瞑想講座

体験談

<Art3>体験談

<Art3>を受講された皆さまからの【瞑想便り】と、青山圭秀よりのお返事をご紹介いたします。

ちょうどArt1を終え、Art3へさしかかったころ、近所の人の、「庭の真ん中のピンクの花みた? すごく綺麗・・・綺麗に咲いてるわ〜」という感嘆の声が風にのって聞こえてきました。その瞬間、私の意識がどこかの庭に咲いてるらしい花の意識と同調して、花の誇らしげなこころが、まるで手に取るように感じられたのです。瞑想から出てきてあらためて、表層ではこれほど多様なすべても、その本質は一つ、たった一つなんだな〜と思いました。

私たちは、個別生命を得た瞬間から、その崇高な真実を忘れてしまいます。それにより、あらゆる苦しみや悲しみ、不幸がやってきますが、<Art3>は、まさに その真実を思い出し、日々実践・練習するための技術です。


体が地面にくっついた入れ物のようになり、マントラだけが響いて、手足がポカポカとして母親の羊水に入ったったような安堵感を味わいました。 家では、気持ちよくなって寝てしまいそうです。

<Art3>が他の技術に比べても特徴的なところ、それは、私たちが実在に一致していく過程で、大地に根ざしたような心地よさや安心感、安堵感を体験する点です。癒された感覚といってもよいかもしれません。それは自然に、無理なく訪れます。私たちは、ただそれに浸るだけでよいのです。


Art3は、より深く、細胞の隅々まで浄化のエネルギーが、行き渡るようです。 再受講の私は、それをより深く感じられました。 今日もくったりする程、深く入り、思考、意識を自然によい方向に導いてくれました。 自然の法則って、こんな感じなんだ〜って実感しています。

自然の法則を自然に、そのまま生きられるようになったとき、それが私たちのゴールですね。そういう人を聖者や聖女と呼びます。 それにしても、再受講をすると、初受講のときと比べても格段に深く理解した感覚が得られると皆さんに言われ、私も嬉しいです。


<Art3>中の瞑想をしたときに、とってもリラックスした感じが得られ、あの日からぐっすり眠れるようになりました。(^^)また、あの日の瞑想中に感じたことは、私の中にあるカルピスの原液のように濃い〜〜い愛情というモノを、こういうかたちで活かすことが出来るんだ〜〜〜!!??という感じでした。

私たちは瞑想しながら、自分だけが幸福になっていくと思ったら、それは大きな間違いです。瞑想の力を、その人だけのレベルに留めることは、誰にもできません。私たちが瞑想することで、よい影響は広範に及びます。
そのことを私たちは、<Art1>のときから感じるものですが、<Art2><Art3>の技術はこれをさらに現実的なものとして教えてくれることになります。


今回、<Art3>の講座に 参加させていただいて感じたこと…… 「人間は、どこまでもしあわせになることを許されている」ということ。本人が望む、望まないにかかわらず、わたしたちは必要なことを最適な時期に体験する。それを体験していくだけでも、しあわせへの道を歩んでいる。そして縁あって出会った道で生きていくことで、その道は高速道路と化すこともある。「どこまでもしあわせになってよい…」。そんなことを感じました。

実に、どこまでも幸せになれるからこそ、私たちは心の奥底でそれを望むのです。


<Art3>の技術、毎回さっそく使ってみています。ただ、あまりにも瞑想が心地よくていつの間にか眠ってしまったり、<Art3>の技術中に意識がなくなったりしてしまうこともあるようです。最近、間違いなく瞑想の効果だとわかるのですが、日常の生活で(仕事中や、家族といるときなど)、どこからともなく幸福感が湧き上がるときがあります。
「自分の人生も捨てたものじゃないなぁ」などとふっと考えたりしています!

粗雑なレベルで粗雑な対象を必死に追い求め続けている間に、一回の人生などあっという間に終わってしまいます。それを避けるために、苦しむことや心を抑圧することを勧める指導者もいて、それはそれで尊いことです。しかし実際には、そうした方法によって、後に心の反動や体の病気に陥ることもしばしばあり、大きな回り道にもなりかねません。
私が一般の方にお勧めする道は、そのような特殊なものではなく、【バガヴァッド・ギーター】の語るように、できるかぎり幸せでありながら進化することです。相対界において、苦しみはある程度避けられないにしても、生命として、実はそのほうが、自然で速やかな進化をもたらしてくれます。


<Art3>の技術を使うようになってから、以前よりもさらに気持ちが喜びに満ちた感覚があり、瞑想から覚める状態までゆっくりとその感覚を味わっています。

是非、その感覚を毎日楽しんでください。


瞑想から出たくない気持ちになるほど<Art3>は素晴らしいです。
(男性と女性の方お一人ずつより)

<Art3>に関する以上の感想と関係があるのですが、よくこんなご相談を受けます。それは、「瞑想してしまえばとても心地よく、充実感、幸福感が得られるのに、瞑想に入るまでは億劫に感じることがある」というものです。
私たちの心はいつも、より大きな幸福を求めていますが、私たちは生まれてこの方、幸福の対象を外側の世界に求める癖がついています。人は通常、外側の条件によって幸・不幸を感じるからです。瞑想に入る前、億劫に感じることがある理由は、そこにあります。
ところが、より深い幸福は私たちの内側=実在のレベルにあり、<Art3>はまさにそこに私たちを近づけてくれる技術です。 逆に、瞑想から出てきたくないくらいに思うようになるのはそのためです。


<Art3>の技術は、「純粋意識=わたし」にたどり着くような感じになれるので、とてもありがたいです。

最初は信じられないかもしれませんが、実際にたどり着いています。なにか超常的なものを見たり聴いたりするのももちろん崇高な経験ですが、純粋意識をより静かに、より深いレベルで体験していくことのほうが、本質的であることはいうまでもありません。


<Art3>を習ってからマントラを使い始めてみたら、いつもより深く急速に内面の奥の方に入り込んでいくような感覚があり、その後で、逆に浮き上がってくるような感覚に初めてなり、聖テレジアではないけれど(笑)、何だかまるで、もうちょっとの何かの拍子に体が地面からちょびっとだけ浮き上がる事もありえるのではないか??(笑)なんて思ってしまいたくなるような感覚(衝動?)のようなものを感じてしまいました。

肉体をもって生きている私たちは、通常は物質世界の法則に支配されています。たとえば、肉体は重力に拘束されていますし、呼吸や食事をしないと生きていけません。人の心のなかを正確に観ることはできませんし、過去世や未来を自由に知ることもできません。
ところが、意識の深いレベルに入っていくと、そのような制約が徐々にはずれてきます。酸素や食物の利用効率がよくなったり、遠くの出来事が分かったり、未来を誰かに教えてもらったり、聖典の深い意味合いが理解できたり……。
大聖テレジアも、最初、自分の体が浮くような感覚に捉えられ、しかしまさか本当に浮くとは思わなかったことでしょう。本当に体が浮いたとき、意識の進化していた聖女も大変困惑したようですが、でも、すでにヴェーダの知識を持ち合わせている皆さんは、何が起きても焦る必要がありません。 人によって、ときによって、起きてくることは違います。しかしいずれにしても、より低次の法則からより高次の法則へ、より粗雑なレベルから、より精妙で、深化したレベルへという意識の流れは、止めることができません。