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最新号 (第117号 2018年12月17日配信)

『聖夜』

神さまが創ったはずのこの世界に、
どうしてこんなに苦しみや悲しみがあるの?
敬虔な人であれば、どんな子供でも一度や二度はそう思う。
そうした信心を嫌う人は、逆に、これほどの悪と悲惨を思うとき、
この世に神などがいようはずもないという。
それに対してキリスト教は、
最初の人類が神の掟を破ったことで人類全体が「原罪」に染まり、
さらには天使の一部が神に反逆して悪魔になったことで
世界はますます苦しむこととなったと教える。
しかし、全能の神は、そうならない世界をお創りになることもできたはずだし、
全知でもある神は最初からすべてをご存じだったはずだと思えばと、
問題は見事、振り出しに戻る。

一方、ヴェーダ科学を学び、実践する私たちは、
「苦しみ自体が存在しない」という立場をとることもできる。
実際、すべてはマーヤー(幻)であり、
われわれはちょうど、映画を観ながら主人公に自身を投影し、
喜んだり悲しんだりしているにすぎない。
本当の自分は映画の内容とは関係がないという考え方だ。
これは究極の解釈かと思うし、事実そうなんだろうとも思う。
ところが、そのことを知り、認識を高めたと思った自分も、
いざ現実の問題に直面すると、やはり苦しい。
「苦しみは幻、本当の私は苦しんでいない……」
などと言って飄々とはしていられないのが、
生身で生きるわれわれの“現実”というものだ。

結局のところ、こうした「現象」の世界と真の「自分自身」とが
実は別物であるのを知ることが、
いわゆる「悟り」の境地と呼ばれる。
が、人は一度には悟れない。
世界のなかで、日本に生まれ、さまざまな現象が押し寄せるなか、
家族や仲間と一緒に荒波を乗り越えながら、徐々に人は進化していく。
……にしても、その進化がまた、遅々としてなかなか進まないのである。
そんなことを百も承知であった聖者たちは、
本当は“幻”であるのだが、苦しむ衆生のために、
さまざまな方策を残しておいてくれた。

『祖国と弟子たちのために、来年4月14日までに3回、
瞑想の師は大規模なパリハーラムを行なうことになる』
という記述が出てきたのは、今年3月だった。
『弟子のなかには大きな危機に向かっている者がおり、
彼(彼女)はまだそれに気づいていない』とも書かれていたが、
そのうちのお一方とその後インドを巡礼した際、
祭祀で降りてこられた神さまがじっと彼女を見つめ、
話しかけてこられたことは、すでにこの欄に書いた。
予言されたなかの二つ目のパリハーラムは
いつ出てくるのだろうと思っていたが、
その日は忘れることのできない日となった。
その日、母が亡くなり、
予言のなかにはそれについても言及されていたからだ。
このパリハーラム自体は日本と弟子たちのためであるが、
たとえばそのために儀式を行なうシヴァ神のご家族の寺院は、
私と母の年齢を足した数(157)にするように、
またそれぞれの寺院ではそれぞれ157人の貧しい人たちに
食事と衣類をふるまうように、といったかたちで、
その日、別の世に移っていった母について
配慮されていることも明らかだ。

今回のパリハーラムも、可能なかぎりの皆さんに
参加・享受していただくようにとの指示なので、
ふたたび特別なセミナーとプージャの日を設けたいと思う。
12月24日は祝日だが、四谷の会場を借り、
特別セミナーとプージャを行ないたい。
奇しくもクリスマスのこの日、
ヨガナンダの自叙伝はアダムとイブの話となる。
人がいかにして原罪に陥ったのか、
そうではない状態も可能だったのか、
可能だったとしたらそれはどのような世界になったのかといった、
驚くべき記述が続いている。

同日、会場のすぐ近くにある聖イグナチオ教会では
壮麗なクリスマスミサが行なわれる。
プージャ後、ちょうどよいくらいの時間があるので、
希望される方は聖なる夜、
そちらに流れていかれるのもよいかもしれない。