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最新号 (第109号 2017年7月24日配信)

『奥飛騨慕情 第一話』

訳あって、飛騨山中に分け入ることになった。
<Art5>を受講された生徒さんの一人が現象界の成り立ちに深く興味を抱き、
年に数回しかないスーパーカミオカンデ見学ツアーに申し込んだところ、
見事に的中、チケットをゲットされた。
おかげで私もこのツアーに参加することになったのであるが、
同時に私には、遠方の寺社仏閣9カ所で瞑想するようにという予言の指示も出ていたので、
初日は飛騨の寺々で瞑想し、山中で一泊、
二日目にスーパーカミオカンデを見学するという計画を立てた。

スーパーカミオカンデとは、飛騨の山奥に建設された巨大科学実験施設で、
ニュートリノの観測で名高い。
ニュートリノは、この世界を構成する重要な素粒子の一つであるが、
長い間、質量がない、幽霊のような粒子とされてきた。
また、ほとんど他と相互作用をしないので、
実際には私たちの体を毎秒数百兆個も透り抜けているのであるが、
これを感じられる人はいないし、害にもならない。
カミオカンデは1987年元旦からニュートリノを捕らえるべく稼働したところ、
直後の2月23日、10年か20年に一度とされる超新星爆発に遭遇、検出に成功した。
このニュートリノが大マゼラン星雲を出発した頃、
地球上にはネアンデルタール人が棲息していたが、
16万年が経ってそれを同じ人類が観測するなどと、誰が想像し得ただろうか。
この観測により2002年、小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞した。
さらに、1996年に稼働していたスーパーカミオカンデは「ニュートリノ振動」を観測、
ニュートリノに質量があるという素粒子物理学上の大発見をもたらした。
これにより2015年、梶田隆章がノーベル賞を受賞したが、
もし戸塚洋二東京大学特別栄誉教授が存命であれば、彼も確実に受賞していたはずだ。
ノーベル賞は通常三人に同時に与えられるが、
この年二人にしか授与されなかったのは、受賞を目前にして逝った戸塚に対する、
選考委員らの敬意と惜別の表れであるともいわれている。

ちなみに、私はエッセイのなかでなるべく政治に触れないよう努力しているつもりだが、
それでも一言付け加えるとすれば、
8年前に政権が交代し、あの、いわゆる「事業仕分け」が行なわれた際、
これら大規模科学研究の費用は“廃止”または“縮減”すべきと評定された。
国家財政が危急存亡の折りであることを思えば、
何かを廃止、または縮減するのはやむを得ないことではあるが、
仮にスーパーカミオカンデが本当に廃止されていた場合、ニュートリノも、
そして今や遅しと待たれている陽子崩壊という世紀の発見も、露と消える。
「二番じゃダメなんですかっ!!」と他を罵倒する議員もいて、
その人はその人で国を愛してのことだったのだろうけれども、
そうなったときには二番どころか、二流、三流に落ち込むのは速いのである。

ちなみに7月6日、日本アーユルヴェーダ学会で行なった講演には、
大雨のなか、会場を一杯にする人たちがおいでいただき、私のほうが驚いたものであるが、
講演の最後に私は、国の政治・経済だけではなく、科学・技術の発展も、
哲学や宗教の進化も、一握りの政治家や科学者、哲学者や宗教家ではなく、
結局は人びとの集合的意識レベルが決めると申し上げた。
その意味で私たちは今、太古の東洋科学も近代の西洋科学技術も共に享受できるという、
希有な時代、希有な地域に生まれ合せている最中と言って、
過言ではないのである(第二話に続く)。