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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第143号 2021年3月18日配信)

『出雲』

皆さんの予言をお読みしていると、
浅草や鎌倉に行って神々を礼拝し、瞑想するようにという指示がしばしば出てくるが、
ときにはイセジングウやキョウト、シコクに行くようにという指示もある。
伊勢神宮はそのまま書かれていることが多いが、
京都の場合は『仏像が千体もあるお寺(三十三間堂)』とか、
四国は『敬虔な人びとが多くの寺を巡礼する島』といった記述の場合がある。
しかし長い間、出雲大社に行くようにという指示は皆無であった。

『おまえの国の中心にある、由緒正しい寺院』という表現が最初に出たとき、
それがどこのことを指しているのか分からなかった。
日本地図を広げ、普通に最東北端と思われる知床岬と、
最西南端と思われる与那国島に定規を当て、その中間をとると、
意外にもそこは出雲と、私の故郷・福山の中間の辺である。
このあたりでもっとも由緒正しい寺院といえば、やはり出雲大社であろう。

ちょうど十年前の3月11日、わが国を未曾有の大地震が襲い、
瞑想をお教えした生徒さんのご夫妻が亡くなられ、
お子さんのうちの一人だけが遺された。
そのお子さんがどうしておられるのかをたどって、
最初に、京都のご親戚にたどり着いたが、
この方も情況はよく分からないので、分かったら逆に教えてほしいと言われる。
仙台方面の生徒さんにあたってみると、
亡くなられた方のことをあまり詮索しないほうがよいのではないかというご意見もあり、
しかし諦めきれずに探していると、ご主人の弟さんという方にたどり着いた。
ところが、無理もないことであるが、この方は心に大きな痛手を負っておられ、
お話をすることができなかった。
なんとかしてさらにその叔父に当たる方をつきとめ、お話をうかがったところ、
震災からひと月経って、亡くなった下のお子さんの遺体が見つかり、
葬儀はこれからということだった。

現地に着いたとき、ご遺体はまだ、体育館に並べられた柩のなかだった。
東京から持参した花では飽き足らず、現地の花屋から可能なかぎりの花を買い求め、
柩を飾らせていただいた。
生き残ったお嬢さんは、すでに松江の祖父母のところに引き取られたという。
『出雲大社に行くように』という指示が出るようになったのは、その後のことだ。

祖父母様に初めてお目にかかったとき、心底ほっとしたのを覚えている。
古き良き日本人の美徳を絵に描いたような方たちだった。
当時、小学生だった和芳ちゃんは慎ましく、多くを語る子ではなかった。しかし
その後、毎年のように出雲巡礼が指示される度、ご迷惑を顧みずお邪魔していると、
徐々に心を開いてくれるようになり、今では行くと大喜びしてくれる。
これから高校三年生で、先日お電話したときも、
将来は看護師さんか保健師さんになりたいと語ってくれた。

あのとき、生徒さんのなかで、
一人遺された和芳ちゃんを自分が引き取りたいと申し出てくれた方が複数おられた。
また、被災され、家と家族四人を流された方は、
地元の消防団の復興・復旧作業に加わっておられたのだが、
見舞金をお渡ししたいと何度ご連絡しても、ついに受け取られなかった。
「もっと困っておられる方に回してください」と言われるのである。

先日、新たに建立された寺院が落慶式を迎えたが、
あの寺院に鎮座されたペルマール・バラジ神は、
こうした皆さんの魂をずっと見守ってくださると私は信じている。
そして大変僣越ながら、拝み倒してでもそうしていただくつもりだと、
密かに心に誓っている。