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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第122号 2019年4月24日配信)

『平成』 子どもの頃、何を思ったか父に、「天皇陛下は死なないよ」と言ったことがある。
それに対して父は、「陛下も人間だから、いつかは亡くなるんだよ」と教えてくれた。
時代が昭和から平成へと代わった1989年、
それは突然のことのように私には思われた。
当時闘病を続けておられた昭和天皇が亡くなるというのが、
避けられないことであるのは頭では分かっていても、
御代が代わるなどということが想像できなかったのだ。

『新しい元号は、平成でありますっ』と、小渕官房長官が墨書を掲げたとき、
私は最初の博士論文の執筆中であった。冬の寒い時期、毛布にくるまれながら、
それまでに海外の学術誌に掲載された英文の論文を一つのテーマのもとにまとめ、
一冊の博士論文にしたとき、その厚みが5センチを超えたのに自分で驚いた。
元号が代わった年、私も大学院博士課程を修了して、新しい人生が始まっていた。

ベルリンの壁が崩壊したのは、その年の冬のことだ。
翌、平成2(1990)年には湾岸戦争が勃発して、バブル景気が崩壊した。
日本社会は、空前の好景気から一転、不況のどん底にたたき落とされたが、
その後、失われた10年、失われた20年……
と呼ばれる時代がまだ始まったばかりであるとは、
このとき、誰も想像できなかった。

そんななか、私は生まれて初めてインドを訪れ、
サティア・サイババにお会いすることになる。
『理性のゆらぎ』を上梓したのは平成5(1993)年で、
あいだ3年の隙間があるが、そのほとんどの期間は執筆ではなく、
これを出してくれる出版社を探すことに私は苦心していた。

平成7(1995)年1月には阪神・淡路大震災が起き、さらに3月、
オウム真理教が地下鉄でサリンを撒くという事態が発生した。
その頃、私自身は予言の指示により、
48日間、南インドはクットララムに籠もって滝業を行なっていた。

平成13(2001)年9月、一機の飛行機が
マンハッタンのビルに衝突するという事故があった。
ニュースを観ていたら、なんと二機目もその隣のビルに突っ込んでいく。
それがテロであることに初めて気づき、
すぐにロセンザルスの大学の同僚に電話すると、
なんと彼はまだそのことを知らず、台所で人参ジュースを飲んでいた。
私からの電話で、彼はのどかな一日の始まりに終止符を打つことになる。

100年に一度の世界恐慌の再来かといわれたリーマンショックは、
平成19(2007)年9月のことである。
もともと、世界中の金融商品に組み込まれたサブプライムローンに問題があることは、
長く指摘されてきていたものの、
実際にこれほどの信用収縮が一気に起こると予想できた者はいなかった。
24時間のうちに手を打たなければ、メリル・リンチも、バンクオブアメリカも、
AIGも、もしかしたらJPモルガンも、みな倒産したかもしれない。
最終的に、それをくい止めたのは、公的資金の注入という、
モラルを度外視した手法であり、それが唯一の選択肢だった。
このとき、貧しい人びとは口をきわめて言った。
自分たちが破産しても誰も助けてくれないのに、
なぜ金持ちの銀行が倒れようとしたら政府が税金で救済するのか?
しかし実際は、そうしなければ、世界経済は破綻して、
貧しい人びとこそがもっとも苦しむことになったはずだ。

だが、金融危機はある意味、まだよかったとも言える。
平成23(2011)年3月、東日本大震災が起き、
多くの尊い人命が失われ、いまだに仮設住宅にお住まいの方もいる。

同じ年の4月24日、昭和天皇のときとは対照的なことが起きた。
直前、はっきりした報せがきて、
サティア・サイババが肉体の衣を脱ぐことが告げられた。
8年前の今日のことだ。

今回のパリハーラムを行なうようピンポイントで指示されたそのときが、
平成の時代の最後であることを、聖者や神々はご存じだったのであろうか。
しかもその方法として、プシュパンジャリ(花々の)プージャという、
日本ではまだ行なったことのない、華やかな儀式が指定されていた。

この儀式を、4月28日(日)、<Art3>の後で行ないたいと思う。
参列を希望される<プレマ倶楽部>会員の皆さまは、
お申し込みの上、17時半少し前くらいにおいでいただきたい。
会場が狭いので、ご不便をおかけすることになるかもしれないが、
それでもなお、ご参列いただいて、
過ぎ行く時代の最後に神々の恩寵を受け取っていただけたら、
また日本や世界のためにご一緒にお祈りいただけたらと、私は思う。