれば、道は開ける。
実際、大木神父には、このメールの読者のような皆さんが大勢与えられた。
そのおかげで、障害者のための学校ができ、父母のための託児所ができ、
世話をする修道女の宿舎、診療施設ができていったのである。
そうしてこれから、皆さんのような方のなかから、
さらに何人ものルイーズ・ド・マリヤックが現れるかもしれないのである。


第87号(2015年7月13日配信)

『聖地の力』

美しい、そして宗教的、歴史的建造物の立ち並ぶトゥールーズを後にして小一時間、
バス前方の大きな窓からルルドの街並みが見えてくると、
私はひとしきり、(ああ、また帰ってきた……)と感慨に浸る。
ここだけの話であるが、あるとき食事を共にしていた某著名霊能者が突然言い出すには、
私はかつてフランスに生き、神父であったり政治家であったりもしたというので、
もしそれが本当であれば、その頃、この地を訪れたのかもしれない。
ともかくもルルドは、私にとってことのほか愛おしく、麗しい場所なのだ。

今から150年ほど前の冬の日、
ガヴ川のほとりの洞窟の上にご出現になった聖母マリアは、
最初、自らの素性を明かさなかった。
聖母が語りかけたのは、貧しく、病弱で、愚鈍と言われた少女であった。
傍目には、これほどの不幸を背負った子がいるのかと思われるほど、
少女は不運につきまとわれていたが、ただ、単純な信仰だけを持っていた。
実際、彼女は聖母から言われている。
『わたしは、あなたにこの世の幸せを約束することはできません。
でも、後の世の幸せはお約束します……』

そのように言われた少女は、何を、どう感じただろう。
彼女もまた、普通のわれわれと同じように、目先の幸せを渇望してはいなかったのか。
もしかして、聖母の言われた言葉の意味も、十分に理解しなかったのではないか。
実際、ルルドに聖なる泉が出現し、次々と奇跡が起き、世界中が沸き返った後も、
彼女が普通の幸せを得る気配は一向になく、それどころかますます誹謗中傷にさらされ、
結局、一人淋しくルルドの地を離れていかなければならなかったのである。

移り住んだヌヴェールには、当時彼女を持参金なしで受け入れてくれた、
唯一の修道会があった。
しかしそこでも先輩修道女に苛められ、病気に苦しみ、
夜毎、二度とふたたび帰ることのない故郷を思い返しては泣いた。
が、そうして亡くなっていった彼女の美しい遺体を目の当たりにするにつけ、
われわれは、「後の世の幸せ」を約束された聖母の言葉の真実味を
感じないではいられない。

こうして、ルルドも、ヌヴェールも、その他のフランスの聖地・教会たちも、
聖母マリアや聖女ベルナデッタ、
世界でもっとも人気の高い、フランスの守護聖女テレジアらに彩られている。
壮麗な聖堂や聖域だけではなく、周囲にある無数の土産物屋ですら、
聖母や聖女の画やご像、さまざまに趣向をこらされたグッズが巡礼者の目をひき、
何日いても飽きることがないのであるが、しかし、
それらにもましてわれわれの心に訴えかけるのは、実にボランティアの皆さんだ。

ルルドには、フランス中、いや世界中からボランティアが訪れる。
彼らは通常、個人でというよりは団体で、それぞれの小教区を代表するような形で、
ピレネー山嶺にある、この村にやってくる。
そうして一週間か二週間、病人の世話や教会の奉仕に努め、
最後にご褒美として、聖なる泉に浸かる。
その列に並んでいた若者の一人が、待合室の私の隣で、
なぜかブルブルと震えていたことがあった。
大柄で、見るからに健康そうな体つきをした彼は、一週間ルルドで働き、
そうして今、初めての泉に浸かろうとして震えが止まらないという。
純朴な若者の心に、今、聖母マリアが入り込もうとしている……。

聖母マリアや聖女ベルナデッタとともに、このような人たちの心が、
この地を世界でも希有な大聖地にしたのかもしれない。
そこで少々の奇跡的治癒があったとしても、それほど怪しむに足らない。
こうしたボランティアの皆さんの純真さこそ、
さまざまな肉体の治癒にもまして、ルルドにおける最大の奇跡ではないか。
この地を訪れる度、私はそんな気持ちにさせられるのである。


第88号(2015年8月19日配信)

『祈り』

昔一人のヒンドゥ教徒が、富の女神ラクシュミに願いごとをした。
供物を捧げ、一心不乱に真言を唱え、
どんなに使っても減ることのない、生涯困らないだけの富を願ったのである。
そうして、十二年が過ぎ去ろうとするころ、男は極度の貧困に陥っていた。
当然である。彼は日夜、祈りに没頭していたのだから。
事態を憂えた彼は、この世の富を神に願い求めた自分が愚かであったと悟り、
世捨て人となることを決意した。
ヒマラヤ山中の洞窟に住み、小川の水をすくって木の実を食べ、
瞑想をし、ふたたび十二年が過ぎようとしていた。

