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青山圭秀エッセイ  バックナンバー

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最新号 (第120号 2019年3月14日配信)

『沈丁花』

沈丁花の薫りの漂う季節、必ず心に思い浮かぶ光景がある。

今となっては前世紀のことだが、1992年の春、一連の医学論文が審査にかかり、
私は医学博士の学位をとれるかどうかという局面を迎えていた。
麻酔物質の代謝を論じたこの論文は、従来のようにマウスに麻酔を投与して解剖、
内臓を切り刻むという手法をとっていなかった。
純粋に物理化学的な方法で、その代謝経路を推定したのだ。
内容には自信があったものの、量子力学が必然的に絡んでくるこの論文を、
果たして医学部の先生方に理解してもらえるかどうかには確信がなかった。

講師の先生からは、「毎年春には教授を料亭にご招待してください。菓子折りは最後に渡します。
まあ、100万円も入っていればだいたいいいでしょう」などと言われていたが、
私には想像もつかないことで、まったくやっていなかったし、
そのことがどのような結末を生むことになるのかも予測できなかった。
こうした慣習は、少なくとも当時、私立の医学部には普通にあったし、今もそうだという。
昨今も、私立大学医学部や、医師に関するさまざまなニュースがメディアに流れるが、
驚くことは何もない。

「100万円の菓子折り」を数年に渡り怠っていた私は、しかしさすがに、
学位審査に臨んで“封筒”を用意していた。
それは、当時私に準備できたやっとの厚みしかないものだったが、驚いたことに、
審査に当たってくださった教授は3人とも、その封筒を受け取られなかった。
大学病院長を兼ねる大先生に、「研究にはお金がかかるでしょう、
これもそのために使いなさい」と言われたときは嬉しかった。
また、もうひと方、新進気鋭の若手教授は、
「この業績を海外で発表したらいい、そのために使ってください」と言われた。

審査が終了し、外に出ると、薄暮れのキャンパスに沈丁花の白い花がほころんでいた。
それを見てしばらくその場にたたずんでいると、後ろから声がした。
「こうして毎年、この季節には沈丁花が香る。自然界の神秘ですね」
私の担当教授だった。
かつて医局で、致命的な輸血ミスがあったとき、
「ご家族には事実をそのまま伝えるように。責任は私がとる」と言われた、あの教授である。
そのとき、医学的にはあり得ないことだが、
患者は特段の重篤な状態に陥ることなくこの危機を切り抜け、
辞任を覚悟していた教授はそのまま残られた。
結局、この方のおかげで私は長期でインドに赴くこともでき、また二つ目の学位をとって、
後に『理性のゆらぎ』を上梓することとなる。

さらにずっと後、日本で瞑想を教えるようになる過程においても、
神秘で、あり得ないことがさまざま介在した。
それらの不思議な物語については、21日(木)春分の日、
四谷のエイトスターダイヤモンドで講演をさせていただく予定だ。

私が瞑想を教え、予言を読み、聖典を解説し--それについて、
人間の精神性に深い関心をお持ちであった教授がご存命中ならなんと言われたか……。
この季節、沈丁花の薫りに触れる度、そんなことを思い出す。