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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第130号 2019年12月11日配信)

『感謝』

私の長年の友人に中村哲という人がいる。
東大で数学を専攻し、後にインド哲学に転じた。
博士課程を優秀な成績で修了後、サンスクリット学の達人となるべく、
就職もしないで文献の読破に没頭した畏友の様は『理性のゆらぎ』にも書いた。
ちなみに、私が解説時に使った『バガヴァット・ギーター』の日本語訳は、
哲さんによるそれが土台となっている。
また、ラーマクリシュナ・パラマハンサを紹介する際に何度か使った
ロマン・ロランによる伝記は現在手に入らないが、
それも哲さんが、自分が持っているより世の中の役に立つだろうと、
無償で譲ってくれたものだ。
このような現代の仙人以外にも、ハイチのマザー・テレサといわれた須藤昭子医師や、
ネパールの障害児の教育に半生を捧げられた大木神父の知遇を得、
または師事できたのは、生涯の宝だ。

そうしたご縁もあってか、コンゴで学校を作ったときも、
インドやカンボジアで慈善を始めるときも、大きな違和感はなかった。
……というよりも、それらを可能にしてくれたのは、結局現地の人びとであるので、
実際、感謝の気持ちのほうが大きい。
先般、アフガニスタンで銃撃され命を落とされた中村哲さんについては、ご息女が、
「父に本当によくしてくださったアフガニスタンの人たちに、心から感謝しています」
と言われ、涙を誘ったが、彼女にしてみたらそれは偽らざる心情だったろう。

しかしそれにも増して、現地の人びとの感謝の気持ちや慙愧の念はいかほどであろうか。
それが最近のニュースなどにもよく表れている。
個人的なことで恐縮だが、昨年の今日、
福島の小さな病院で母が息を引き取るや、インドの寺院だけではなく、
アフリカの関係する修道院や教会でもミサや儀式を捧げ、追悼してくださった。
葬儀は福島で行なったので東京からでも来るのは大変だったというのに、
コンゴ人の司祭がわざわざ訪れ、祈りを捧げてくれた。 
それを空中から見ていたかもしれない母は、
亡くなってなお、目を白黒させていたかもしれない。

その後、ちょうどその時期に工事していた学校の養鶏場が完成して行ってみると、
入り口のところに立派な看板が掲げられ、「Takako Aoyama により寄贈」と書かれている。
驚いた私は、「今からでもなんとかならない?(撤去できないか)」と頼んだが、
現地の人びとは笑いながら、「なんともならねぇよ、先生」の一点張りであった。
生前、私の仕事についてほとんど知ることのなかった母は、
今頃は恥ずかしがって草葉の陰に隠れつつ、
これを寄贈したのは本当は瞑想の生徒さんたちですよと、言って回っているかもしれない。

前回のヤク・ストールのときは、皆さまから多くのお心をいただいたうえ、
お一人でたくさん買っていただいた篤志家の方もおられたりして、
アフリカ・プロジェクトはふたたび軌道に乗ろうとしている。
引き続き、22日(日)にはカシミヤのマフラーとストールを少数ながらお持ちするが、
同じくアフリカで支援している女子修道会が運営する障害児の学校の生徒たちは、
日本の皆さんのためにお祈りをし、クリスマスカードを作製して送ってくれた。
障害のある子供たちにしてみれば、相当に練習も積んだことであろう。
数の関係で、カードは買い物をしていただいた皆さんにおつけしたいが、
前回、サイババの物質化したビブーティをお持ちになっていない方は、
今回、クリスマスの前に是非お持ち帰りいただければと思う。