その夜、彼は深い忘我の境地に耽っていた。
すると突然、辺りが昼間よりも明るくなって、
目もくらむような美しい女性が目の前に現れた。
子供の頃から絵や像で見ていたよりも、さらに美しい女神ラクシュミであった。
「あなたが一心に祈りを捧げてくれたので、こうしてやって来ました。
何でも望みのものを言いなさい」
女神に対し、男は答えた。
「お陰さまで、洞窟は私にちょうどよい広さのねぐらを与えてくれ、雨露を凌げます。
清らかな小川の水は甘露のようで、木の実も生きていくだけの量を採ることができます。
今では、昔の自分の願いが愚かに感じられます。ただ、一つだけ……」
そこまで言って、男は沈黙した。
「何です? 望みがあるなら言ってごらんなさい」
「一つだけ、分からないことがあるのです。
正しい方法で儀式を捧げ、真言を唱え続けたのに、
あなたはなぜ私の願いを聞いてくださらなかったのかと……」
それを聞いたラクシュミは、静かに微笑んで言った。
「わたしは、あなたの願いを聞きました」
「……」
「あなたは、夜を日に継いで儀式を執り行い、祈りを捧げてくれました。
むろんわたしは、それを聞いていました。
でも、あなたが願ったのが充分な富だったから、
わたしは本当にそれを与えてみたくなったのです。
決して終わることも、減ることもない、本当の富を、あなたには与えてみたくなったのです」

私たちの祈りは聞かれている。
それは、あらゆる宗教が、あらゆる聖者が、聖典が保証する事実だ。
聖者や神々によって書かれた皆さんの予言を読んでいると、
私のような感性の人間にも日々、 そのことはひしひしと伝わってくる。
ただし、答えは必ずしもすぐに返ってくるわけではない。
そして必ずしも、自分の思うようにも返らない。
答えは、神々や女神がそのひとに、そのときに、
もっとも相応しいと思われるかたちで与えられる。
何に相応しく与えられるのか。
その人の、意識の進化の度合いに相応しく与えられるのである。

富を追い求めれば、富は必ず与えられるだろう。その人に相応しいときに。
美を追い求めれば、美は必ず与えられるだろう。そのひとに相応しいかたちで。
そしておそらく、私たちは気がつくに違いない。
実在に到達し、純粋意識に確立されたひとは結局すべてを得る。
その単純な事実に私たちは最後に気づき、長いながい進化の旅路を終えるのである。


第89号(2015年11月10日配信)

『大いなる星回り(マハーマハム)』

その昔、船乗りをして、一人で太平洋や大西洋を横断したりしたこともある知人が言った。
「大海原を、何カ月も一人ぼっちで航行するんです。
くる日もくる日も、くる夜もくる夜も、空と海、太陽と月、星しかない。
するとそのうちに、月や太陽、星々と会話を交わしている自分に気がつくんです。
そうして話しているうち、彼らにはたしかに心があり、
意志があるということに気づくことになる」
そんな状態で二、三カ月も航海し、都会に戻ってくると、
しばらくは自然と会話し、人や動物の心の内側が見えたりもするらしい。
しかし、都会で数週間生活するうち、そうした感性の精妙さは徐々に失われ、
また普通の状態に戻ってしまう。
自分の内側の、とても大切な部分を忘れたような気がして、
ふたたび海に戻りたいと思うようになるのはそんなときなのだと、
目を細めながら彼は言った。

その昔、人びとは確かに太陽や月、星々と話したに違いない。
そうでなければ、あのような精緻な占星学が生まれようはずがないのである。
その昔、人びとは確かに木々や薬草たちと話したに違いない。
そうでなければ、あのように精緻な医学が生まれようはずもない。
そして彼らは感じていた。
木々や薬草たちにも心があり、月や太陽、天空の星々にもそれぞれの意志がある。
こうして、われわれにもっとも近い星々、すなわち、太陽と月、
水星、金星、火星、木星、土星……等々が、
実は単なる物体ではなく、心や意志をもつ存在であることを彼らは知ったのである。

神々は、互いのさまざまな役割のなかで地上を統治し、
その結果として、それぞれの人生に、あるとき幸運がやってきたり、
別のときには不運が降りかかったりもする。
あるときわれわれは内省的になり易く、あるときは愛の虜になり易い。
そのようにしながら、幸・不幸を繰り返し、運・不運に翻弄されて、
われわれはなす術もなく人生の荒波に身を委ねるのである。
そんなことはない、あなた方はそれぞれの人生を支配できるのだよと、
星に教えてもらった者もいた。
その内容を、彼らは庶民でも理解できるような形にして、
神話や伝説に語り残した。それによれば……

『悪が栄え、ダルマが廃れるとき、わたしは世界のすべてを破壊する。
そのとき、創造主ブラフマーがわたしの山(ヒマラヤ)の頂に置いた
クンバム(甘露の壺)が、 聖なる地に流れ着くだろう……』
太古の時代、シヴァ神は予言した。
そうして今から五千年前、未曾有の大洪水でカリ・ユガ(暗黒の時代)が始まったとき、
創造主のクンバムが流れ着いたのが、現在のクンバコーナムであるといわれる。
予言どおり、流れ出た甘露は巨大な池となり、四散した万物の種子は寺院となった。
十二年に一度巡ってくる神聖な星回りの期間、
世界の維持を司るヴィシュヌ神と、地上を司る九つの惑星の神々がこの池に集結し、
あらゆる聖河がこれに流れ込む。
『この時、マハーマハムの池に浸かった者は、あらゆる罪から洗い清められる』

北のクンブメーラと並び称せられる、南の「マハーマハム」。
来年三月、十二年に一度のその時期が巡ってくる。
期間中、私たちはこの聖なる池で沐浴し、9つの惑星の神々の寺院すべてを訪れ、
祈りと儀式を捧げることになる。
ちなみに、現在<Art5>を受講中の皆さんのなかには、
上記の船乗りさんに類するようなことが起きつつある方もいる。
そのような皆さんにとってはもちろん、日々淡々と瞑想を続けておられる皆さん、
瞑想する時間がなかなかとれない皆さんにとっても、
通常では想像できない恩寵を得られる旅になることと、私は密かに確信している。


第90号(2016年1月1日配信)

『男どものクリスマス』

前回のエッセイ『クリスマス』(プレマレター2015年12月号掲載)に書いたように、
クリスマスだからといって特別なことをするわけではない私は、
2015年も淡々と仕事を続けていた。
12月24日の陽が暮れ、クリスマスイブを一緒に過ごしたのはYさんだった。
男同士、何をしたかといえば、もちろん仕事をして過ごしたのだ。
それがすべて終わった後で、Yさんが言った。
「教会、行きませんか?」
思ってもいなかった。
私はもう、両瞼がくっつきそうなくらい疲れていたのだ。
(これが終わったら、もう寝ますから……)
思わずそう答えそうになって踏みとどまり、時計を見た。
9時半。今決断すれば、サレジオ教会の10時のミサに間に合うという。
サレジオは、山口百恵が結婚式を挙げた教会で有名になった。
挙式後、教会前で晴れやかな映像に映った彼女を見た頃は、
まだ結婚というものに対して淡い憧れを持っていた時代だった。
ここではまた、Yさんのお嬢さんが著名人と挙式した。
こうしてクリスマスに行くことになろうとは思ってもいなかったが、
「行きましょう!」
と答えると、私は急いでコートを着込み、Yさんの車に乗り込んだ。

教会には首尾よく10時少し前に着いたものの、しかし中は人でごった返していた。
普段仏教徒であるような人たちも、クリスマスにはこうして教会に来る。
イグナチオ教会などの巨大教会に比べれば、
聖堂も、パイプオルガンも、聖歌隊も小振りだった。
司祭も、人のよさそうな外国人がたった一人、
マイクを通じて式を誘導する係に至っては、
大事なミサの冒頭で言うことを思い切り間違えたので、
オルガンの旋律と人びとの唱える祈りの文言がまったく食い違うということすら起きた。
しかしそれらのすべてが逆に、家庭的で温かい雰囲気をかもし出し、
私はすっかりこの教会が気に入ってしまった。
朝3時、4時から起きて仕事をし、長い一日が終わった後、
日本では久しぶりの本格ミサを堪能した私は、
ほとんど頭がくらくらして、体が宙に浮いたようだった。

思えば、エッセイ『クリスマス』に書いたあの日の晩から、40数年が経過していた。
その間、カトリックの“純正品”であった時代も、そうでなくなった時代も含め、
クリスマスミサには度々与ったはずなのに、その多くは思い出せない。
「40年」は長いようであるが、しかしあっという間に過ぎてしまったのである。
次の40年が過ぎたとき、私はもう100歳に近づく。
それまで生きられるかどうか分からないが、
生きたとしても、そのときはすぐにやって来るだろう。
だからそれまでの間まっすぐに仕事をして、
可能なかぎりこの世界から「苦しみ」を取り除く手伝いをし、それから死にたい。

2015年はルルドにも巡礼し、キリスト教に関係の深い年となったが、
2016年、12年に一度の貴重な星回りがやってくる南インドでは、
「9つの惑星の神々」すべてをそれぞれの寺院に訪ねて祈り倒し、
さらに皆さんとご一緒にカルパスワミ神にもお目にかかる。
神々や聖者の力をお借りしなければ、今生の仕事は到底終えられそうにないのだ。
そんなことを想いながら私は2015年を終え、2016年を始める。



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